「事実上の死刑廃止国」韓国で起きている「死刑再開論」 制度は維持され確定死刑囚は59人に、世論に押され執行施設を点検?【韓国の死刑・前編】

ソウルの韓国憲法裁判所前で死刑制度は違憲だと訴える市民ら=2022年7月(聯合=共同)

 25年にわたって死刑執行がなく、国際人権団体から「事実上の死刑廃止国」とされている韓国で、死刑再開の議論が起きている。
 無差別殺人などの凶悪犯罪が相次いだことが背景にあるが、実際に再開に踏み切れば、欧州を中心に国際社会から批判を浴びるのは必至となる。一方、韓国の世論調査では、死刑に肯定的な意見が7割を超えており、制度的に死刑が廃止される見通しは立っていない。
 韓国での死刑を巡る動きは、死刑制度があり執行を続けている隣国の日本にとって、決して無関係ではない。今年9月、日韓文化交流基金のフェローシップを受け、韓国で死刑を巡る議論を取材した。さまざまな立場からの死刑に対する考えや現状を、2回に分けてレポートする。(共同通信=佐藤大介)

 ▽連続殺人犯が移送、「死刑執行」の臆測飛び交う

 今年9月25日、韓国メディアが一斉に報じたニュースが、多くの人たちの関心を集めた。韓国で2003~04年かけて女性や老人ら21人を相次いで殺害したとして、2005年に死刑が確定した柳永哲(ユ・ヨンチョル)死刑囚の身柄が、収容先の大邱(テグ)刑務所からソウル拘置所に移送されたのだ。
 柳死刑囚の事件は当時の韓国社会に大きな衝撃を与え、これをモデルとして2008年に映画「チェイサー」が公開されたほか、最近でもNetflixがオリジナルドキュメンタリー「レインコートキラー」を製作している。
 なぜこの時期に、柳死刑囚はソウル拘置所へ移送されたのだろうか。その背景にあるのが、韓東勲(ハン・ドンフン)法相が8月下旬に指示したとされる、死刑執行施設の点検だ。
 絞首刑で死刑を執行(軍事裁判では銃殺刑と規定)する韓国では、ソウル拘置所のほか、釜山(プサン)拘置所、大田(テジョン)刑務所、大邱刑務所の4カ所に絞首台があり、それぞれに死刑囚が収容されている。
 韓国政府当局者などによると、韓法相の指示で死刑執行施設を点検したところ、実際に使用できるのはソウル拘置所だけだったという。今回、柳死刑囚ともう1人の死刑囚が大邱刑務所からソウル拘置所へ移送されており、法曹関係者からは「死刑執行を前提とした動きではないか」という見解が相次いだ。

2004年9月、初公判でソウル地裁に入る、老人や女性ら21人を殺害したとして殺人罪に問われた柳永哲死刑囚(左下)(聯合=共同)

 ▽相次ぐ無差別殺人で世論沸騰

 韓法相が死刑執行施設の点検を命じたのは、韓国内で無差別殺人などの「通り魔事件」が相次いだことがきっかけだった。
 今年7月21日、ソウルで30代の男が通行人を次々と刺し、4人が死傷する通り魔事件が発生した。8月3日には、ソウル郊外の城南(ソンナム)市でも同様の事件が起きて14人が負傷、このうち60代の女性が3日後に死亡している。さらに凶行は続き、8月4日に大田市の高校で男性教員が20代の男に切りつけられ、意識不明となった。
 インターネット上では学校や駅を狙った殺害予告が相次ぎ、警察当局は各地に特殊部隊を派遣して警戒に当たるなど、社会全体が物々しい雰囲気に包まれた。凶悪犯罪への不安が高まる中で、頭をもたげてきたのが死刑執行の再開論だった。

通り魔事件が連続し起きたことを受け、韓国・城南市盆唐の地下鉄駅近くで警戒する警察の特殊部隊=2023年8月4日(聯合=共同)

 ネット上には執行再開を求める書き込みが目立つようになり、南東部の大邱市長を務める保守政治家の重鎮、洪準杓(ホン・ジュンピョ)氏が「凶悪犯に対しては、死刑を執行すべきだ」と述べるなど、議論は拡大していった。
 韓法相は7月26日、国会の法制司法委員会で死刑制度について問われ、執行には「考慮すべき点が多い」として、死刑廃止が加盟条件の欧州連合(EU)との外交関係を考慮し、慎重な考えを示していた。だが、厳罰化を求める世論に押される形で、8月に入って韓法相は死刑執行施設の点検を指示し、さらに柳死刑囚らの移送を行ったと言える。

韓国国会の委員会に出席する韓東勲法相=2023年10月11日、ソウル(聯合=共同)

 ▽59人の確定死刑囚と韓国政府の立場

 韓国では、金泳三政権末期の1997年12月30日、23人という大量執行をして以来、死刑の執行はなされていない。一方、法的には死刑制度が存在していることから、その後も死刑判決は出され、今年10月現在で59人(軍事裁判で死刑判決が出された4人を含む)の確定死刑囚がいる。
 では、韓国政府は死刑制度について、どのような考えを持っているのだろうか。
 韓国法務省に書面で質問をしたところ、死刑制度の存廃については「各国の歴史、社会文化的背景、国民的世論などによって国別に事情が異なる」とした上で、「死刑の刑事政策的機能、国民世論や国内外の状況などを総合的に検討し、慎重にアプローチする」との回答だった。
 韓国政府は2020年11月、死刑廃止を念頭に置いた死刑執行を一時中断するよう求める国連決議案に対し、それまでの棄権から賛成へと立場を変えた。
 韓国が死刑廃止へ踏み出すのではないか、という見方も出されたが、これについては「(韓国が)事実上の死刑廃止国だという国際社会の認識、決議案に対する賛成国が着実に増加している点などを勘案した」と説明する一方、死刑廃止には「国家の刑罰権に関連する重大な問題」として、慎重な姿勢を示している。
 また、柳死刑囚の移送などで実際に執行再開に踏み切る可能性には「韓国は死刑を合憲的に維持しており、いつでも執行できる」との原則論を示した上で、「死刑廃止への社会的議論や国民世論、国際状況を総合的に考慮して判断すべき」としている。

 ▽「事実上の死刑廃止国」と金大中元大統領の存在

 死刑制度があるにもかかわらず、韓国が死刑執行を25年にわたって行わずにいた背景には、金大中(キム・デジュン)元大統領の存在がある。
 韓国死刑廃止運動協議会によると、韓国で1948年から1997年までの間に処刑された死刑囚は902人(軍事裁判による死刑は除く)。うち約4割が政治犯だったとされる。特に、軍事独裁政権を敷いた朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の時代には、民主化運動を弾圧するために死刑制度が使われ、多くの活動家に死刑判決が出された。その中の一人が、金大中氏だった。
 特に、朴政権下の1974年に起きた「民青学連事件」と「人民革命党事件」では、1975年に8人が死刑判決を受け、約20時間後という異例の早さで執行された。両事件は2007年に韓国政府が、朴政権による民主化弾圧と認定され、でっち上げだったことが判明している。このように、韓国の死刑制度は、時代ごとの権力者によって、恣意的に運用されてきたと言える。
 民主化運動を闘った金大中氏が死刑制度へ批判的な立場を示し、1998年に大統領へ就任してから執行を止めたことは不思議なことではない。
 その後、政権は同じく革新系の廬武鉉(ノ・ムヒョン)氏に引き継がれ、さらに保守系の李明博(イ・ミョンバク)氏、朴槿恵(パク・クネ)氏と続いたが、韓国政府は執行命令を下すことはなかった。

1998年2月、ソウルの国会前広場で行われた就任式で宣誓する金大中大統領

 ▽過去にも執行再開検討、EUとの関係懸念で見送り

 この間、死刑再開の議論がなかったわけではない。10年ぶりの保守政権となった李氏の時代には、凶悪事件の発生を受けて、今回と同様に法相が刑場の点検を指示したことがあった。また、死刑執行のできる収容施設を新たに建設し、死刑囚を1カ所に集めることも計画されたが、立ち消えとなっている。
 韓国政府の当局者は「法務省が死刑執行を計画していたが、EUとの経済連携協定への影響などを考慮して外務省が強硬に反対し、見送られた」と打ち明ける。今回、韓法相が執行を再開すればEUとの関係が悪化すると懸念を示したことからも、韓国政府が死刑執行に対する国際的な反応を意識していることがうかがえる。
 また、韓国内で注目されているのが、憲法裁判所の判断だ。
 2018年に両親を殺害したとして死刑を求刑された男(その後に無期懲役が確定)の同意を得たカトリック系団体が憲法裁に違憲訴訟を起こした。2022年7月に開かれた弁論では、原告側は「死刑制度は人間の最も基本的な権利である生命権を剥奪する」と批判し、誤判が明らかになれば取り返しがつかないとも指摘している。
 憲法裁での審理は3度目で、1996年と2010年にはいずれも合憲との判決が出ている。違憲判決を出すには、9人の裁判官のうち6人以上が賛成する必要があるが、違憲と判断した裁判官は1996年が2人だったが、2010年は4人に増えている。
 憲法裁が違憲と判断すれば、死刑制度の存廃にも大きな影響を与える。法曹関係者は「今回は違憲判決が出る可能性がある」と話す。

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 軍事独裁政権と民主化運動の経験などから、死刑は政治的に敏感な問題として位置付けられてきた。では、韓国社会の受け止めはどうなのだろうか。次の回では、韓国の世論や関係者の声について考えたい。

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