「いっそ2人であの世に行こうか」妻の介護を40年続けた夫は、最後に海に突き落とした 周囲にサポートを求めず、なぜ1人で背負い込んだのか

妻を車いすごと海に突き落とした岸壁=9月、神奈川県大磯町

 2022年11月2日夕、神奈川県大磯町の大磯港。日が沈み暗くなりかけた岸壁に、車いすを押した年配の男が立っていた。周囲の人通りが少なくなった時、男は後ろから、乗っていた女性を車いすごと海に突き落とした。女性は当時79歳。脳梗塞で半身不随だった。突き落としたのは夫だ。およそ40年の間、ほぼ1人で妻の介護をした末に殺害した。警察には「介護に疲れた」と供述したが、その後の裁判を見ていくと、疑問が浮かんでくる。介護は夫だけで背負う必要がなく、周囲は負担を減らすサポートをし、妻が施設に入る見通しも立っていた。それなのになぜ、悲惨な結末となったのか。(共同通信=團奏帆)

横浜地裁小田原支部=9月

 ▽妻が突然発症、自分を責める夫
 横浜地裁小田原支部で開かれた公判の内容によると、男は1967年、知り合った秋子さん=仮名=と結婚した。「明るく社交的で、いい女」だったところに惹かれたという。勤務先はスーパーマーケットのチェーン。出張続きで忙しかったが、息子2人に恵まれ、充実した日々を送っていた。
 ところが1982年、秋子さんは脳梗塞で倒れる。左半身不随となり、1人では生活できなくなった。医師から「前兆があったはず」と言われた男は、家庭を顧みずに仕事ばかりしていた自分を責め、ある決意を固めた。
 「体が続く限り、一人で面倒を見て介護する」
 当初は秋子さんの母親や家政婦も介護を担い、男は仕事と介護、家事に取り組んだ。ただ、長くは続けられず、約5年後に会社を退職。コンビニエンスストアの経営などもしたが、2007年に自己破産した。
 その後、年金をためて秋子さんの通院先に近い、大磯町内の団地にある一室を購入した。賃貸にせず購入したのは、室内に手すりを付けるなど、秋子さんが生活しやすくするためだ。「自分が先に死んでも、秋子が施設で暮らせるように」と、貯金もしていた。
 秋子さんは自宅で浴槽につかれない。このため、特殊な設備のある温泉施設へも定期的に連れて行った。公判でその時のことを問われた男は「(妻は)大変な喜びようでした」と振り返っている。

車いすのイメージ写真(記事本文とは関係ありません)

 ▽衰える体力、妻を抱き起こすこともできず
 夫婦2人の生活に異変が生じたのは、2022年に入ってからだ。
 「(妻の)体力が衰え、私も老いが出てきた」
 この年の6月には、秋子さんは自力でベッドから車椅子に移動したり、車椅子からトイレに移動したりすることができなくなった。妻は自分より背が高く、さらに障害の影響でふっくらしたため、移動介助は骨が折れた。
 気付けば既に80代。介護負担が増すなか、いやでも自らの老いを意識した。秋子さんが自宅で車椅子ごと転んだ際は、ついに抱き起こすことができず、近所に頼った。
 それでも、男は妻をできるだけ1人で支えようとし続けた。デイサービスへの送迎も自分でこなし続けた。あくまで自力での介護にこだわり続けた理由は、義務感や責任感だけではなさそうだ。2020年9月、熱中症で倒れた際に秋子さんを一時的に施設に預けたが、1人になった男はこう感じたことも明かしている。
 「(秋子さんが)いないことでさみしくなった」
 この時は妻を施設から強引に退所させている。

神奈川県警察本部=2020年10月

 ▽施設入所に前向きな妻、長男の説得も拒む
 自力での介護は限界だが、妻がいない寂しさにも耐えられない。男はいつしか「あの世に2人で行ってしまおうか」と無理心中を考えるようになっていた。
 ある深夜、秋子さんの排泄介助がうまくいかず、ふと背後から妻の首を絞めた。自分の手で殺すことができるのか、試すつもりだったという。秋子さんが「何をするのよ」と言うまでの、ほんの2~3秒の出来事だった。ただ、それ以外にも、頬を叩くなどの暴力もしていたとみられる。
 長男はデイサービスの職員から話を聞き、父親の異変を知った。危機感を抱いた長男は、父を母から引き離そうと、ケアマネジャーに頼んで秋子さんを預けられる施設を探し始めた。秋子さんも入所に前向きだったが、父親は「自分で面倒を見る」とかたくなに言い続ける。長男が必死に説得し、一時的には納得しても、時間が少し経つと翻意することを繰り返した。

妻を車いすごと海に突き落とした現場と、付近に手向けられた花束=2022年11月、神奈川県大磯町

 ▽「いやだ」叫ぶ妻を突き落とし…
 そして2022年11月2日、長男は「母を預けられる施設が見つかり、入所のための面接の予定が入った」と父に知らせた。しかし、その日の夕方4時ごろ、父は秋子さんを車いすに乗せ、自宅を出た。心中するつもりだったという。妻には「長男が海で話があると言っている」とうそをつき、港へ連れ出した。
 岸壁でいぶかしむ秋子さんの車いすを、いきなり後ろから押した。その瞬間、秋子さんは「いやだ!」と叫んだが、そのまま海にザブンと落ち、車いすごと沈んでいったという。
 男が海をしばらく見つめていると「羽織っていたジャンパーだけ浮かんできた」。自分は結局、死を思いとどまり車で帰宅。犯行を打ち明けられた長男が警察に通報し、翌3日に逮捕された。一方、秋子さんは「海に人が浮いている」という目撃者の通報を受け、駆け付けた消防隊員が救助したものの、搬送先で死亡が確認された。

法廷のイメージ(記事本文とは関係ありません)

 ▽「生きている限りおわび」と悔やむ
 秋子さんが半身不随になってからの約40年、2人は夫婦げんかすることもなく暮らしてきた。ただ、生活全般のあらゆることを決めていたのは夫で、秋子さんが異を唱えることはほとんどなかった。秋子さんは暴力を振るわれても夫を非難したことはなかったという。
 一時入所した施設から妻を強引に退所させた時も、心中を考えた時も、男は秋子さんに相談したり、どうしたいか聞いたりすることはなかった。
 公判で弁護側は、この点を尋ねている。
 弁護人 「秋子さんの気持ちを確認しなかったのはなぜか」
 男 「理由はありません」
 弁護人 「秋子さんの気持ちを確認する必要はないと考えていたのか」
 男 「そうですね。反対するに決まってますから」
 この点は、検察側からも質問された。
 男 「先にあの世に送ったら、ある意味、家内も楽になるのじゃないかと思いました」
 妻をどうするのが最善か、決めるのは自分という意識が垣間見える。
 ただ、秋子さんの思いは夫と同じではなかったようだ。
 秋子さんは明るく社交的な1人の女性として生き、施設への入所を心待ちにしていたことが証人尋問や書面の証拠から判明している。
 男は時にこうべを垂れ、考え込むような様子を見せつつ聞いていたが、証人に立った長男から「40年間介護を続けるのはなかなかできないこと。罪を償って帰ってきて欲しい」と言われて机に突っ伏し、体中を振るわせながらすすり泣いた。
 公判の最後に意見を求められた際は、涙を流しながらこう述べている。
 「独断で妻をあんな目に遭わせてしまった。生きている限り、家内の霊に心の限りおわびしていきたい」
 判決は、懲役3年。検察側が懲役7年を求刑していたことを考えると、裁判所が男の情状をかなり酌んだと言える。判決理由の中でも、男の責任感の強さや長年の献身的な介護生活が、「1人で面倒を見る」という強いこだわりになっていったことが指摘されていた。
 木山暢郎裁判長は判決後、次のように説諭した。
 「秋子さんは、最期まで『生きたい』という気持ちがあったはずです。服役する中で、改めてなんでこんなことになってしまったのか考えてください。そして、元気で出てきて、穏やかに余生を過ごしてください」
 弁護側、検察側とも控訴せず、判決は確定した。

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