半生かけて覆した音の常識【上】 パイプ型スピーカーで「生の音」を再現 沖縄の「知名オーディオ」の軌跡

知名オーディオ創業者の知名宏師さん(前列左)とその家族たち=沖縄市の知名オーディオ

 家族経営のオーディオメーカー「知名御多出横(チナオーディオ)」が製造、販売する「TINA AUDIO」は最高143万円と高価格帯にもかかわらず、全国から注文が相次ぐ。人気の理由は、これまでの常識を覆したパイプ型スピーカー。創業者の知名宏師さん(76)が半生をかけて開発した。極限まで突き詰めた技術は、機能美も重なり、オーディオファンの心をつかむ。高まる人気に手作りの生産が追い付かず、予約は半年待ちだ。沖縄の職人が生んだ「最高傑作」に迫る。(東京報道部・照屋剛志)

驚く客 50万円でも即購入

 東京・千代田区の百貨店の一角。スピーカーから音楽が流れた瞬間、来場者たちが目を見張った。

 スピーカーからは、歌手のささやきやギターをつま弾く繊細な音までくっきり聞こえる。知名オーディオが出した1週間限定のショールーム。

期間限定のショールームで並ぶパイプ型スピーカーと知名亜美子代表=東京・千代田区

 レコードでもスマートフォンでも音源に関係なく、雑味のない「生の音」も心地よい。円筒形のパイプから出る音は、360度全方位に満遍なく広がり、どこにいても高品質の音を楽しめる。知名亜美子代表(46)は「知名オーディオを知らない人は、スピーカーの見た目に驚き、そして音の良さに驚く」と笑う。

 見た目と音質の美しさに魅了され、平均50万円の高価格にもかかわらず、即決で購入する客も多い。今回は1週間で5件の契約があった。

 幼い頃から音の再現に没頭してきた宏師さんが、半生をかけて開発してきた技術が詰まった「最高傑作」。人気は高まる一方だ。

電気溶接する知名宏師さん

米軍が捨てた部品でラジオ作る

 宏師さんは、小学4年生で鉱石ラジオ作りに夢中になった。牛乳配達の手伝いでもらった小遣いはラジオの部品にすべて費やすほどのめり込む。中学生で真空管アンプ、高校生でトランジスタアンプを製作するなどオーディオ作りに没頭していく。中学生で電気の法則や真空管の原理、アンプの電気回路などを理解し、設計までできた。工業高校の教師がアドバイスをもらうこともあったという。

 市販品が高価で手に入りにくい時代。作ったラジオやアンプは知り合いの大人たちに売って小遣いにした。宏師さんは「アメリカ軍のごみ捨て場で、真空管などの上等な部品を探してきて作ったよ」と振り返る。

スピーカー製造はすべて手作業。宏師さんのきょうだいや子どもたちが担っている

日米の技術学び起業

 大学を中退して、1966年にアメリカ兵向けのオーディオ専門店で修理工として働く。当時としては最先端のアメリカの技術に触れる毎日。宏師さんは「沖縄どころか、日本では手に入らないような高級なスピーカーや、部品も扱えて、とても勉強になった」。

 1975年に28歳で、知名オーディオを開業。国内大手メーカーの沖縄営業所に修理工として勤めながら、自店も経営した。宏師さんは「いろいろなメーカーの技術を学べたけど、とにかく忙しかったね」と話した。

 自宅には勤務していたメーカー主催の技術コンテストの賞状や盾が山ほどあるという。亜美子さんは「作業を始めると何時間でも一心に作り続ける。声をかけても気付かないほどの集中力。当時は夢中で技術を吸収していったと思う」。

「雑味の出ない音」を求めて

 1980年、自前のアンプとスピーカーの開発に着手する。まず取り組んだのが「電気溶接」。電気製品の部品接続で定番はハンダ溶接だ。ただ、部品と素材の異なるハンダでは、電流がスムーズに流れず「音に雑味が出る」というのが宏師さんの見立てだった。素材と同じ銅線で溶接に挑戦するが、髪の毛よりも細い銅線に適した溶接機が販売されていない。「それじゃあ作ればいい」

銅線を溶接するため、宏師さんが開発した溶接機

 宏師さんは小型の溶接機を開発してしまう。3年後、電子部品をすべて電気溶接したアンプが完成した。宏師さんの考えの通り、雑味がなく、生演奏に近い音質を実現。販売当初から「最小の音量でも極めて弱いピアニッシモまできれいに聴き取れる」と評判となった。1987年に特許を出願。今では、スピーカーとケーブルにも電気溶接を使っており、知名オーディオの目玉技術となった。

効率を度外視 強いこだわり

 亜美子さんは「こだわりが強いので、道具すら開発しようとする。時間も労力もかかって効率が悪く、失敗も多い。好きでなければここまでできないだろう」と話す。

 宏師さんのやまない好奇心は、常識を覆すスピーカーへと行き着く。だが、実現への道のりは、想像を超える苦労の連続だった。

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