全盲のプロレスラー大舘裕太さん(38)がデビュー 小児がんで右目摘出 左目も失明「見えなくても強くありたい」愛する息子へメッセージ

リングの上に立ち闘う、一人のプロレスラー。彼は、目が全く見えない全盲のプロレスラーです。
相手にいくら投げ飛ばされようと「息子に挑戦する自分を見て欲しい、諦めない精神を伝えたい」その思いで、何度でも立ち上がります。
全盲のプロレスラーのデビュー戦に密着しました。

病気で失明…それでも強くありたいとリングへ

大舘裕太さん38歳。目は全く見えません。住んでいるのは石川県ですが週に2日、一人で名古屋へ来ています。

(大舘裕太さん)
「(Qジムまでスムーズに来られましたね)何十回も来ているので」

高架下にある、プロレスのジム。大舘さんは3か月前、ここへ入門しプロレスラーを目指しているのです。練習前、しきりにリングの端を歩いて回る大舘さん。歩数でリングの広さを身体に覚えこませるためです。真剣に練習に取り組む姿からは「目が見えなくても闘ってみせる」そんな思いが伝わります。

(先輩レスラー)
「初めて見たときですか?よくやるなって思いましたね。プロレスってダイナミックな動きをするので。でもセンスがあるので、あんまり感じないですね、不自由とかやりづらいとかは。根性ありますね」

大舘さんは広島県生まれ。1歳になる前、両目に小児がんが見つかり、右目を摘出。左目は放射線治療で、辛うじて視力は残りました。

“強くありたい”という思いから柔道にも打ち込み1年で黒帯に。そして出会ったのがプロレスでした。

(大舘裕太さん)
「何度も立ち上がる姿。やられても諦めない魂がプロレスにはあって、子どもの頃に目が悪くて、いじめられたりとかあったので、立ち上がる(プロレスと自分を)重ねていましたね」

高校生になると、本格的にプロレスラーを目指し地元のジムに通うようになりますが、残った左目も病気で見えなくなってしまったのです。

(大舘裕太さん)
「プロレスができなくなってから、一時期(プロレスを)嫌いになっていた。(プロレスの)話題を聞くのも嫌だった。本当はやりたい気持ちがあったのに、その気持ちにふたをしてた」

息子になにが残せるか?「夢を諦めない」精神を教えたい

一度は夢を諦めた大舘さん。しかし20年近く経って再び挑戦を決めたのには、ある理由がありました。

高校卒業後、マッサージ師となった大舘さんはそこで働いていた女性と結婚。息子のしゅん君が生まれました。

しかし、5年前に大舘さんの膀胱にがんが見つかり、その後肝臓にも転移。死を意識したといいます。

(大舘裕太さん)
「当時子ども4歳だったから、小さい服を取り込んでいて、子どもが大きくなった姿を見られないんだなと思うと涙が出てきて。僕が死んだとして何か子どもに残せるかなと思ったときに(夢を諦めないという)精神面かなと思った」

息子に、諦めずに夢を追うことの素晴らしさを教えたい。その思いから再びプロレスのリングを目指すことを決意。そんな思いを、奥さんも応援してくれました。

(大舘さんの妻)
「元々エネルギーが余ってしょうがないタイプ。それをプロレスに向けると、みんなが喜ぶから。同じエネルギーが余っているなら、大好きなことで燃やした方がいい」

クラウドファンディングで練習の資金が集まり、唯一受け入れてくれたのが、名古屋のジムでした。

「お父さん勝ってね」リングに立つ父を見守る息子

3か月のトレーニングを経て、今年10月。岐阜県で行われたプロレスのイベントで、大舘さんのエキシビジョンマッチが行われることになりました。

奥さんと息子のしゅん君も、プロレスラーとしてのデビュー戦を見にきました。刻々と試合の時間が迫ってきます。

(息子・しゅん君)
「お父さん勝ってね」

(大舘裕太さん)
「きょうはお父さんは全力でやってくるよ」

父親が持つ白杖に、いつも手を添えているしゅん君。目が見えない父親がどう戦うのか、少し心配そうです。

一度は諦めた夢。家族に支えられながらリングへ向かいます。息子への思いを胸にゴングと共に前へ。

試合序盤は大舘さんも果敢に攻め続けますが、徐々に経験の差が浮き彫りに…。それでも、最後まで諦めません。試合終了のゴングが鳴りました。初戦を勝利で飾ることはできませんでした。

でも、勝ち負けが大舘さんの目的ではありません。リングの上でプロレスへの思いを語りました。

(大舘裕太さん)
「僕は21年前に目が見えなくなったことで、夢を見失いました。ですが、こうやってたくさんの人に支えられて、21年ぶりに見えなくてもリングに帰ってくることができました。諦めなければ夢はかなう!」

リングに最後まで立ち続けた父親の姿に息子は…

(息子・しゅん君)
「勝ったらプロレスやめるの?」

(大舘裕太さん)
「やめない、やめない。負けても諦めないってことよ」

プロレスを続けるために名古屋へ移住!「後戻りはできない」

この日、大舘さん一家はたくさんの荷物とともに名古屋に来ていました。

(息子・しゅん君)
「俺の部屋だ!父さんと俺で使う。こっちは俺であっちは父さん」

プロレスのために、一家そろって名古屋に引っ越すことにしたのです。

(大舘裕太さん)
「家族を巻き込んで、自分の夢(のため)に連れてきたので後戻りはできない」

諦めず、立ち向かう姿を息子に見ていてほしい。その思いで大舘さんは、今日もリングへ向かいます。

CBCテレビ「チャント!」2023年11月7日放送より

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