現場からの医療改革推進協議会シンポジウム

上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・11月25、26日、「現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」が開催される。

・「福島をみなで助けよう」という主旨の演題から、変わって増えたのが福島のノウハウを共有すること。

・3.11以降、福島には優秀な人材が集い、地元の人々と共に新たなコミュニティを形成した。

11月25、26日の2日間、東京都港区三田の建築会館で「現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」が開催される。毎年11月に開かれ、今年で18回目となる。会場参加に加え、オンラインでの聴講も可能だ。ご興味のある方は、以下のサイトからご登録いただきたい。昨年の動画は、以下のページから閲覧可能だ。

このシンポジウムは、2006年の福島県立大野病院産科医師逮捕事件をきっかけに始まった。発起人には舛添要一参議院議員(当時)、仙谷由人衆議院議員(当時)など35人が名を連ねる。私と鈴木寛参議院議員(当時、現東京大学教授、慶應義塾大学特任教授)が事務局長を務め、運営は医療ガバナンス研究所のスタッフや学生ボランティアが担当する(写真1)。このあたりの経緯については、以前、本連載でご紹介した。

この会の目的は、様々な分野の専門家が集まり、議論を深め、行動することだ。これまでに、発足のきっかけとなった医療事故問題をはじめ、医師・看護師不足、高額療養費問題、東日本大震災後の復興など、様々な問題を扱ってきた。

国家の政策形成に影響を与えたこともある。現行の医療事故調査体制や、国際医療福祉大学などの医学部新設に繋がった医学部定員増員の素案は、この会が中心となって作成したものだ。いずれも当初の厚労省案とは異なり、メディアも巻き込んだ激しい論戦が繰り広げられ、最終的に政治決着した。発起人である舛添氏や故仙谷氏は、厚労大臣や官房長官在籍中に「現場からの医療改革推進協議会のメンバーが自分のブレインである」という発言をし、審議会などのメンバーに抜擢している。

発足の経緯もあり、このシンポジウムには、福島県関係者が多数登壇する。今年のプログラムでは以下の通りだ。

●セッション2:相馬、この一年 立谷秀清・福島県相馬市長、全国市長会会長

セッション4:地域医療のサバイバル戦略

福島県いわき市における医師不足と現状改善の試み 尾崎章彦・ときわ会常磐病院乳腺甲状腺外科診療部長

鹿島厚生病院の訪問診療を継続していくために 根本剛・鹿島厚生病院在宅診療科

今そこにある危機「アニサキス」 原田文植・相馬中央病院内科医長

セッション8:医学生のパイオニア研究

医学生たちの活躍 内山対雅・福島県立医科大学医学部4年生

セッション9:コロナワクチン研究評価

なぜ日本の研究者は世界で成功できないのか 趙天辰・福島県立医科大学博士課程1年

●セッション12:身近にある災害医療

福島原発事故における「災害関連死」 山本知佳・福島県立医科大学助手

福島原発事故後の社会変化からみる今後の災害対策 坪倉正治・福島県立医科大学教授

●挨拶 土屋了介・公益財団法人ときわ会顧問

今回のシンポジウムでは、17のセッション(挨拶を含む)にのべ59人が登壇する。このうち、6つのセッションに、のべ9人の福島県関係者が登壇する。

興味深いのは、「福島が困っているから、みなで助けよう」という主旨の演題が見当たらないことだ。

以前は違った。2006回の第1回シンポジウムの主旨は、「逮捕された福島県立大野病院産科医を助けよう。日本の産科医療の崩壊を防ごう」だったし、2011年の第6回シンポジウムの主旨は「原発事故被害を蒙った福島県を助けよう」だった。

初回から17年、原発事故から12年が経過し、このような発表は無くなった。変わって増えたのが、福島のノウハウを共有することだ。その典型が「セッション4:地域医療のサバイバル戦略」や「セッション12:身近にある災害医療」だ。

福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故以来の大規模放射線事故だ。世界中の注目が集まった。このような期待に応える形で、福島からは多数の学術論文が発表された。米国立医学図書館データベースによれば、2010年に“Fukushima”という単語(施設名を含む)を含む論文は718報だったのが、ピークの2021年には2481報まで増加している。

本シンポジウムに登壇する坪倉教授の研究チームは、これまでに224報の福島関連の研究論文を発表している。震災時に東京大学医科学研究所で、私が主宰する研究室の大学院生であった坪倉教授は、いまや被曝対策の世界的権威だ。今年9月には、北太平洋条約機構(NATO)の会合に招待され、ルーマニアを訪問したし、2021年3月には米『サイエンス』誌が、その活動を5ページにわたって特集した。

▲写真 2022年11月27日、現場からの医療改革推進協議会シンポジウムで講演する坪倉教授(筆者提供)

特記すべきは、東日本大震災をきっかけに、福島にこのような人材が集ったことだ。坪倉教授は大阪出身で、東京大学を卒業後、いくつかの病院勤務を経て、2011年に福島に入った。セッション4の尾崎章彦医師は福岡、原田医師は大阪、セッション8の内山君は長野、セッション12の山本さんは大阪、そして最後の挨拶をする土屋医師は横浜出身だ。東日本大震災をきっかけに、福島に優秀な人材が集い、そして根付いたことを意味する。

セッション9の趙さんは、中国の北京生まれで、福島県相馬市で育った。福島県立相馬高校から東京外国語大学を卒業し、現在、福島県で研究者をしている。このように優秀な人材がUターンしたケースもある。

東日本大震災以降、福島には優秀な人材が集い、地元の人々と共に、新たなコミュニティを形成した。この地域は、東日本大震災・福島第一原発事故以降も、地震や水害、さらにコロナ禍などの試練に遭遇するが、このような試練を克服する中で、地域は実力をつけていった。その象徴がセッション9の「コロナワクチン評価研究」だ。

これは坪倉教授たちが、東京大学や関西医科大学などと共同で実施したコロナワクチンの免疫評価の研究の成果を発表するセッションだ。坪倉教授の研究チームは、福島県相馬市、南相馬市、いわき市、平田村の行政や医療機関と連携して、ワクチン接種者の免疫状態をフォローした。実は、このワクチンコホート研究は、国内はもちろん、世界でも有数の規模だ。世界から注目を集めており、福島が災害対策だけでなく、それ以外の領域でもトップレベルになりつつあることが分かる。

福島にこのような有機的ネットワークが構築されているのは、東日本大震災以来の経験の蓄積があるからだ。東日本大震災、原発事故後も、水害、地震、さらにコロナパンデミックなど、様々な困難を経験した。試練は人間を成長させる。福島は格好の事例だ。福島が、コロナ感染対策をリードするのも宜なるかなだ。

福島にご関心があるかたは、是非、今回のシンポにご参加頂きたい。マスコミが報じることがない福島の別の側面をご覧いただくことができる。

トップ写真:現場からの医療改革推進協議会シンポジウムのスタッフたち、2022年11月27日(筆者提供)

© 株式会社安倍宏行