レースの“聖地”伝え 多摩川スピードウェイ80周年でプレート

 かつて川崎市中原区の多摩川河川敷にあった日本初の常設サーキット場「多摩川スピードウェイ」の80周年を記念したプレートが29日、一部現存している観客席跡に設置された。ホンダ創業者・本田宗一郎の自動車への情熱に火をつけるなど、数々の伝説が残るカーレースの“聖地”。歴史に残す活動を続けている多摩川スピードウェイの会の小林大樹副会長(47)は「戦前の観客席が残るのは世界的にも珍しい。地域の観光資源として生かしてほしい」と語った。

 1936年に同区上丸子天神町に開設された1周約1200メートルの楕円(だえん)コースで、約3万人収容の観客席を備えたスピードウェイ。同年6月の「第1回全日本自動車競走大会」では、本田宗一郎が自身でチューニングした「浜松号」で参加、横転し重傷を負ったという。

 “伝説のレース”が繰り広げられたが、52年の二輪レースを最後に廃止。現在は野球グラウンドとして利用され、土手沿い約300メートルにコンクリート製観客席跡が残っているだけだ。

 同会は日本のモータースポーツ発祥の地を後世に伝えようと2014年、同スピードウェイや自動車産業に関わりのある車好きの有志が集まってスタート。「フェアレディZの父」や雑誌「カーグラフィック」創刊者の息子たち21人が、写真展を開くなどしてきた。

 プレートは縦横約60センチの陶板で、コースの説明や当時のレースの写真を記載。除幕式には当時出場した1924年カーチス号と26年ブガッティT35Cも駆け付け、クラシックカー愛好家のタレント堺正章さんが「80年前にここでモータースポーツの火が燃えたと思うと感慨深い」とあいさつ。福田紀彦市長も「貴重な産業遺産を一人でも多くの市民に知ってほしい」と話した。

 7月17〜31日には、市民ミュージアムで写真パネル40点や当時のレース映像を紹介する記念展(入場無料)が開催される。

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