死去のKANさん、青森県ゆかりの音楽関係者からも悼む声 コンサートたびたび開催

2018年、青森市の東奥日報社本社で取材を受けたKANさん。「これいいな、この像。これと撮ってほしい」とおどける姿が印象的だった

 12日に61歳で死去したシンガー・ソングライターのKANさんは、青森県でもたびたびコンサートを行い、熟練の演奏と親しみやすいキャラクターで多くの観客を楽しませていた。死去が報じられた17日、KANさんを慕う音楽関係者からは「信じられない」「残念」などと悼む声が相次いだ。

 KANさんは、人気バンド「Mr.Children」のボーカル桜井和寿さんをはじめ、日本のポップ音楽を代表する人物に影響を与えたことでも知られる。同日の交流サイト(SNS)では、青森県ゆかりのミュージシャンたちも反応し、5人組ボーカルグループ「ゴスペラーズ」の北山陽一さん(八戸市出身)が「KANさん…」、シンガー・ソングライターの坂本サトルさん(南部町出身)が「今はありがとうしか出てこない」と投稿した。

 「お客さんを盛り上げるのがすごく上手なエンターテイナーで、裏表がない気遣いの人。握手した時の柔らかい手の感触は、今でも記憶に残っている」と振り返ったのは、KANさんが2014、16、18年と計3回コンサートを行った青森市のライブハウス「ブラックボックス」オーナーの外崎成剛(せいごう)さん(61)。

 ブラックボックスでは20年にもコンサートを行う予定だったが、新型コロナウイルスの影響で中止となり、「そろそろ来てくれないかな」と考えていたところでの訃報だったという。

 「そんなに(体調が)悪いと思っていなかったので、まさか亡くなるとは…。同い年なので、ショック」と外崎さん。ブラックボックスでのコンサートの収容人数は約170人と小規模なものだったが、チケットは毎回ソールドアウト。外崎さんは「会場の外にいてもどっと笑い声が上がるのが聞こえた。演奏だけでなく、トークでも楽しませていた」と懐かしむ。

 KANさんはブラックボックスの音響とピアノを気に入っていたといい、外崎さんは「プロの紅白出場歌手に使ってもらえたのは、とても光栄なこと。感謝している」と思いを込めた。

 コンサートの数カ月前にはプロモーションで青森県を訪れ、東奥日報の取材も受けたKANさん。18年の取材では「九州の人間(福岡市出身)だけど、昔っからなぜか北国が好き」「青森好きなんですよ、地酒もおいしいし」と青森県への愛を隠さず、写真撮影では取材場所の近くにあった像と一緒にポーズを取るなど気さくな一面を見せていた。

 音楽への思いについては、「何歳まで音楽をやるとか、自分が決められることじゃない。できるうちは…お客さんが来てくれるうちは、やっていたいですね」と表現。志半ばでの旅立ちになってしまったかもしれないが、温かい人柄の記憶と残した音楽は、これからも多くの人を勇気づけることだろう。

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