2003年にイラクで銃撃死の奥大使しのび ラグビー追悼試合続ける英男性に秋の叙勲「カツが一緒に喜んでくれたら」

2002年の早稲田大-オックスフォード大戦後、記念写真に納まる奥克彦さん(右)とレジ・クラークさん(クラークさん提供)

 2003年にイラクで奥克彦大使(兵庫県宝塚市出身)が銃撃を受け死亡してから20年となる今月、秋の叙勲受章者の中に奥さんの親友だった英国人男性がいた。奥さんが英国に留学した際に意気投合し、ラグビー仲間でもあったレジ・クラークさん(65)。05年から英国で「奥記念杯」と名付けたラグビーの試合を開催し続けている功績などが評価され、「カツ(奥さんの愛称)が一緒に喜んでくれたらうれしい」と静かに喜びを語った。(小森準平)

 奥さんは兵庫県立伊丹高校でラグビー部に所属し、2年時に全国大会に出場した。早稲田大を経て外務省に入り、1981年に英オックスフォード大に留学。同大でもラグビーをプレーし、日本人として初めてレギュラーを勝ち取った。

 一方、クラークさんは同大で副将も務めた名ラガーマンで、80年に卒業して神戸製鋼に入社。強豪への成長段階だった同社ラグビー部で活躍した。82年に英国に出張した際、同大時代のチームメートから「ぜひ会ってみてほしい日本人がいる」と紹介され、初めて奥さんに会ったという。

 「同い年だし、カツは宝塚出身、僕は神戸に住んでいた。共通項が多くてすぐに仲良くなった」。83年にクラークさんが英国に戻ってからは同じクラブチームでプレーし、奥さんが英国を離れても交流は続いた。「カツはエネルギッシュ、社交的で一緒にいて楽しかった。誕生日も2カ月違いで、双子のように思っていた」と振り返る。

 2001年に奥さんが在英国大使館に赴任してからは一緒に仕事をすることもあった。突然の別れは、その2年後。イラクで人道復興支援に携わっていた奥さんが銃撃されたと知り、「どんな経験とも比較できないほど動揺した」と声を落とす。

 悲しみが癒えない中、ラグビーを通じて日本と英国の親善などに大きく貢献した奥さんのために、つながりのあった人たちに声をかけて「奥記念杯」を05年に初開催。以降も実行委員長として毎年運営を手がけており、死去20年の節目となる今年も11月25日に開催する。

 「カツは19年のラグビー・ワールドカップ日本開催実現にも大きく貢献した。ダイナミックで、私が出会った中で最も素晴らしい人物の一人。彼の人生を祝福するため、これからも奥記念杯を続けたい」。クラークさんは24日に在英国大使館で勲章(旭日双光章)の授与を受け、翌日の奥記念杯に臨むという。

     ◇ 【日本人外交官殺害事件】 2003年11月29日、イラク北部の幹線道路上で日本大使館の車が銃の乱射を受け、在英国大使館の奥克彦大使=当時(45)、参事官から昇進=と在イラク大使館の井ノ上正盛1等書記官=当時(30)、3等書記官から昇進、イラク人運転手の計3人が死亡した。

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