泉房穂氏が支援候補を一喝した理由 所沢市長選は政権交代への起点、 衆院選の小選挙区制で見えた勝算とは

自民党県議団が子どものみの外出や留守番を「児童虐待」として禁止する埼玉県虐待禁止条例改正案を提出したものの、世論の反発を招いて撤回する騒動後に行われた同県内初の首長選・所沢市長選(10月22日投開票)。元衆院議員の新人小野塚勝俊氏(51)が自民、公明推薦の現職候補を破って初当選したが、大きな後押しとなったのは兵庫県明石市の前市長・泉房穂氏(60)の存在だった。今回の所沢市長選にはどのような意義があったのか。両者が顔を合わせたトークイベントで話を聞いた。

今月2日、東京・新宿のロフトプラスワンで行われた泉氏のトークライブに、小野塚市長が公務を終えて駆けつけた。泉氏の著書「社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ」(ライツ社)出版記念と恩師の元衆議院議員・石井紘基さん没後21年追悼として開催されたイベントの後半で、2人は選挙戦の舞台裏などを語った(配信のアーカイブは16日まで視聴可能)。

小野塚氏は明石市で子育て政策を推進した泉氏の支援を受け、18歳までの医療費と小中学校の給食費の無償化などを主張。泉氏は「首都圏にある所沢が変われば全国展開する。可能性のある街に勝負をかけた」と振り返り、選挙戦中、小野塚氏を〝一喝〟した裏話も披露した。

泉氏は「『もし、私が市長になれたら』と言ったのにカチンときましてね。なにが『もし』や!『もし』ちゃうやろ!『勝って市民のために働く』に決まっとるやろと」。小野塚市長は「よく覚えてます。駅に向かって歩いていた時に、私が『もし…』ってポロッと言ったら、泉さんにガツンと。その時に目を見開かされました。『おまえさんが勝たなかったら、救われるべき所沢市民が救われなくなってしまうのだから、『もし』じゃない。今後、その言葉(もし)を使うな』と」

この〝もしNG〟の背景には、所沢市長選を国政転換への「起点」とする思いがあった。

泉氏は「所沢の街と市民のために戦うのであって、ひいては国民のためやと。国を変えるため、所沢がスタートやと。天下分け目の戦い。ここで負けたら終わっていた。(自身が応援した兵庫県)三田市で勝ち、首都圏の所沢市でも勝てることを証明できた。この戦いを衆院選挙の小選挙区で全部一気にやれば勝てる。一瞬で国民を救う政治に転換できる」と熱く語った。

小野塚市長は初登庁した10月30日の就任会見で「強制的な『育休退園』は本日から廃止する」と宣言。育休退園とは、出産によって育児休業を取得すると、上の子ども(3歳未満)が保育園を退園させられるという制度。同市長は「市長の任を賜った初日に、その存在根拠として(制度を)止めなければといけないという思いから廃止を申し上げた」と明かした。

泉氏の〝背中〟を見ていた。

小野塚市長は「明石での泉さんの成功例を見せていだたたいたから。選挙も完全無所属で戦えた。組織に頼っていたら、市長になっても思い切ったことはできない。私も以前、国会議員をやっていましたけど、こんな人いないですよ。日銀時代には国会担当をやっていたのですが、2002年当時、石井紘基さんはすごかった。本当の政治家はああいう形で亡くなってしまうし、何もやってない人が役職についている姿を見て、これが政治なのかと。そんな時に、ケンカ上等で戦い続けている泉さんを見て、石井さんと同じ空気を持っている人がいたと思えたし、確信を持って、就任初日からそういうことができたと思っています」と振り返った。

地方から国を変える。

泉氏は「官僚中心の政治では既得権益のエネルギーが半端ないから、簡単には変えられない。ここ30年の日本の歴史で、1993年の細川政権と2009年の民主党政権という2つの動きがありましたけど、いずれも国民のための政治に転換できなかった。1回きりの政権交代では変わらない。政権交代をして3人目の総理からやっと動き始める。89歳の田原総一朗さんや安倍総理の側近だった(元内閣官房参与で、京大大学院教授)藤井聡さんなどからも『転換のシナリオを書け』と言われています」

国政選挙で勝算はあるか。

「明石市長を終え、国の政治を何とかしたいと思って半年。自分なりのシナリオを考えてきた中、率直に言うと、小選挙区制なので一瞬で勝てる状況を作れば〝いける〟と思っています。普通の市民、国民が普通に暮らせること。岸田首相の言う1年限りの減税など意味がなくて、例えば、消費税で言うと、食料品はゼロにすればいい。高い車を買う人から税金を取ればいいのであって、人間が生きていくための食べ物に税金を掛けるなんて間違っている。普通の庶民が主人公の社会を作ることです」

さらに、泉氏は「明石の市長を辞めてから1回も市役所には行ってません。自分がいなくても大丈夫な明石を残すのが自分の責任。マスコミには『院政を敷く』とか言われましたが、院政を敷くくらいなら自分でやります。卒業したんですから、あとはお任せします。明石での役割を終えた余力で、今の国の在り方をなんとかしたい」と訴えた。

今後も組織に依拠しない〝仕事人〟として全国を飛び回る。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

© 株式会社神戸新聞社