ベートーヴェンの名曲「第九」はなぜ日本の風物詩に?  高島礼子がそのルーツと曲が持つ力に迫る

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ベートーヴェンの代表作の一つ「第九」。この名曲が誕生してから、2024年でちょうど200年を迎えます。「第九」は年末の風物詩ですが、実はそのような国は世界でも日本だけだと言われています。「なぜ日本人は第九を愛してやまないのか?」その謎に迫ります。

ベートーヴェンと名曲「第九」とは

ボンに残っているベートーヴェン直筆の「第九」楽譜(複製)

ドイツの北西部の都市、ボンで生まれたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。当時ヨーロッパでは、フランス革命やナポレオンの台頭など、抑圧された民衆の解放が叫ばれた激動の時代でした。彼の故郷には、直筆の「第九」の楽譜が今も大切に残されています。

ベートーヴェンが弾いたピアノ

ベートーヴェンがこの世に残した交響曲は全部で9つ。中でも交響曲で初めて合唱「歓喜の歌」を取り入れた「第九」は画期的な作品であるのと同時に、難聴に苦しみながら書き上げた彼の完成した交響曲としては最後の作品となりました。当時、情報の伝達手段も限られている中で、第九がどのように日本に伝わり、そして愛されるようになったのでしょうか?

日本で初めて「第九」を演奏したのはドイツ兵捕虜たち

ドイツ兵と日本人の交流から始まる演奏の歴史

「第九」が日本で初めて演奏されたのは約100年前、第一次世界大戦中。演奏したのは徳島県鳴門市の「板東俘虜収容所」に収容されていたドイツ兵捕虜たちでした。また初演の翌日には、日本人とドイツ人による和洋大音楽会も開かれました。出会いは戦争という不幸なものではありましたが、「第九」の歌詞にもあるように時代の潮流が引き裂いたものを結び合わせる、そんな曲に込められた願いがこの交流に反映されています。

東京音楽学校のメンバーによる演奏の新聞切り抜き

そして6年後の大正13年、東京音楽学校のメンバーが「第九」の全曲演奏を日本人で初めて行いました。その後、この名曲は蓄音機やレコードの普及とともに、徐々に日本人に浸透していったのです。

「第九」が影響を与えた日本の著名人とエピソード

ベートーヴェンの肖像画を真似した宮沢賢治の写真

次に「第九」が影響を与えた著名人のエピソードをのぞいてみましょう。まず一人目は岩手県花巻市の文学者「宮沢賢治」です。彼の有名なポートレートは、ベートーヴェンの肖像画を真似して撮影したと言われています。ひょっとすると「微笑みながら、第九を口ずさみんでいるのではないか?」そう感じさせる一枚です。

ベートーヴェンを愛した棟方志功の自画像 棟方志功記念館 蔵

また第九をテーマに制作した作品もあります。版画家・棟方志功の「歓喜自板像・第九としてもの柵」です。自らが生涯愛したものに囲まれた自画像はとても色鮮やかで朗らか。その中にはベートーヴェンの名前も描かれています。第九を口ずさむ映像も残されているほど、棟方志功はベートーヴェンが大好きだったそうです。

なぜ「第九」は年末の風物詩に? 一つの勘違いと曲の持つ力

ライプチヒで聞いた「第九」が勘違いのきっかけに

それでは「第九」がなぜ日本で年末の風物詩となったのでしょうか? それは、一つの勘違いから始まったと言われています。かつてライプチヒへ留学していた放送局のスタッフが、現地で年末に聞いた「第九」を、ドイツ全土で演奏しているものだと勘違いして、昭和15年の大晦日のラジオ番組で除夜の鐘のように放送したことがきっかけとなったという説が有力です。

日本人の心にリンクしたエネルギッシュな「第九」の曲調

そんな第九が全国的に定着した背景には、この曲が持つ力が関係しているのではないでしょうか。元気のもらえる第九の曲調と、その中に込められた前向きなメッセージが、日本人の心に響いたのです。一番盛り上がる第4楽章の合唱部分のあとも、曲はずっと続いていきます。この曲の構成は、私たちの心に希望を示してくれるようです。

今でも人々を支え、愛され続ける名曲「第九」

12年ぶりに第九コンサートが開催される宮城県石巻市の市民会館

ベートーヴェンの名曲「第九」は今でも人々に希望や力を与え続けています。この日宮城県石巻市の市民会館では、年末に開催される第九コンサートのリハーサルが行われていました。東日本大震災以来12年振りに復活した第九です。

震災を乗り越えた人々の喜びの声が響く

中には震災前、合唱に参加をしたお子さんが、今ではプロのソプラノ歌手になり、親子で一緒に第九を合唱できる喜びを語る歌い手の姿も。苦難を乗り越えてきた石巻の人たちが年末、故郷に歓喜の歌声を響かせます。

苦難のたびにベートーヴェンに励まされたと語る山田さん

また名古屋市に本社を置くメカトロニクス専門商社の社長・山田さんも、ベートーヴェンに生きる勇気をもらった一人です。苦難のたびにベートーヴェンの音楽に励まされ、機械部品を扱う小さな問屋を従業員約1200人の会社にまで育て上げました。10年前には音楽財団を設立。若い音楽家の支援も行っているそうです。

これからも宝物であり続ける「第九」

名曲「第九」はいつまでも日本人の宝物に

名曲の条件とは何か? 一度耳にしたら忘れられないメロディー、心を捉えて話さないリズム、そして国と時代を越えて人々に希望を与えることではないでしょうか。2024年で誕生から200年。ベートーヴェンの残した「第九」は、これからも私たちの宝物であり続けるでしょう。

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