平成芭蕉の「令和の旅指南」⑥ 肥前「焼き物の聖地」を巡る

「やきものの聖地」唐津

2022年9月23日に開業した西九州新幹線 武雄温泉駅~長崎駅間の「かもめ」用車両は、とても魅力的な車両で、見る人をワクワクさせる新幹線です。この新幹線の途中停車駅には、私がかねてより訪れたかった嬉野温泉駅があったので、今春、私は嬉野温泉に滞在し、陶磁器400年のストーリーを訪ねて、肥前のやきもの圏を巡ってきました。

肥前とは、佐賀県と長崎県を含む九州北西部の旧国名で、この地は長い窯業の歴史のなかで培われた伝統や技術、景観や文化などの魅力を体感できる日本随一の地域として「日本磁器のふるさと肥前~百花繚乱のやきもの散歩~」というストーリーが日本遺産に認定されています。

やきものを総称して「陶磁器」と呼びますが、大きく二分類すると「陶器」と「磁器」に分けられます。「陶器」とは、「陶土」とよばれる粘土を形成し、800℃~1300℃で焼いたもので、器の生地が厚く、触った感触がザラザラしており「土もの」とも呼ばれます。「磁器」とは、陶石を粉砕した「石粉」を形成し、1300℃~1400℃で焼いたもので、高温で焼き締められガラス化しているため、陶器に比べて一般的に生地が硬く薄いという特徴をもち、「石もの」と呼ばれています。吸水性はほとんどなく、熱伝導率が高く、熱しやすく冷めやすいのが特徴です。

この陶器の歴史は、佐賀県唐津市北波多を治めていた戦国大名の波多氏が、1580年頃に朝鮮から陶工を招いて岸岳に窯を開いたのが始まりで、現在は「古窯の森公園」として整備されていますが、この公園内に唐津焼発祥の岸岳古窯跡群があり、この場所こそが「やきものの聖地」なのです。

唐津焼は、日常雑器から茶器までさまざまな器種があり、作風・技法も多岐にわたりますが、茶道では古くから「一井戸、二楽、三唐津」の茶碗格付けがあり、茶の湯の名品として知られています。私は「土もの」の温かい風合いと自然のものを絵付けした素朴で野趣あふれる表情が気に入っています。

有田などで磁器の生産が始まると唐津焼は一時衰退しますが、昭和初期に御用窯だった十二代・中里太郎衛門(人間国宝)により古唐津の技法が復活すると、「土もの」として唐津焼の魅力は再認識され、今日に至っています。

唐津焼発祥の地「岸岳古窯跡群」## 「伊万里(いまり)」または「伊万里焼」とも呼ばれた「有田焼」

一方、1592~1598年の文禄・慶長の役で、朝鮮へ出兵した肥前の諸将は、帰国の際に朝鮮から多くの陶工たちを連れて帰り、競うように窯を開きました。そして、肥前のやきものは各地に産声を上げます。17世紀のはじめになって佐賀藩祖の鍋島直茂の重臣として仕えた陶工の一人、李参平は有田の泉山で磁器の原料となる磁石(陶石)を発見し、近くの上白川に天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いたとされ、「有田焼の祖」と言われています。

泉山磁石場では、今では採掘はほとんど行われていませんが、削り取られた山肌が当時の繁栄をしのばせてくれます。また、李参平は日本名を「金ヶ江三兵衛(かながえさんべえ)」と称し、有田町では李参平を「陶祖」として陶山神社(すえやまじんじゃ)に祀っています。

有田で焼かれた磁器は伊万里港から積み出されていたため、「伊万里(いまり)」または「伊万里焼」と呼ばれていましたが、1637年に鍋島藩は、伊万里・有田地区の窯場の統合整理を敢行し、窯場を有田の13カ所に限定して有田皿山が形成されまた。作品は製造時期、様式などにより、初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手(きんらんで)などに大別されます。

李参平を「陶祖」として祀る陶山神社## 「柿右衛門様式」と大川内山の「鍋島焼」

磁器製作が始まってから約30年後、中国から伝わった技法をもとに初代柿右衛門が日本で初めて赤絵の焼き付けに成功し、この柿右衛門様式の磁器は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を主調とし、余白を生かした絵画的な文様を描いたものです。

佐賀藩の支配下にあった肥前国有田・伊万里は日本における磁器の代表的な産地として知られていますが、その中で大川内山(おおかわちやま)にあった藩直営の窯では藩主の所用品や将軍家・諸大名への献上品などの高級品をもっぱら焼造していました。

関ケ原の戦いで敗れた鍋島藩主の鍋島勝茂が、藩を潰さずに徳川の世を乗り切るべく、将軍家への献上品として特別な磁器を作らせようとしたのです。そこで高度の技術を持つ陶工達を集め、関所を置いてその技術が他に漏れないようにするため、立地的に三方を険しい山で囲われた大川内山がその場所として選ばれました。

ここで焼かれた器はすべて「鍋島」もしくは「鍋島焼」と呼ばれ、その精巧で見事な色絵付は江戸時代最高峰と賞されました。皿役所が置かれた地で、朝廷・将軍家・諸大名などへ献上する高品位な焼物が焼かれており、これが今に伝わる「鍋島焼」です。

肥前のやきものは、各藩の思惑と朝鮮からの陶工によって創成されましたが、今日ではその伝統を継承しながら、新たな発想と工夫を重ねて日々チャレンジを続けています。陶石、燃料(山)、水(川)など窯業を営む条件が揃う自然豊かな地「肥前」を旅すると、歴史と伝統が培った陶工の技と美だけでなく、窯業のふるさとの景観を五感で感じることができます。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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