『「鬼」に私がなります』 「断らない救急」日本一の誇り高き病院が限界を宣言した日

深夜の臨時病棟で重症患者のケアに当たる職員=2020年12月26日未明、神戸市中央区港島南町2、市立医療センター中央市民病院(画像は一部加工しています)

 新型コロナウイルスの2回目の緊急事態宣言を翌日に控えた2021年1月13日、神戸市立医療センター中央市民病院長の木原康樹(68)は神戸市健康局長の花田裕之(58)を訪ねた。

 感染「第3波」が拡大したこの日、神戸市内での感染確認は初の3桁となる103人を記録し、中央市民病院に入院するコロナ患者は45人に膨らんでいた。

 木原は率直に切り出す。

 「当院はコロナ患者を46人までしか受けられない。他の病院の受け入れが増えなければ、自宅で入院を待つ患者が亡くなることも受け入れてもらうしかない」

 重苦しい沈黙が流れた。

 「市として中央市民病院の状況は十分分かっています」と花田は応じた。

 「断らない救急」を掲げる基幹病院が、限界を宣言した瞬間だった。

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 未知の新型コロナウイルスに、感染症指定病院の医療従事者たちはどう立ち向かったのか-。神戸中央市民病院の3年余りの苦闘を描いた書籍「人間対コロナ」の刊行を機に、そのエッセンスを神戸新聞紙上に先出しした連載(2023年5月掲載)を紹介します。

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 中央市民病院は、重篤な患者を受け入れる「救命救急センター」(3次救急)の中でも、受け入れ率の高さと高度医療につなぐ機能性で6年連続日本一(現在は9年連続)の評価を得ていた。自他ともに認める「最後のとりで」はコロナ禍で追い詰められていた。

 〈押し寄せる患者を追い返す「鬼」に私がなります。戦時としての対処です〉

 市役所訪問を前に、木原は院内に一斉メールを送った。職員29人が感染するクラスター(感染者集団)を経験し、医療崩壊を防ぐには職員を守る意思を示す必要があると判断した。

 〈最後のとりでが崩壊すれば、他の患者の命も犠牲になる〉

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 最初の感染者受け入れから約1カ月後の20年4月、中央市民病院の機能は院内感染でまひした。約1カ月間、外来や入院、手術を中止し、3次救急も止めた。

 そんな中でも重症のコロナ患者の診療は続けた。中央市民病院に代わる受け入れ先は少ない。未知の感染症とあって看護師と患者の接触を6割減らす目標を掲げたが、「普段通りの看護をしたい」との不満が噴出した。クラスターへの厳しい批判を浴びながらも、士気は失われなかった。

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 それから9カ月がたち、現場は疲弊しきっていた。「限界宣言」の翌日には予定手術が2割削減された。

 通常の集中治療室は、患者2人に看護師1人を配置する「2対1看護」だが、コロナの重症患者には「1対1」で対応していた。人工呼吸器の管理が難しく、病状の急変もある。無理をすれば、また感染防御が破綻する恐れがある。

 「1対1」で24時間看護するには患者1人当たり8人の看護師が必要になる。重症患者が増えれば、手術を減らして集中治療の経験者を集めるしかない。

 だが、第3波の逼迫(ひっぱく)は、さらに大きな危機の前触れに過ぎなかった。

■「最後のとりで」に迫る医療崩壊

 中央市民病院がコロナ患者受け入れの「限界」を宣言してから2カ月。従来株から変異株「アルファ株」に置き換わった感染「第4波」では、重症者はさらに増えた。神戸市保健所はピーク時には1日200人以上の入院調整に当たったが、収容できるのは神戸市内の病院全体でも1割に届かない。職員の焦燥は「最後のとりで」に向けられた。

 「中央市民が受けなければ患者は死ぬ」。2021年4月19日の院内の会議録には、受け入れを迫る保健所職員の言葉が記されている。危機的な要請に応えられないのは、医療者にとっても耐えがたかった。

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 4~5月には、入院患者が毎日のように亡くなった。20代や40代の若い患者も助からなかった。心肺停止状態の患者も運ばれてくる。自宅などで待機中に容体が悪化した人たちだ。

 その頃、50代の女性がコロナ臨時病棟で息を引き取った。防護具を着けた娘が傍らで泣き崩れている。自身が感染させたという負い目を一身に背負っていた。

 「いつ病床は空きますか」。家族を見守っていた看護師長の田中優子(49)=現看護部副部長=が医師に呼ばれる。重篤な待機患者を一刻も早く収容してほしいと保健所から頼まれたところだという。「まだご家族がいるのに」。田中の胸中は穏やかではなかった。

 多くの病院でコロナ患者の直接面会が禁じられる中、中央市民病院は終末期の面会を20年8月から実現してきた。家族の「そばにいて何とかしてあげたい」との思いに応えるためだ。

 患者が亡くなると、看護師は防護具を何度も着替えながら「お見送り」の準備をする。約2時間を要するが、欠かせない儀式だ。

 病床の回転を速める必要があることは理解している。だが、最後の別れをせかされるのは、やはりつらかった。

▼重症患者を中心に受け入れ

 中央市民病院は、神戸地域で唯一の「第一種・第二種感染症指定病院」だ。エボラ出血熱など最も危険度の高い「1類」感染症の診療も想定している。

 2020年3月3日に神戸市で新型コロナウイルス感染症の患者が初確認された後は、重症患者を中心に受け入れ、4月7日にはコロナの「重症等特定病院」に指定された。4月9日には院内感染が発覚。患者、職員計36人が陽性になり、患者2人が亡くなった。一時はほとんどの病院機能を停止せざるを得なかった。

 感染防止と診療強化のため、同年11月9日にコロナ専用の臨時病棟を開設。2棟のうちA棟で重症患者を受け入れ、集中治療の提供体制を整えた。秋以降の感染「第3波」では重症患者が急増。医療逼迫(ひっぱく)が現実味を帯びたため、コロナ患者の受け入れは46床を上限とすると宣言した。

 21年3月以降の感染「第4波」では、人工呼吸器を付けた入院患者が20人を超え、重症患者の受け入れも断らざるを得ない危機的状況が続いた。

 22年1月に始まる感染「第6波」以降は重症者の割合は減ったが、感染者が爆発的に増加。中央市民病院でも発熱外来を設置した。

 コロナが「5類」に移行した現在も、重症患者の受け入れに備える。

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 兵庫県内でのコロナ患者確認から3年余り。コロナの診療は5類移行で新たな局面を迎えた。重症患者の診療を担ってきた中央市民病院の歩みを関係者の証言や院内の資料でたどる。(敬称略)

 この連載は、論説委員・田中伸明が担当します。

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