「父親のような存在」GACKTが涙ながらに語った緒形拳さんとの絆 毎年お墓参りで報告も

(撮影:竹中圭樹)

4年ぶりとなる主演映画第II弾『翔んで埼玉~琵琶湖より愛を込めて~』が11月23日に公開されるGACKT(50)。さらに20年ぶりに続編自伝『自白II』が22日に緊急刊行される(光文社刊)。本誌でのインタビューをもとに、衝撃の後半生を本人がすべて書き下ろしている。

役者GACKTの“心の父”は大河ドラマ『風林火山』(’07年)で共演した緒形拳さんだった。同書から一部を抜粋、再構成してお届けする。

ボクを導いてくれたのは心の師、心の父とも言える〈緒形拳〉との出逢いだ。拳さんが謙信の軍師・宇佐美定満役を受けてくれたことがボクの人生にとって大きな転機となった。

彼は本当に面白い人だった。会うたびにどんどん惹かれていった。

ある日、台本読みのリハーサル中に監督のアシスタントが「緒形さん、そのセリフはカットになりました」と言った時のことだ。拳さんはしばらく間を置いて無表情で「おお、そうか…」と答えその場はサラッと進んだ。もう一度、頭から台本を読み始めることに。拳さんのカットになったセリフの手前まで来たとき、「なあ、監督…。これはなんで短くしたんだ?」と言った。

アシスタントが間髪入れずに「時間の都合です。よろしくお願いします」と割って入った。しばらくの沈黙の後、拳さんはまた「おお、そうか…」と答え台本読みが進む。もう一度、初めから読み合わせが始まる。拳さんのカットしたセリフの前でまた「なぁ監督…。これは、なんでカットしたんだ…?」と無表情ながら強い語気で質問した。

すると、困った監督が「あの~、時間の都合で〜」と申し訳なさそうに言った。長い沈黙の後、「おお、そうか…」とまた再開する。その場にいた全員がこの凍りつく時間にドキドキしていた。『何かが起きるぞ!』とボクだけがワクワクしていた。

台本の読み合わせが終わって全員が立とうとした時、拳さんが口を開いた。「監督…、セリフっていうのはな、役者の命だ。つまりオマエは…、時間の都合でオレの命を奪うのか…?」と。監督があたふたしながら「いえいえいえいえ! 奪いません!」と支離滅裂なことを口走る。『この人、めちゃくちゃ面白い!』とボクは笑いを堪え肩を震わせていた。どこまでが本気で、どこまでが歌舞いているのか、誰にもわからない。

亡くなってから聞いた話だが、拳さんはこの大河ドラマに出る直前にガンの摘出手術をしていた。退院もかなり早め、過酷な撮影に挑んでいた。体調が悪い日も多く3時間待ち、4時間待ちの時もあった。実はこの時、体調が悪くて起きられないような日でも、マネージャーに「ガックンが待ってる」と言ってくれていたらしい。

ある日のリハーサルのことだ。謙信の父親の宿敵だった、拳さん演じる〈宇佐美定満〉を説得し自分の軍師になってくれと願う[三顧の礼]のシーンの台本の読み合わせの時のこと。宇佐美はもともと謙信の父親の宿敵で何度も謙信の父親の行手を阻んだ人物だ。宇佐美に初めて自ら会いに行き、己の軍師になってほしいと願いを届けるシーンだ。リハーサル終わりに、「ガックンな、大河ってのは恋愛のシーンがほとんどないだろ?このやり取りは、言わば恋愛のシーンみたいなもんだ。オマエの今の言葉では、オレの心は動かん。本番までに仕上げてこい」と言われた。その日から本番までの5日間、一人でセリフの練習を何度も何度も重ねたが、やればやるほどわからなくなっていった。

[演じることとは演じないこと][演技とはそれを表現する技術のこと]、普段から拳さんがボクに言っていた言葉だ。これがずっと理解できなかった。このセリフの練習をしている時にふと、一つの考えが頭をよぎった。『演技をすることとは、与えられた役を自分に纏うのではなく、自身の積み重ねた経験によって得た多くの感情や想いを、役を通して表現していくことなのか?』と。この頃のボクはすでに拳さんに心底惚れていた。しばらく考えた。『謙信のセリフとして[意味]や[内容]を相手の役・キャラクターに届けるのではなく、ボク自身が拳さんに想う素直な気持ちを役のセリフに乗せ、その想いを真っ直ぐに届けよう』と決めた。本番当日、「カメラリハが終わったら、すぐに本番にしてほしい」と監督に伝えた。何度もできないかもしれないからだ。拳さんも「ガックンがそう言うならそうしよう」と答えてくれた。

■拳さんの動きが止まり顔が急に怖くなった

拳さんの背中側にカメラが何台も並び、すべてのカメラが拳さんの背中越しにボクを狙っている。拳さんは背中しか映っていない。本番が始まった。拳さんに対する想いを謙信の長いセリフに乗せ素直に届ける。セリフの途中で拳さんの厳しい表情がスーッと『ほー』という顔に変わっていった。最後のセリフが終わった。まだカットがかかる前だ。拳さんはカメラにわからないようにニコッと微笑み、そっと親指を立て『よかったぞ!』と満面の笑みを届けてくれた。

その時に新たな喜びと気づきを得た。『ボクはこの人に喜んでもらうために、それだけのためにここに来ているんだ…』と。今までは仕事はすべてファンのためだけのものだった。自分の感情はまったく関係なく、私情などはいらないと思っていた。その日、初めて持った感覚に驚いた。『ボクは拳さんに喜んでもらうためだけに演技をやってるんだ…』と。『たった一人に喜んでもらうために何かをすることが、これほど幸せなことだったんだ』と初めて気づかされた。それまで演技をするということに迷い道を見失いかけていたボクを、拳さんの優しい笑顔がいつも導いてくれていたことに気がついた。

撮影中盤に差し掛かった長野のロケに行った時のことだ。昼休憩に入り車内で休んでいた。拳さんがいきなり車のドアをパッと開けて、「おい、ガックン。シイタケ食うか?」と言ってきた。カセットコンロの上で、フライパンでシイタケを焼いていた。「オレは弁当、食わないんだ。どんなことがあってもその場で火を通したものしか食わない。便利なものを口にすると早死にするぞ…」と言った。フライパンを囲み、ふたりで食べた。ボクはなぜ、その時にこんなことを言ったのかわからなかったが、拳さんに言った。「拳さん…、ボクの演技でこれは違うなと思うことがあったら必ず言ってくださいね…」と言うと、拳さんの動きが止まり顔が急に怖くなった。

こちらをずっと見ている。暫く沈黙が続いた。ゆっくりと箸を置いた拳さんが口を開いた。「なあ、ガックン…。オマエがやらなきゃいけないことは、オレはこれまで全部言ってきた。周りがオマエの演技をどうこう言うかもしれない。だがな…、この緒形拳が言うんだ。オマエはできてる。オマエがやらなきゃいけないことはすべてできている。他の周りの誰が何と言おうとオマエはできているんだ」と。すごく厳しい顔で一つ一つゆっくりと言葉を届けてくれた。そして急にニコッと微笑み、「大丈夫。パパがついてる…」と言い、また箸を取りシイタケを食べ始めた。ボクは届けてくれたそのあまりにも優しい言葉に、『ずっとこの人はボクを守ってくれていたんだ…』という想いに胸がいっぱいになった。それまで詰まっていた感情が雪崩のように溢れ出た。気がつけばボロボロと涙がこぼれ落ちていた。泣きながら何度も何度も「ありがとうございます…、ありがとうございます…」と繰り返していた。愛情に疎遠だったボクにとって、人生で初めて他人からの愛を深く感じた。この日の出来事は昨日のことのように鮮明に覚えている。

大河の撮影も終わり、その後すぐにハリウッド映画の撮影でルーマニアに行くことになった。同時に拳さんは北海道での撮影が始まった。その作品が拳さんの遺作となる。撮影の間もずっとLINEで連絡を取り合っていた。「撮影が終わったら、日本で一緒に蕎麦を食べに行きましょうね」「おー、蕎麦かぁ。大好きだぞ」とたわいもない話を交わしていた。

拳さんと食事に行く約束の日のちょうど2週間前、突然、彼のマネージャーから連絡が入った。なぜかわからないが携帯を見た瞬間に『亡くなった』と虫の知らせを感じた。電話を取り「亡くなったのか?」と聞くと、「先ほど亡くなりました…」と泣きながら言葉にならない声で彼女がそう言った。

その後、遺族の方たちが特別に時間を作ってくれた。ふたりきりで過ごす時間を作ってくれていた。棺に寝ている拳さんは穏やかな顔をしていた。その顔を見て、「アナタは本当にすごい人ですよ。きっと、撮影の最中もずっと痛かった、苦しかったはずなのに…。いつも笑ってましたもんね」と語りかけていた。歌舞いて生きてきた人のとても安らかな最期の寝顔だった。『自分もそういう人生でありたい』と素直に思った。最後まで笑って見送ろうと、とにかく笑顔でいることを心がけた。拳さんに別れを告げた後、玄関で待つ遺族の方たちに挨拶をした。「本当にこうやって時間を作っていただいてありがとうございました。ボクは拳さんに本当に救われました。ボクにとって拳さんは父親のような存在でした」。そう告げた瞬間に急に壊れた蛇口のように涙が溢れ出てきた。我慢しようとしたがどうにもならないほど泣いていた。そこから2週間、完全に壊れてしまい、何もできなくなってしまった。

[拳さんから受け取ったもの。それを一人でも多くの人に届けなければ]という想いだけがいまだにボクが演技を続ける理由だ。拳さんが最後に遺してくれたもの。それを止めたくはない。

毎年、彼のお墓に行って「まだ頑張っています、次はこんな作品をやるんですよ」と報告している。それは自分がまだ笑顔で頑張っていることをただ伝えたいだけなのかもしれない。だが、あの出逢いがあったからこそボクは大河を乗り切れた。こうやって演技を続けてきたからこそ【翔んで埼玉】や他の多くの素晴らしい作品にも巡り合えた。人生の節々でキーとなる人たちが多くの生きる[意味]と[教え]をくれたことが今のボクのすべてに繫がっている。

大河の共演を機に緒形さんから数多くのことを学んだ。

© 株式会社光文社