阪神タイガース61年前の優勝パレードがすごすぎた 所要6時間、ファン50万人超で市電も立ち往生 元エースらが当時回顧

61年前のパレードで先頭のオープンカーに乗り込んでいた藤本義人さん=神戸市東灘区

 神戸市中央区で23日に予定されているプロ野球阪神タイガースとオリックス・バファローズの優勝パレード。兵庫県内で実施された過去の事例をさかのぼると、阪神が初めてセ・リーグを制覇した1962年に、壮大な規模で開催された記録が残っている。西宮市の甲子園球場を起終点に、尼崎市から神戸市までを巡る経路で、50万人を優に超すファンが集まったという。(小川 晶)

 「あんなパレード、後にも先にも1回きりちゃうか。今は交通規制やら警備やらでようできんやろ」。投手としてプロ野球歴代3位の320勝を挙げた小山正明さん(89)が、阪神のエースとして参加した61年前の盛り上がりを振り返る。

 このシーズン、阪神は2リーグ制導入後、初の優勝を果たし、62年10月5日に地元・兵庫でパレードがあった。当時の神戸新聞などによると、選手らはオープンカーやバスなど約10台に分乗して正午に本拠地・甲子園球場を出発し、尼崎市役所へ。その後、西へ折り返して神戸市役所を経由した後、甲子園球場に戻ったとされる。

 所要時間は、予定を大幅に超す約6時間。国道2号の周辺だけで50万人以上が集まったとの記録が残る。神戸・三宮のビル街ではテープや紙吹雪が舞い、近くの病院から入院患者が飛び出してきて踊ったり、立ち往生した神戸市電から乗客が身を乗り出したりする姿が見られたという。

 小山さんの阪神での優勝経験はこの1回きり。「ファンの歓声がすごすぎて、何を言うてるのか分からんかった。うれしかったけど、物珍しさもあったね」と思い返す。

   ○    ○   

 このパレードには選手やスタッフ、球団役員のほか、7歳の男児が参加していた。阪神を優勝に導いた藤本定義監督の孫の義人さん(68)=神戸市東灘区=で、当時は本山第一小学校=同区=の1年生。祖父と同じ背番号61のユニホームを着込み、先頭のオープンカーから手を振ったというが、「パレードの様子も、乗せてもらった経緯も覚えていなくて」と笑う。

 義人さんは、少年野球チームで投手として活躍。中学入学後はサッカーに転じ、県立芦屋高(芦屋市)では点取り屋として国体の選抜選手にも名を連ねたが、今に至るまで阪神ファンだという。

 リーグ制覇を果たした2003年の神戸でのパレードは現地で声援を送った。今回は、38年ぶりの日本一祝いとなるが、「年をとって人混みが苦手になってしまった」と、自宅のテレビで見守るつもりだという。

© 株式会社神戸新聞社