土居美咲らトップ選手を指導してきた佐藤雅弘トレーナー「グランドスラムの2週間を戦い続ける身体づくりが必要」[前編]

トップ選手を指導してきた佐藤雅弘トレーナー「グランドスラムの2週間を戦い続ける身体づくりが必要」

今年9月に惜しまれながらも現役を引退した土居美咲(ミキハウス)。キャリアハイは世界ランク30位で、グランドスラム本戦は36度出場、オリンピックも2度経験した。その活躍を陰で支えてきたのが、フィットネストレーナーの佐藤雅弘氏だ。

テニスの上達には技術向上が必要。それはプロであっても変わらず、トップ選手の多くがコーチをつけている。また、それと同時に厳しいツアーを戦い抜くためにはフィジカルの強化が不可欠だ。

佐藤トレーナーがこれまで指導したプロ選手は数知れず、世界を目指す男子ジュニアの強化を目的とした「修造チャレンジ」でもフィジカル部門の責任者を務める。錦織圭(ユニクロ)や西岡良仁(ミキハウス)らのジュニア時代も間近で見てきた佐藤トレーナーの原点や心がけていること、日本のプレーヤーが世界で戦うためには必要なことなどを聞いた。

Q:トレーナーになるまでの経緯や幼少時代や経歴などをお話をいただけますでしょうか。

佐藤雅弘トレーナー(以下:佐藤トレーナー):山形県酒田市という日本海側に面したところで私は3人兄弟の末っ子として生まれました。幼少時代は、野山を駆け巡ったり、竹を切ってきて棒高跳びのまねごとをして野性的に遊んでいました。中学に入学し陸上部の練習を見学しにいき、グラスファイバー製のポールを使って空高く跳んでいる棒高跳び選手の姿を見て、陸上競技にのめり込みました。しかし、現役中は怪我をすることが多く、大学での競技生活を断念し、フィットネストレーニングを本格的に学びました。

Q:修造チャレンジのスタッフでスポーツ心理学の専修大学佐藤雅幸教授は、実兄と何いましたが、兄弟の関係性など伺えますでしょうか。

佐藤トレーナー:兄(佐藤雅幸さん)が当時、桜田倶楽部でジュニアのトレーニングを指導していました。その流れで兄から『1回テニスの現場を見に来いよ』と言われ連れて行かれました。週1回のはずが2回になり、しばらくすると私が本格的に担当することになりました。丁度、(松岡)修造さんが中2ぐらいの時だと思います。当時は何もないグラウンドとトレーニング機材もないような時代に創意工夫を重ねてトレーニングをやっていました。

Q:佐藤トレーナーの当時のトレーニングは陸上競技のアイディアをアレンジしていたということでしょうか。

佐藤トレーナー:テニスという競技も全く知らなかったので、当時の桜田倶楽部ではどのようなウォーミングアップをするのか見ていました。その現場ではランニングをして、ストレッチを少しやり、ミニテニスをやって練習に入っていくという流れでした。正直、『あれ?これで終わりなの』というのが率直な感想で、競技性の違いもあるのですが、例えば100メートルの短距離走の選手だったらサブグラウンドで本番に近い状態に上げておいて一発勝負です。棒高跳びの場合ですと、競技では8回くらい跳ぶ中のピークをどこに持っていくかが大切で、からだと心の準備の仕方がテニスとは全然違っていました。

当時の「トレーニング」というのは、みんな辛いもの、キツいものという固定観念があったので、出来ればジュニア達はやりたくないんですね。(笑)ラケットを持ってボールを打っているときは、いくらでも体を動かせるのですが、練習が終わり、トレーニングの時間になるとみんな帰りたがる。どこかが痛いとか理由をつけてやらないジュニアが多かったですね。

私は、トレーニングは競技力向上だけでなく、怪我や故障から身を守るためのも大切なものだということを理解してもらうため、チームで楽しくやる種目から入っていっていきました。今で言うコーディネーション、リズムとかタイミングなどの要素を入れながら、『これできる?できない?』という形でモチベーションを高めながら少しずつ進めていきました。

Q:昭和の時代には指導者も厳しいものを要求してきていたように思います。佐藤トレーナーもまた厳しいトレーニングを受けられていたと仮定するとこのような柔軟な考えは珍しいことだと思うのですが、それは陸上競技からの応用によるものを多く取り入れられたのでしょうか?

佐藤トレーナー:トレーニングが楽しい!役に立つ!大切なもの!・・・という事を理解してほしかったので、低年齢のジュニアに関しては、主に遊びを中心としたプログラムを作りました。できた種目に関しては、次の形を見せて目標を持たせるようにしていました。陸上に関しては「棒高跳び」をやっていましたので、器械体操的な要素が多かったので苦手なマット運動や鉄棒というものがパフォーマンスを向上させるための必須条件です。地面から足が離れると空中での身体動作がカギになります。例えばマット運動での「後転倒立」、鉄棒での「蹴上がり」というのができないといけない、それができるようになるとメインである「棒高跳」の方のレベルが上がっていくのです。一見遠回りのようだが、ここでマスターしておくことで、必ず競技のパフォーマンスが上がるということを感じていました。

逆にテニスという競技を知らなかったので怖いもの知らずのようなところはありました。トレーニングをきつくすることはできるのですが、子供達をいかに惹きつけさせてトレーニングの人数を定着させ、「あ!トレーニングの時間だ」と子供たちのモチベーションを上げて取り組んでいくために工夫していました。

Q:佐藤トレーナーとの時間は皆さん楽しかったのでしょうね。テニスの時間が終わってもできたことを報告できたりすることも。

佐藤トレーナー:今でもそうなのですが、「修造チャレンジ」で16歳、18歳という年代になると、楽しくというよりも厳しさがメインになりますが、10歳から12歳が対象となると、私もやっていて楽しいんですよね。「これできる?小学1年生のレベルだよ」なんて言いながらやると、子供達も「これ小学1年生ができるの?」なんて言いながら笑顔でやるんですよね。1回できるようになると、「みんながやってないだけだからやればできるんだよ!」って。できるスピードはみんな違うけど、それぞれのテニスクラブに帰ってからもできるような提案をすることが楽しみでもあります。

Q:今と昔を比べてみると変化を感じられることはあるのでしょうか。子供たちの体つきや筋肉の量など違いなどがあれば教えてください。

佐藤トレーナー:遺伝的なものはあるとは思うのですが、全体的に身体は大きくなりました、特に身長。背が高くなってきて脚も長くなりました。関節が長ければ出力も大きくなるので、外国人に近い体型の子が増えてきています。ラケットなどの道具の進化もあり、テニス自体はものすごく上手いのですが、そこからさらに一歩、私たちの分野の「身体」ということを考えるとテニスは片側性のスポーツであり、わかりやすく言うと片側の使用頻度が高いスポーツなので身体の歪みが出てきます。テニスは上手くなった一方で、テニスばかりやっていて総合性がない。そういうところの身体機能のレベルは下がっているように思います。

修造チャレンジでトレーナとして活躍する佐藤雅弘氏

Q:昔、体育の授業でやっていたこともやらなくなった、ということも原因のひとつなのでしょうか。

佐藤トレーナー:体育の方でも準備体操をやっていると思いますが、例えば、「ラジオ体操」をきれいにしっかりと器械体操の選手がやるようになれば、あれがもうウォームアップになっています。極端に言えば(ラジオ体操は)ダイナミックストレッチですから、正しいフォームで実施することによって、関節の可動域を大きく動かすので柔軟性の向上にも繋がります。ただそこまでだと、競技の方に移行するには十分ではないので、テニス競技の特性を考慮した中での種目を導入した準備することが大切になります。

振り返れば、昔の子供たちはいろんな遊びをしていました。例えば友達同士でグループを作って家の周りを「リレー」したり、それも一方向からではなく対戦相手と逆方向から回ってみたり…。「インターバルトレーニング」にもなっていて、子供の頃にやっていた「遊び」が科学的なトレーニング理論と合致していました。野山を駆け巡っていた経験というのが、不規則な地面など平坦なところではないところを走ることでバランスをとる能力が自然と伸びていたりします。今で言うクロスカントリーです。オフロード着地での衝撃が抑えられることで故障のリスクを減らし、身体全体のバランスが自然と鍛えられていたんです。

テニスの技術はレッスンで上手になっていくが、最終的には「地の身体」が弱いので、上のレベルに行くとフィットネスなしではどうすることもできないことがある。テニスの選手の優先順位は、①打球スキルの向上②ケガしたらケアをする、というこのローテーションがあるため、なかなかブレイクスルーできないのは、フィットネス、身体の力への優先順位が遅れていることに原因はあると思います。今すべき事をしっかり実践して、忘れ物をしないように。今やらなければならないものは何かに気づいた人達は伸びています。

Q:「トレーナー」という職業が認知されていなかった時代に何がきっかけとなったのでしょうか?

佐藤トレーナー:大学を卒業し3年ほど大学の助手として勤務していた時に、当時(財)吉田記念テニストレーニングセンター(TTC)所長の橋爪功さんから、日本にはない科学的なトレーニングを取り入れた施設を作る計画があり、そこで「フィットネスという部門を置きジュニア部門、プロの選手も含めてた育成強化の方をやってみませんか?」と声をかけていただきました。日本で初めての施設で「フィットネスを佐藤さんの思う通りにやってもらっていいから」と言っていただいて、当時30歳でしたが競技者の育成強化に関わることができることに興味が湧いて心が動き、1990年にTTCに入職しました。

Q:そこから本格的なトレーナーとしての活動が始まったのですね。

佐藤トレーナー:当時TTCには、エリエールという最新式の測定・トレーニング機器が導入され、現在でいう動作解析をするリサーチルームというのもありました。今では、テクノロジーが発達し、簡単に出来るようになりましたが、その当時、専門の分野とテクニカルな部分をリンクさせて良いものを作るために長時間費やし苦労したことを思い出します。施設(TTC)ができる前には、アメリカのオリンピックトレーニングセンター(コロラド州)に視察に行かせてもらったり、テニスの現場ではニックボロテリー(現在のIMGアカデミー)やハリーホップマン(現在のサドルブルック)に研修に行き情報を収集してきたりしました。

Q:そこで得た知識と経験をもとに始動したという感じですか。

佐藤トレーナー:そうですね、アレンジはしていますが、30年前とベーシックなところは全く変わっていません。ジュニアでもプロでも最初に取り掛かる内容というのは昔から同じです。例えば、普段の姿勢づくりや走り方、腕の使い方などですね。走り方がカッコ悪い子供たちには正確なフォームというより、とにかく見てカッコいいフォームを作ろうと言っています。数値とかもフィールドテストをやっていると出てきますが、フォームが変われば必然的にタイムは伸びていきます。昔は誰々がこの数値のタイムを出したのでこれを目標に、ということがありましたが、効率よくスピードの出る走り方や正しい姿勢の保ち方ができるようになると切り替えのスピードも上がります。正しいことを最初にしっかり教えておけば後は応用が利く。ベースがないものに欧米の選手がこんなトレーニングをやっているから、としてみてもあまり意味を成しません。テニスの例で言うと、「振り回し」は私たちから見ると根性論的なものに近い認識で、まずは正しいフォームで打てるところからだんだん移動距離を広げていけばいいのではと思ってしまいます。

テニスのトップ選手たちというのは、いろんなフォームがあり個性的ですが、最終的にはみんなバイオメカニクス的には合理的で美的にも美しい。短距離走を例にとるならば、未発達な子供たちにタイムを縮めるためにガムシャラに頑張らせることはマイナスに働きます。大切な事は、子供のうちに、正しい運動プログラムを植えつけておくことです。それがあれば、身体が大きくなればその正しいプログラムがあれば自然と伸びていく、物の優先順位を間違えずにきちんとやっておけば良いのですが、タイム優先でやると(その時は)良くなるけれど身体ができてきた時に伸びないということがあるということを知っておく必要があります。

Q:若い時、力がある時には基本や型よりもなんとかできてしまいそうな感じがします。その方が頑張ったような気もするし全力を出したような充実感もあります。

佐藤トレーナー:結局は試合が物語っているように思います。グランドスラムは2週間と長く、予選から出場する選手の場合は3試合のハードな試合を勝ち抜いて本戦の2週間を戦える身体なのか、1回だけでよければ持っているパワーを出し切ればいいですが、これが5試合、6試合持ちますかということです。目標はトーナメントを勝ち続けることで、例えば選手が持っている筋力だけで戦えると思っていても、平均の出力発揮レベルが勝ち進むにつれて下がってきてしまう。大きな筋肉、小さな筋肉をコントロールして例えば6:4ぐらいの割合で上手く力を出せれば、普段自分が過剰に発揮している100%の出力をもっと効率よく、長い時間、発揮するこができ、体力の消耗を防ぎながらパフォーマンスを引き上げることが可能になると思います。

特に女子の選手だと、私が担当してきた奈良くるみさんや土居美咲さんは身長が低いこともあり、高く弾むボールに対して対応していく必要がありました。その当時の形態を見ても下半身に比べ上半身の貧弱さを感じました。そこでまずは筋力強化を図るためにウエイトトレーニングを取り入れました。相手のパワーのある弾むボールに対してもしっかりと受け止めて跳ね返すことの出来る筋力とそれに付随するスタート時の1~3歩、リセット時の速さまでの準備を早く「動きは最大!」をキーワードとしながら、その他の体力要素も含めて、グランドスラムの2週間を戦い続ける身体づくりをやってきました。

昨年は奈良くるみ、今年は土居美咲が現役を引退。佐藤雅弘トレーナーは両選手ともトレーニングを担当し、トップ50で戦える身体を作り上げた

Q:土居さんのお話が出たところで引退に至る経緯などの記事を読んだのですが、腰痛からツアーを休んで休養し、いろいろ取り組まれた様子と引退についてお話しできる範囲で構いませんので、佐藤トレーナーとしての見解をお願い致します。

佐藤トレーナー:彼女から最初にオファーを頂いたのは2014年12月でした。当時は特に大きな痛みを持っている箇所もなかったように思います。膝の痛みが出てきた時がありましたが、その時にはPT(理学療法士)の資格を持ち機能解剖的な側面からアプローチするトレーナーと共に情報を共有し、補強運動・強化プログラムを組んで、その時は痛みを改善することができました。年間30大会を海外で過ごすので日本にいる期間が少なく、帰国直前に彼女から痛みの報告を受けることがありました。

帰国時には調整期間となるはずで強化も含めてトレーニングを進めるつもりでしたが、身体の方がマイナスの状態だったため、まずはPTのチェック後、リハビリメニュからのスタート。日本滞在が2週間位だと強化の時間が中々取れないまま次の遠征に向かうという状況もありました。今回の腰痛の件に関しては、専門の先生に診ていただいたりしながら様々な対処法やアドバイスをもらって試行錯誤を繰り返しましたが、これ以上のリスクは取れないという本人からの意向もあり、今回の決断に至った訳です。医療の現場でも「チーム医療」ということが言われていて、医者、患者、PT(理学療法士)、それを支える家族がひとつのチームになっていかないといけない。「本人も私を含めた周りのスタッフも悔しい思いはありますが今後の課題としていきます。

土居美咲の引退試合となった東レPPOに駆けつけた守屋宏紀、佐藤雅弘トレーナー、土居美咲、奈良くるみ(写真左より)

トレーナーの立場から発言させてもらうと、選手にとってはコーチが主なのでそこが柱となって、同時進行で我々がフィジカルの強化や怪我につながる動き、疲労などをリカバリーしていくことに関してチームとしてスタッフのコミュニケーションをもっと取れるようにしていかなければいけないと感じました。現在ではランキングは落ちてしまいましたが、当時はグランドスラムの本戦に入ることが(土居さんの)モチベーションではなく、フルで思い通りの試合ができることを目指していました。「たられば」で言えばいろいろありますが、最後の締めくくりが東レPPOで(幸運にも)本戦1回戦は世界ランク49位の選手(ペトラ・マルティッチ)と対戦することになり、これで終わりかな?と本人も思っていたようですが、試合後本人に会ったら「勝っちゃった」と「これでランキングが上がるね!」と(笑) 最後になった試合も当時世界ランク6位のマリア・サッカリー(ギリシャ)戦は、引き際であそこまでできて本人も「思いっきりやれました!」と言っていました。

トレーナーとして、次の世代に後悔をさせないように、正しいこと、怪しいこと、この人には効くけどこの人には効かない場合もあるとか、「学ぶ姿勢」がなければいけないと考えています。もう一つ、子供も親にも言えることでボブ・ブレッドさん(2021年に逝去/グランドスラムチャンピオンを育てた名コーチで修造チャレンジ参画など日本テニス界の発展に貢献)がよく言っていた言葉に「アビリティー・トゥ・ラーン」(ability to learm:学習する能力)がありました。学ぶ能力、自分から「これは面白いな!」とか「楽しそうだな」とか「やってみたいな」とか自分から学んでいく力が少なくて、課題を与えられて「はい、やりました」と言うだけでは発展しない。これが正しいよと与えるのは簡単だけど「これをやったら面白いよ」というヒントを与えて、さも自分が掴んだような感じにさせる、掴ませて自己効力感を上げていくというのが今思えば(選手に対する)狙いだったのではないかと思います。

修造チャレンジでの佐藤雅弘トレーナー(写真右)と世界的名伯楽のボブ・ブレッド氏(2021年逝去)

© 株式会社キャピタルスポーツ