かつてあちこち…神戸の町中華「一貫楼」姿消しつつ 製麺所がルーツ 店で異なる“売り”と風情

豚まんでおなじみの「三宮一貫楼」本店=神戸市中央区三宮町3

 「一貫楼」と聞いて、関西人が真っ先に思い浮かべるのはきっと、豚まんではなかろうか。だが、実は兵庫県内には、神戸・阪神間を中心に15もの「一貫楼」がある。店構えはそれぞれ違い、多くはいわゆる「町中華」といった風情だ。同じ一貫楼なのに、一貫性がないのは何ゆえ?

 そもそも、それぞれの一貫楼はどういう関係なのか。

 「僕もそれ、よう聞かれるんです」。そう話すのは、「三宮一貫楼」常務の安藤孝志さん(50)だ。この店が「一貫楼=豚まん」のイメージをつくっている。安藤さんはこう続けた。「全部、のれん分けした別々の店です。うちも、のれん分けした店です」

 こういうことだという。

 昭和の初め、神戸市中央区旭通に「一貫楼本店製麺所」があった。名前の通り製麺所で、ここから中華そばの材料を仕入れた店が、「地名+一貫楼」の名で出店した。神戸を中心に広がるにつれ、「5年以上の修行を積む」という、のれん分けのルールも定まったとみられる。

 三宮一貫楼の場合は、安藤さんの祖母・春子さんが同市兵庫区荒田町に構えていた「ひさご食堂」がはじまりで、まずは「荒田一貫楼」として出店。さらに「三宮一貫楼」に屋号を変えて今に至るという。

 それぞれの一貫楼からさらにのれん分けすることもあり、1995年の阪神・淡路大震災の前には最大で78店舗があったという。

 のれん分けした店による「一貫楼共同組合」がかつて存在したが、締め付けは厳しくなかった。出店する際、組合に供託金を支払う必要があるが、以後、上納金のようなものはなかった。メニューや値段を含めて、経営の縛りもほとんどなかったという。安藤さんの言葉を借りれば「チェーンともフランチャイズとも違う」。各店に一貫性を感じづらいのは、それゆえのようだ。安藤さんは「ぜひ店ごとの違いを味わって」と話す。

 三宮一貫楼が豚まんに力を入れたことから、そのイメージが強いが、ほとんどの一貫楼は豚まんも扱う、いわゆる「町中華」の店だ。

 阪神電鉄大石駅から歩いて約3分、住宅街に黄色い看板を掲げる「大石一貫楼」。店主の桒原尚(くわはらたかし)さん(63)は3代目になる。妻の幸代さん(62)と弟の克巳さん(60)の3人で店を切り盛りする。あっさりした味が特徴で、ラーメンや揚げワンタンが人気という。

 「大石」としての創業は、桒原さん兄弟の母チヤ子さんが開いた1969年。当時生活していた大阪での出店を考えていたが、以前に働いていた神戸の一貫楼の店主から「中華をやるなら、神戸や」とアドバイスを受け、後継者を探していた「阪神大石一貫楼」を継いだ。

 店名を「大石」に変え、父が2代目、尚さんが4年前に3代目に就いた。克巳さんは「小学生の頃、ロボットを作って胸に『一貫楼』と書くくらい、両親の店が自慢でした」と振り返る。

 ちなみに、一貫楼の名前の由来は、今となっては不明という。戦後、町のあちこちに中華料理店があった時代に、神戸・阪神間に根を広げていった一貫楼だが、他の町中華と同様、世代交代が進まず、その数は減り続けている。

 尚さんは「寂しい。誰か継いでくれる人、おらんやろか」とつぶやいた。(鈴木雅之)

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