岸田首相による「増税メガネへの過剰反応」の深刻さ…過去には減税で退陣した政権も  「鬼門」巡る迷走、専門家は「挽回のハードル高い」

所得税減税などを行う経済対策を決定後、記者会見する岸田首相=11月2日、首相官邸

 岸田内閣は11月2日、所得税・住民税を減税し、低所得世帯へ給付を行う経済対策を閣議決定した。
 防衛費増額に伴う法人税や所得税の増税が控える中、岸田文雄首相が逆行するように映る減税に踏み切った背景を、自民党の有力者の一人である遠藤利明前総務会長はこう指摘する。「『増税メガネ』と言われることに少し過剰反応している」。確かに、交流サイト(SNS)などでは首相を増税メガネと呼んでやゆする声が絶えない。
 自民党関係者はこうした「増税イメージ」の広がりに危機感を募らせている。過去に税金を巡る批判が退陣につながった政権は少なくないからだ。「税は鬼門だ。批判が高まれば命取りになる」
 岸田首相の現状はどうなのか。専門家は「迷走している」と指摘し、厳しい見方を示す。「税で国民の不信を買ってしまうと深刻だ。挽回のハードルは高い」(共同通信=中田良太)

 ▽「増税メガネ」の由来

 「どんなふうに呼ばれても構わない。やるべきだと信じることをやる」。首相は11月2日の経済対策決定後、記者会見で増税メガネという自身の「あだ名」について問われ、こう強調した。時折笑みを浮かべて熱弁を振るう姿は、自分に言い聞かせているように見えた。
 そもそも首相は、なぜこんなあだ名を付けられたのだろうか。
 きっかけは「サラリーマン増税」と言われている。岸田政権は6月に決定した経済財政運営の指針「骨太方針」に、同じ会社に長く勤めるほど退職金への課税が優遇される現行制度を「見直す」と明記。首相の諮問機関である政府税制調査会は、中期答申で退職金課税に関する検討を求めた。
 さらに、この答申が現在は一定額が非課税となる通勤手当に触れていたことで、課税されるのではないかとの警戒感がインターネット上で広がった。首相は「全く考えていない」と火消しに追われた。
 防衛増税の方針なども相まって「増税批判」が強まる中、首相は10月26日、所得税減税などを来年6月に実施すると表明した。翌27日の衆院予算委員会で、来年度からの防衛増税開始を見送る考えも示した。

政府税制調査会の中期答申を受け取る岸田首相(右)=6月30日、官邸

 ▽消費税で憂き目に遭った自民党政権

 首相が「過剰反応」するのも無理はない。税負担増加を巡る国民の批判は、しばしば自民党政権に大ダメージを与えてきた。国民にとって最も身近な税金の一つである消費税は、その最たる例と言える。
 憂き目に遭った一人に、首相が会長を務める党内派閥「宏池会」の先輩で、1978~1980年に政権を担った大平正芳元首相がいる。
 オイルショックなどによる国の財政状況悪化を踏まえ、自民党は1978年、税率5%を課す「一般消費税」を1980年から新設する方針を決めた。大平内閣は1979年1月に導入準備の実施を閣議決定した。

衆院選で伸び悩み、厳しい表情の大平首相=1979年10月7日

 世論の反発は強く、大平首相は10月に行われた衆院選の期間中に撤回を表明した。だが自民党の獲得議席は当時の定数の過半数に届かなかった。衆院選の不振は党内対立を増幅させ、1980年5月に再度衆院を解散すると、大平首相は衆院選公示後の6月12日に急死した。
 1982~1987年に約5年間の長期政権を築いた中曽根康弘元首相も痛い目を見た。
 1986年の衆参同日選で「国民が反対する大型間接税と称するものはやらない」などと遊説で発言し、圧勝した。だが1987年2月、消費税に類似する「売上税」の創設を盛り込んだ税制改革関連法案を国会に提出。これに反発が集中し、3月の参院岩手選挙区補欠選挙で自民党候補は社会党候補に敗れた。国会は大荒れとなり、売上税は廃案に追い込まれた。

 消費税を導入したのは竹下登元首相だ。1989年4月に税率3%でスタートしたが、国民の厳しい目にさらされた。リクルート事件による政権批判も重なり、竹下内閣は6月に総辞職した。
 翌7月、後継の宇野宗佑首相の下で臨んだ参院選は、獲得議席が改選前69議席からほぼ半減の36議席に落ち込む大敗に終わった。責任を取って宇野首相は退陣。首相在任はわずか69日だった。

消費税導入の初日、デパートでネクタイを購入する竹下首相(前列左)=1989年4月1日

 ▽「消費増税」はたびたび政権を苦しめた

 消費税が打撃となったのは自民党政権だけではない。
 1993年に非自民連立政権を樹立した細川護熙元首相は、唐突に掲げた「国民福祉税」構想があだとなった。
 これは税率3%の消費税に代わり7%の「国民福祉税」を導入するとの内容だった。在任中の1994年2月に突然発表すると、連立与党内でも批判が殺到し、結局1週間足らずで白紙撤回。自身の借入金問題なども影響し、求心力が低下した細川首相は4月に辞意を表明した。

「国民福祉税」構想の撤回が決まった後の記者会見で「国民におわびしたい」と頭を下げる細川首相=1994年2月8日

 民主党政権は、消費税増税で党が分裂した。2012年3月に野田佳彦内閣は税率を8%、10%と段階的に引き上げることを盛り込んだ「社会保障と税の一体改革関連法案」を国会に提出。野党だった自民党、公明党との3党合意を経て、8月に成立した。
 法案に反発した小沢一郎氏らは民主党を離れ、造反者も出た。11月に野田首相が衆院を解散すると、12月の衆院選で民主党は政権から転落した。

 ▽減税も退陣の要因に

 減税や給付を打ち出した政権が国民に支持されてきたかと言えば、必ずしもそうではない。退陣の要因になった例はある。
 1996年~1998年に政権を担った橋本龍太郎政権は、1998年7月の参院選前に所得税と住民税の減税を打ち出した。橋本首相は当初、この減税を「恒久減税」とする意欲を見せていた。だが、その後発言がぶれ、政権内の迷走も目立った。
 結局、参院選は改選前の60議席を大きく下回る44議席獲得にとどまり、橋本首相は投開票の翌日に退陣を表明した。

退陣表明の記者会見に臨む橋本首相=1998年7月13日

 2007年~2008年の福田康夫政権は、所得税・住民税の定額減税を単年度限りで行う総合経済対策を策定した。だが後を継いだ麻生太郎首相は1人当たり1万2千円(65歳以上と18歳以下は2万円)の「定額給付金」に転換。野党から「ばらまきだ」と批判された上、高額所得者の受け取りなどに関する麻生首相の発言が迷走を重ねたことから、国民に広がっていた政権不信に拍車がかかった。2009年衆院選で自民党は民主党に政権を奪われた。

 ▽「首相はこれ以上ぶれてはいけない」

 過去を振り返れば、冒頭の自民党関係者の言葉通り、税は鬼門と言える。対応を誤った政権は、退陣や選挙大敗といった散々な目に遭ってきた。
 岸田首相を取り巻く状況は厳しさを増している。11月2日に決まった経済対策を巡っては、共同通信が直後の11月3~5日に実施した世論調査で62・5%が「評価しない」と回答。岸田内閣の支持率は前回調査(10月14、15日)から4・0ポイント下がり、政権発足以来最低の28・3%に落ち込んでしまった。

 専門家は今回の減税判断をどう見ているのか。東京大の内山融教授(日本政治・比較政治)は、増税イメージが広がった後に唐突に打ち出した感があり「政権運営がダッチロールのような状態になっている」と指摘する。「迷走を国民に印象付けてしまった」
 その上で「税を巡る行動のぶれは、信頼喪失に直結する。防衛増税に関する説明不足や、マイナンバーカード問題などで募った国民の不信感が助長された」と分析。神田憲次財務副大臣の税金滞納による辞任を問題視し「税関連で政務三役の不祥事まで起こった。国民は岸田政権に呆れているだろう」と批判した。

東大の内山教授(本人提供)

 首相がこの状況から浮上するにはどうしたら良いのか。内山教授は険しい表情で語った。「少なくとも首相はこれ以上、税に関する行動がぶれてはいけない。信頼回復はかなり難しいだろう。一気に支持を取り戻す良案は思い付かない。外交などで成果を重ね、支持を広げていくしかないのではないか」

© 一般社団法人共同通信社