スターの座を捨て、自分の愛する音楽を追い求めた英ロック界の永遠のヒーロー、ロニー・レーン。“スリム・チャンス”時代の名盤と貴重音源をたっぷり網羅したボックスセット

左『Anymore For Anymore』(’74)、右『Ronnie Lane Just For Moment Music 1973-1997』(’19)/ Ronnie Lane & The Band Slim Chance、etc

前々回のこのコラムでラブ・ノークスを紹介する中で、彼と非常に似た音楽性を持つミュージシャンのひとりとしてロニー・レインの名を挙げたのだが、その名前を書いた途端にたまらなく彼のことを紹介したくなってしまった。彼もまた英国を代表するフォークロックミュージシャンであり、優れたソングライター、シンガーだった。ロニーのことを思い浮かべた瞬間に脳内に流れ始めた曲は「How Come」(1973年にシングルでリリース。全英11位のヒット)だったのだが、今回は同時期にリリースされたソロデビューアルバム『エニィモア・フォー・エニィモア(原題:Anymore For Anymore)』(’74)を紹介しながら、近年出されたボックスセットにも触れておきたいと思う。

スモール・フェイセス、 フェイセズを率いて

ロニー・レインは1946年にイースト・ロンドンで生まれ、育っている。英国で同い年ということで挙げてみれば、有名どころではジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)、シド・バレット(ピンク・フロイド)、ロバート・フリップ(キング・クリムゾン)、ミック・ロンソン(スパイダー・フロム・マーズ)、フレディ・マーキュリー(クィーン)らがいる。存命なら77歳になろうかという年齢だ。

彼の音楽活動で一般に知られる最も古いものはスティーブ・マリオット(リード・ヴォーカル、ギター)、ケニー・ジョーンズ(ドラム)、イアン・マクレガン(キーボード)、そしてロニー・レイン(ベース、ヴォーカル)という面々での、スモールフェイセスのメンバーとしてであった。テレビドラマの子役出身でスター性のあるキャラクターのマリオットは早くからブラックミュージックに傾倒し、R&B;を意識した喉が評判になり、彼をフロントにしたバンドはザ・フーと並び、モッズを代表するバンドとして人気を得る。

モッズはイギリスの労働者階級の若者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、ライフスタイルを含むユースカルチャー、サブカルチャーのようなものだろうか。60年代前半のBBCのテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』などを観ると、洗いざらしのような、ほどよく伸びた髪でお洒落なジャケットを身につけ、R&B;に合わせてダンスに興じる若者の姿を見かける。彼らを指してモッズといったものらしい。スモールフェイセスのアルバムジャケットで見るメンバーの姿を、当時の若者はこぞって真似たらしい。のちにはパンクロックのルーツとしてモッズ(特にザ・フー)系バンドがよく引き合いに出されたが、パンクバンドよりはるかに垢抜けていて、清潔感がある。

スモールフェイセスはヒット曲もいくつか放ち、ローリング・ストーンズに迫る人気バンドだったが、スティーブ・マリオットはピーター・フランプトンらと「ハンブル・パイ」を結成するために独立する。残されたメンバーは、第一期ジェフ・ベック・グループのメンバーだったロッド・スチュワート(ヴォーカル)、ロニー・ウッド(ギター)を招いて、新たにスタートしたのがフェイセズだった。

フェイセズは“小型ストーンズ”みたいな言われ方をされていた頃もあったが、全然そんなことはない。サム・クックやオーティス・レディングといったR&B;シンガーの影響をもろに受けたロッドのヴォーカルはマリオット以上にステージ映えするキャラもあって、たちまち人気バンドになった。後にストーンズのギターの一翼を担うことになるロニー・ウッドの泥臭いギターも魅力だった。さらにロニー・レインの書くカントリー・フレイバーな曲、同時に、いかにも英国らしい憂い、ナイーブな感性を伝える曲は琴線に触れるもので、スモールフェイセス時代以上に多くのファンを獲得することになった。ヒット曲も生まれたが、中でもロッド・スチュワートではなく、ロニー・レインがリード・ヴォーカルをとる曲の数々、特に「デブリ(原題:Debris)」(通算3作目、アルバム『馬の耳に念仏(原題:A Nod Is As Good As A Wink... To A Blind Horse)』(’71)収録)はロニー・レインらしさがあふれるフェイセズ時代の代表曲で、ぜひ聴いていただきたい一曲だ。

オリジナルメンバーによるフェイセズはスタジオアルバム4枚、ライヴ作1枚(脱退したロニー・レインに代わり、日本人ベーシスト、テツ山内が弾いている)をリリースし、どれも充実した内容で成功を収める。ライヴ作で聴ける熱狂ぶりを耳にすると、当時の彼らの人気のほどが窺える。ただ、ロッド・スチュワートは加入時からバンドと並行してソロでの活動も契約しており、次第に彼のロックスターぶりが鼻につくようになる。コンサートでもロッドはメンバーを自分のバックバンドであるかのように扱いだし、両者の間で溝が深まる。そして、スタジオになかなか姿を見せないロッドに業を煮やし、ロニー・レイン主導で制作された最終作『ウー・ラ・ラ(原題:Ooh La La)』(’73)が発表される。彼の楽曲が多い本作の評価は高く、ロニー・ウッドと共作し、ウッドがヴォーカルを取った「ウー・ラ・ラ」もヒット。アルバムは全英1位を獲得している。が、バンド内にできた亀裂、それ以上にロッドに限らずロックスターに祭り上げられるバンドの安っぽい姿、狂騒的な日々、馬鹿騒ぎに明け暮れる日々にロニー・レインはすっかり辟易していて、グループ脱退を決める。

アメリカ南部音楽への憧れだけではない、英国らしさが同居するロニーの音楽

本当にお伝えしたいロニー・レインの姿というのはフェイセズ後の歩みだ。本盤『エニィモア・フォー・エニィモア』(’74)は、フェイセズ脱退後すぐに結成したバンド「スリム・チャンス」を伴ってのデビュー作である。タイミング等を考えると、フェイセズを抜けること、自分のバンドを組んで新たな活動を始めることは割合早くから考えていたことなのだろう。自分の好きな音楽をひたむきに追求する、それはアメリカ南部のカントリーやR&B;を指す。なおかつ自分たちが暮らしてきた英国というアイデンティティーも忘れまい…と、このアルバムからはそんな彼の主張が見えてくるような気がする。

スリム・チャンスのメンバーは、ロニー(Ba&Vo;)の他にブルース・ローランド(Per)、ジミー・ジュウェル(Sax)、ベニー・ギャラガー(Ba&Gu;)、グラハム・ライル(Gu&Mln;&Bj;)、ケヴィン・ウエストレイク(Gu)、ビリー・リヴセイ(Key)、スティーヴ・ビンガム(Ba)、ケン・スレイヴン(Fd)。フィドルやバンジョー、マンドリンを加え、明らかにカントリーや今で言うアメリカーナ的な音楽を意識した楽器編成で、そこからでもフェイセズのようなロックをやるわけではないのだと、彼の意図するものが分かる。今ではこうした楽器編成をロックバンドが持ち込むのも珍しくないが、当時、ロニーの試みは誰よりも早かったのではないか。腕利きのメンバーが揃い、中でもベニー・ギャラガーとグラハム・ライルは英国フォークロックの名バンド、マッギネス・フリントの主要メンバーで、この後、英国きってのソングライターチームであるギャラガー&ライルとしても活動し、成果を残していく。

ロニーの書いたオリジナル曲の味わい深さがたまらない。彼もどこかジョージ・ハリスンと声質が似ていてフォーク、カントリー調の歌になると、その穏やかで繊細そのもののヴォーカルに、人のいい彼の性格を重ね合わせてしまう。一方、本盤には冒頭のトラッドジャズスタンダード「ケアレス・ラヴ(原題:Careless Love)」やゴスペル「ゴナ・シー・ザ・キング(原題:Bye And Bye(Gonna See The King))」を取り上げているかと思うと、米国人のバンジョー奏者で、ウディ・ガスリーの弟子ランブリン・ジャック・エリオットと共に50年代に渡英していたデロール・アダムス(名曲「ポートランド・タウン」のヒットでも知られる)の「ロール・オン・ベイヴ(原題:Roll On Babe)」を取り上げている。ランブリン・ジャックとアダムスが“ランブリンボーイズ”の名で英国で人気を得ていた頃の演奏に、ロニーは接したことがあったのだろうかと、ふと思ってしまう。こうした黒人ブルースでもなく、ヒルビリー、フォーク、カントリーに目を向け、そのまま真似をすることなく、ロニー調に置き換えてしまうあたり、特にハーモニカやアコーディオンなどの楽器の取り込み方が本当に上手くて、彼の抜群のセンスの良さを感じさせる。

『パッシング・ショー』なる一座が 移動式テント劇場で田園地帯をドサ回り

ロニーとスリム・チャンスは、フェイセズや同時期にメジャー活動しているロックバンドのように大きな会場や大規模な海外公演などほとんど行なわず、英国内の田舎を演奏して回った。「パッシングショー」と名付けられたそのツアーはレコーディング、PA機材を積んだトレイラー、そこに移動式のサーカス一座、旅芸人を伴ってのもので、それらの費用はほとんどロニーの個人資産をつぎ込んでのものだったという。当時、記録された映像などで断片的に目にするものや、近年になって制作されたアンソロジー映画ともいうべき『ロニー、ModsとRockが恋した男(原題:The Passing Show - The Life & Music of Ronnie Lane)』で知るそれは、実に楽しそうなどさ回りの一座で、実際にロニーはやっていて心底嬉しかったのだと思う。が、当然のことながら赤字続きで、かさむ費用、負担がのしかかってくる。次第にバンドも消耗していく。挙げ句に経理担当の男に売上金や蓄えを持ち逃げされるという事態に見舞われる。心底参ったはずだが、悲壮感を漂わせることなく健気に笑っているロニーの姿など見るとグッと来る。ロッド・スチュワートやストーンズ、同期のロックスターたちは華やかな日々を謳歌しているのに対し、自ら選んだ道とはいえ、彼は破産状態に陥っている状況。採算を度外視したようなパッシングショーの企画にはそもそも無理があったと思う。それでも彼を駆り立てたのは、彼が夢を追う人だったからだ。米国南部でかつては音楽と大衆芸能を融合させた「ミンストレルショー」や「メディシンショー」というものがあり、それはブルースやヒルビリー、カントリー、ウェスタン・スウィングといった音楽が少なからず大衆に浸透していくきっかけになったものなのだが、そこにロニーは強い憧れがあったのに違いない。簡単に紹介するのは難しいが、メディシンショーについて言えば、例えば薬の行商人が村々を回り、露天商を開く際に、呼び込みや客寄せにバンドや歌手を雇ったというものだ。一方、ミンストレルショーはコミカルな大衆演劇のようなもので、その伴奏音楽に、今日で言うルーツミュージックが使われていたのだ。「オー・スザンナ」や「草競馬」で知られるスティーヴン・フォスターもミンストレルーショーの作曲家だった。米国のルーツ音楽、大衆音楽を辿っていくと、決まってミンストレルショーやメディシンショーとの関係が浮かび上がってくる。ロニーは自分のバンドでそれを実践してみたかったのではないか。それが例え注目を浴びることも、ヒットする可能性さえも、ほんの少しの機会(スリム・チャンス)しかなくても。

病に蝕まれ、 身体の自由がきかなくなっても諦めない

本盤『エニィモア・フォー・エニィモア』、そしてよりルーツ色を強めた2nd作『スリム・チャンス(原題:Ronnie Lane's Slim Chance)』、3rd作『ワン・フォー・ザ・ロード(原題:One For The Road)』と、どれも甲乙付けがたい好盤を出していて、本当にどれを聴いていてもいい曲ばかりだし、温かな気持ちにさせられる。やりくりは火の車で、自分は安アパート暮らしであっても、自分のやりたい音楽を追求し、それを信念を持って長く続けていくこと。成功するって何なのか。好きな音楽を目指した先に、一体どんな夢が叶うというのか。ロニーや彼がスリム・チャンスの仲間たちと作ったアルバムを聴いていると、そんなことを思ってしまうのだ。

スリム・チャンスでの活動の後も、ロニーの人柄を慕ってか、友人たちは彼を見捨てない。旧友のロニー・ウッドやザ・フーのピート・タウンゼントらとコラボ作を制作したり、エリック・クラプトンとツアー(身分を隠し、ふたりでギターケースを開けて駅前でバスキングをしたこともあったらしい)をしたり。マイペースな活動を続けていたが、この頃に病を発症する。後には彼の命を奪うこの病は、じわじわと彼の体の自由を奪い、しゃべることにも支障をきたすようになるのだが、気丈に彼は振る舞い、晩年は念願の米テキサス州オースティンに移住して、恵まれた環境で気の合う仲間と音楽を続けたのだ。そして、ロニーは1997年6月4日に51歳の若さで帰らぬ人となる。多発性脳脊髄硬化症という今でも治療の困難な難病だった。晩年、奇跡的に実現した日本公演で病をおして車椅子でステージに出て、それでも精いっぱい歌い、ロック魂を示してくれた姿を思い出す。それは彼の最後になったツアーでもあった。

朽ちることのないロニーの音楽、 自分を曲げない生き方は今も有効

ライヴや音楽のイベントに足を運んでいると、若いアマチュアシンガーやギター弾き(彼、彼女)、彼らが参加しているバンドを目にすることがよくある。言葉を交わしてみると、遠慮がちにメジャーシーンで成功したい、ライヴ会場をいっぱいにしたい、CDを作って多くの人に聴いてもらいたい、できればそれで生活できたら…と、他愛ないようだが、真剣な希望を語ってくれたりする。それは我々、いい歳をして白髪頭で親父バンドなどやってる者だって、みんな、かつては同じように自分の才能を信じて夢を見ていたのだから、似たようなものである。少し照れ臭く、苦い記憶を反芻しつつシンパシーを覚えたりもする。そして、バンド内の人間関係をはじめ、なかなかうまくいかない音楽活動の悩みなど聞いていたものの、年長者の下手なアドヴァイスほど余計なものはないと思い、代わりに「昔、ロニー・レインって人がいてね。早くに亡くなってしまったんだけど〜」と人となり、残した音楽について少しだけリコメンドしたことが過去に何度かある。彼の活動遍歴、目指した音楽がどのようなものであるかを知れば、音楽活動に悩む若いシンガー、ミュージシャンの参考になるかと思ったわけなのだ。

亡くなってからはや26年が経つが、英国では今なお根強い人気を保っているらしく、2019年には6枚組のCDボックス『Ronnie Lane Just For Moment Music1973-1997』が発売されている。あえてスリム・チャンス時代から亡くなるまでに焦点をあて、特にソロデビューアルバム『エニィモア・フォー・エニィモア』を軸にスモール・チャンスとの録音はもちろん、多くの未発表ライヴ音源(日本公演の音源も含まれる)、テイク違い、シングルバージョン、ロニー・ウッド、ピート・タウンゼントとの録音、セッション、デモ、亡くなる直前に書かれた曲(最後まで諦めなかった姿勢に胸が熱くなったものだ)などで編まれている。

ジャケットのロニーの笑顔(素敵だ! カッコ良い!)。これこそが彼の音楽の輝きを表しているのではないだろうか。きっと、若い、Z世代の人たちにも、ロニー・レインという愛すべきヒーローがいたこと、残してくれた音楽を知ってもらいたいというスタッフや企画、編者たちの熱意が伝わってくる。ぜひ、聴いてみてほしい。

TEXT:片山 明

アルバム『エニィモア・フォー・エニィモア(原題:Anymore For Anymore)』

1974年発表作品

<収録曲>
1. ケアレス・ラヴ/Careless Love
2. ドント・ユー・クライ・フォー・ミー/Don't You Cry For Me
3. バイ・アンド・バイ/Bye And Bye (Gonna See The King)
4. 絹の靴下/Silk Stockings
5. 密猟者/The Poacher
6. ロール・オン・ベイブ/Roll On Babe
7. テル・エヴリワン/Tell Everyone
8. アメリア・イヤーハート最後のフライト/Amelia Earhart's Last Flight
9. エニイモア・フォー・エニイモア/Anymore For Anymore
10. 篭の鳥/Only A Bird In A Gilded Cage
11. チキン・ワイヤード/Chicken Wired

アルバム『Ronnie Lane Just For Moment Music 1973-1997』

2019年発表作品

<収録曲>
1. Just For a Moment
2. The Poacher
3. Anymore For Anymore
4. How Come
5. Tell everyone
6. Roll On Babe
7. Little Piece of Nothing
8. Anniversary
9. Brother Can You Spare A Dime
10. Don't Try 'n' Change My Mind
11. One For The Road
12. Annie
13. April Fool
14. Kuschty Rye
15. Barcelona
16. One Step
17. Spiritual Babe (Demo Version)
18. Strongbear's Daughter

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