[社説]白梅同窓会解散へ 平和のバトンを後世に

 「私たちは、戦争を知らない世代に強く訴えます。戦争は、知らず知らずのうちに国民を巻き込んで行くものです。後から来る総ての皆さんは、決して、私たちと同じ轍を踏んではなりません」

 白梅同窓会発刊「平和への道しるべ~白梅学徒看護隊の記録」の一節には、沖縄戦で生き残った元学徒たちから、今へ生きる人々への思いが切々とつづられている。

 県立第二高等女学校(二高女)の同窓生でつくる「白梅同窓会」が63年の活動に幕を下ろす。

 発足は1960年。沖縄戦に動員された「白梅学徒隊」の生存者を中心に、「白梅之塔」の再建や慰霊祭、戦争体験の手記の発刊など継承活動に取り組んできた。

 総会には、多い時で関係者400人近くが参加した。しかし高齢化などを理由に減少しており、今後解散へ向けて手続きを進めるという。これまでの活動に心からの敬意を表したい。

 白梅学徒隊は45年3月6日、4年生56人が第24師団衛生看護教育隊に編入。旧東風平町富盛(現八重瀬町)にあった第一野戦病院に配属され、22人が犠牲になった。

 「生きたままの人間の集団が、(艦砲の)轟音と共に手、足、首、胴体が飛び散るのを目撃した」「私たち学徒は主に手術の時のローソク持ちをした。ほとんどの患者が手足の切断であった」

 同窓会が初めて隊員の語りを記録した本を出版したのは戦後50年がたったころだ。凄惨(せいさん)な体験を語るにはそれだけの時間を要したのである。

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 戦時中に二高女がたどった歩みは当時の戦況と重なる。

 44年10月10日、沖縄の島々を初めて襲った本格的な「10.10空襲」で那覇市久米にあった校舎が全焼。それをきっかけに多くの生徒たちが県外へ疎開した。

 残った者は各地の陣地構築に泊まり込みで出かけるように。旧日本軍の要請により看護教育を受けることになったのは、米軍の上陸約1カ月前のことだった。

 「戦争」はいつ始まり、どのような経緯をたどるのか。それは生活にどう影響するのか。戦争を避けるにはどうすればいいのか。

 ロシアによるウクライナ侵攻や、ガザの危機など世界情勢が複雑化する今、沖縄戦の教訓から学ぶことは多い。

 同窓会は今後、遺族やボランティアらでつくる「白梅継承の会」が引き継ぐという。白梅が残してきた「平和への道しるべ」を後世につなぐ活動を期待したい。

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 沖縄戦では二高女を含め21の師範学校や中等学校で学徒隊が編成され、計1984人が犠牲になったとされる。

 白梅同窓会の前会長で今年1月に亡くなった中山きくさんは21校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」の共同代表も務めていた。

 戦後78年がたち、元学徒をはじめ遺族ら関係者の高齢化が進んでいる。

 沖縄戦の教訓を次の世代、その次の世代に届け続けるため、戦争を知らない世代による継承の枠組みも検討してほしい。

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