21日に行われる予定のワールドカップ予選シリア戦は、開催前日になってもTVの放送があるかどうかわからない状況となっている。
ファンにとって記憶に新しいのが、2010年ワールドカップのアジア2次予選最終節となった、2010年1月6日のイエメン戦だ。
すでに日本が通過を決めており、招集されたメンバーは実に13名が初招集で、遠いアウェイでの開催、そして1月6日というJリーグのオフシーズンに行われた試合…。
テレビの放映権が売れなかったため、急遽インターネットでのストリーミングのみの配信に。これは13年前は衝撃的な出来事であったが、この試合でチャンスを得たことがきっかけになった選手たちも多かった。
平山相太のハットトリックで3-2と勝利したこの試合でデビューした「後の日本代表中心選手」を5名紹介しよう。
権田修一
当時の所属:FC東京
現所属:清水エスパルス
日本代表での成績(2023年11月20日時点):38試合0ゴール
森保一歩監督の下で日本代表のレギュラーGKとなり、2022年に行われたカタールW杯でゴールマウスを守った権田修一。U-20ワールドカップへの出場権を獲得できなかった世代であったが、このイエメン戦でA代表に初招集。さらに西川周作を抑えて先発出場を果たしている。
ちなみに背番号は写真とは違って88番であった。
吉田麻也
当時の所属:名古屋グランパス
現所属:LAギャラクシー
日本代表での成績(2023年11月20日時点):126試合12ゴール
名古屋グランパスで若くしてセンターバックとして起用された吉田麻也。北京五輪ではあまり出場機会はなかったものの、その後Jリーグでの活躍によって評価を高め、この試合で48番を着けてデビューしている。センターバックのコンビを組んだのは菊地直哉。
なお、この招集を受けた直後にオランダへ移籍することが決まっていたため、試合開催時の所属はVVVフェンロー。
酒井高徳
当時の所属:アルビレックス新潟
現所属:ヴィッセル神戸
日本代表での成績(2023年11月20日時点):42試合0ゴール
この試合の3ヶ月前にアルビレックス新潟でJリーグデビューしたばかりだった酒井高徳。インパクトあるプレーを見せ、このイエメン戦で初のA代表に名を連ねることになった。
写真とは違い、この試合では86番という珍しい番号を着用してベンチ入りしたものの出場機会はなかった。
永井謙佑
当時の所属:福岡大学
現所属:名古屋グランパス
日本代表での成績(2023年11月20日時点):12試合3ゴール
圧倒的なスピードを持つアタッカーとして絶対的な存在感があった永井謙佑。まだ福岡大学の学生であったが、この試合で初のA代表招集だった。83番を着用してベンチスタートとなり、渡邉千真と交代で85分からプレーしている。
このイエメン戦の2年半後に行われたロンドン五輪では関塚隆監督の下で戦術の中心となり、カウンターとプレッシングを生かした「永井大作戦」でベスト4進出の原動力になった。
大迫勇也
当時の所属:鹿島アントラーズ
現所属:ヴィッセル神戸
日本代表での成績(2023年11月20日時点):57試合25ゴール
このあとしばらくして日本代表のエースストライカーになる大迫勇也であるが、実はこの試合では初招集で出場機会なし。
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鹿島アントラーズでは2009年に加入初年度ながらチャンスを得てコンスタントにプレーしたが、シーズンを終えたあとの国際試合でキャップを獲得することはできなかった。ちなみに写真とは違って背番号は99となっていた。