病と向き合いロック歌い続ける69歳 BOROさんが新アルバム 度重なる入院、新たな病気「まだ使命がある」

病弱な体でここまで来た。69歳の年に特別な思いを込め、一里塚としてアルバムを作ったBOROさん=神戸市北区有馬町(撮影・吉田敦史)

 ヒット曲「大阪で生まれた女」で知られる兵庫県伊丹市出身のシンガー・ソングライターBORO(ボロ)さんが今月、24枚目のアルバムを発表した。度重なる病と向き合いながら、歌い続けてきた証しを「69歳(ロック)」に刻んだ意欲作。自身の音楽の原点である「平和」への思いを込めたといい、「聴いた人が前へと進む原動力となってほしい」と願っている。(浮田志保)

 小学5年でギターを始めた。テレビで見たベトナム戦争の惨状に思わず歌が浮かんだ。中学時代は大好きなオンボロ自転車をつづった詩「ボロの相棒」が県コンクールで入賞。それがあだ名となり、後の芸名となった。

 高校卒業後に東京でジャズ・ボーカルを学び、大阪・北新地のクラブで弾き語りとなった。その時、ロックミュージシャンの故・内田裕也さんに声をかけられた。「オリジナルの歌を聞かせてくれ」。5曲ほど歌うと「東京に来る気はあるか」と聞かれた。即決した。1979年にデビューし、「大阪で-」をはじめ数々のヒット曲を生み出した。

 その一方で、病と闘い続けた。36歳でC型肝炎と診断された。上顎にうみがたまって5度入院し、2010年には硬膜下血腫で生死をさまよった。

 病室から見える雲の形、風の強弱。病床でも自分を楽しませてくれる要素を見つけては喜びに変え、歌にした。「病には意味がある。喜びや悲しみを表現する代弁者として生きていきたい」

 19年に師と仰ぐ内田さんが亡くなった。生前、ミュージシャンの葬儀で師匠が漏らした言葉がふとよぎった。「せめて69歳まで生きてほしかったよ」

 21年に腎臓がんを発症。22年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。体はなかなか言うことを聞いてくれないが、いてもたってもいられなくなった。平和への願い、恩師への感謝。意欲が高まり、新アルバム「MILESTONE(マイルストーン)」の制作に取り組んだ。1マイル歩くごとに置いていくその石を、自身の道標に例えた。

 オープニング曲は「ピストル」。「オマエは何のために 生まれて来た(中略)悲しみの塊 憎しみの塊 生命尊厳こそが 平和への門」。銃や核兵器を「抑止力」とする欺瞞(ぎまん)、存在そのものへの疑問を込めた。

 ひまわりの花とともに息子を戦地へ送り出すウクライナの母の思いや、愛する人を失う悲しみを表現した「兵士のラブレター」も収録した。

 23年5月、東京のプロデューサーに全10曲を送り終えた。その2日後、めまいと吐き気に襲われた。メニエール病と診断された。「ロックの年にアルバムを出せたことは奇跡。でも全てを乗り越えたわけではないと痛感した」とBOROさん。「まだまだ使命がある」。気持ちはすでに、次の曲に向かっている。

 ボーナストラックを含む12曲で税込み3300円。BOROの音符工房TEL0797.61.3399

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