『オシムチルドレン』につながった育成年代での指導 前田秀樹が痛感した「日本人選手の守備の意識の低さ」

ジェフユナイテッド市原(当時)、川崎フロンターレの育成に携わり、水戸ホーリーホックで5年間監督を務めた後、現在は関東大学1部リーグ所属・東京国際大学サッカー部を15年間にわたり指導している“稀有な経験を持つ指導者”前田秀樹。自身も日本代表選手として海外の超一流選手たちと対峙したことで世界との差を体感し、その経験がのちに「オシムチルドレン」と呼ばれる選手たちの育成に活かされたという。そこで本稿では、前田監督の著書『東京国際大学式 「勝利」と「幸福」を求めるチーム強化論』の抜粋を通して、日本と世界の対比から見えてきた育成の本質についてひも解く。

(文=前田秀樹、構成・撮影=佐藤拓也)

ペレ、マラドーナ、クライフとの試合経験を伝えていく使命

私は現役引退後、指導者の道に進みました。そして、それ以降ずっと指導者として活動しているのですが、私は日本の中で稀有な指導者だと思っています。というのも、これまでジュニア年代からジュニアユース、ユース、大学生、トップとすべてのカテゴリーで指導を行ってきたのです。そんな経歴を持った指導者は日本ではごくわずかだと思います。

さらに、私はサラリーマンとして働きながらも、日本代表として世界各地で試合をした経験もあります。ペレ、マラドーナ、ベッケンバウアー、クライフと対戦したことがあります。今までサッカーを通して、本当にいろんな経験をさせてもらいました。それが私の指導者としての強みだと思っていますし、日本サッカー界に還元しなければならないと思って指導をしてきました。

私の指導者としてのベースは日本代表時代にあります。海外のチームと対戦して、日本に何が足りないのか。世界と何が違うのかを体験してきました。30年前からドイツの選手は攻撃的なポジションの選手でも守備はしますし、すごくハードワークしていました。でも、日本は攻撃と守備が分断されていました。しかも、自分の得意なポジションでしかプレーできない選手がほとんどでした。そこに世界との大きな差を感じていましたし、そのままでは世界に追いつけないことに40年前に気づいていました。 当時、日本ではFWは点を取ればいいという考えが一般的だったのですが、私はずっと異論を唱えていました。ここ数年、やっとそういう考えが広まってきて、当たり前のようになっています。ここまで来るのに、40年かかりました。世界の一流選手と対戦した経験を伝えていくことが私の使命だと思い、現役引退後、小学生へのサッカー教室で全国を回りましたし、ジュニアユース、ユース、プロ、大学生とすべてのカテゴリーを指導してきました。選手としても、指導者としても様々な経験をしてきたことが私の強みだと思っています。

強度の高い守備をやり続けたうえで、攻撃の能力を発揮できる選手

自分が日本代表としてプレーしている時、最も世界と差を感じたのは守備でした。指導者になって、サッカーを見る立場になった今もその考えは変わっていません。

現役時代、日本代表は攻撃は攻撃、守備は守備と分かれていました。日本代表にも攻撃能力の高い選手がたくさんいましたが、みんな、守備の意識が低かった。でも、海外の選手は当時から守備意識が高かったんです。センターバックやボランチでプレーしていた私は攻撃陣のカバーをする役割を担わされていました。だからこそ、日本人選手の守備の意識の低さを痛感していました。40年前から私はそれでは世界では勝てないと訴えていました。日本代表に選ばれる選手は、攻撃も守備もして、3つぐらいのポジションでプレーできるようにならないと世界では勝てない。そう言い続けていたんです。

サッカーは野球のように、攻撃の時間と守備の時間で分かれているわけではありません。攻撃も守備も求められるのが、サッカーなんです。だいぶ日本のサッカーも変わってきましたが、世界と比べると、まだまだだと思います。守備に対しての意識が低い。守備について教えられる指導者も少ないような気がしますし、Jリーグのチームも守備の組織作りには課題を抱えているチームが多いように見えます。日本には技術の高い選手が多いんですけど、守れない選手が多い。

守備の基本はボールを奪いに行くこと。簡単なことです。ボールを奪いに行くということは、相手に近づかないといけません。でも、容易に近づいたら、簡単にかわされてしまいます。それでもついていかないといけない。それを繰り返すことによって、間合いやタイミングをつかめるようになるんです。また、ボールを奪いに行くと、運動量も筋力も消耗します。強度の高い守備は負荷がかかるんです。それを厭わずにやり続けたうえで、攻撃の能力を発揮できるような選手を育てていかないといけません。世界ではそれが当たり前ですから、日本ももっと求めないといけないと思っています。

それができるようになった選手が世界で結果を残せているんだと思います。同時に、それができないと、現代のサッカーでは通用しません。簡単にゴール前に侵入されてしまう。そして、国際試合では間合いが全然違うので、対応が難しいんです。ボールを奪いに行ってかわされたら、すぐに数的優位の状況を作られてしまう。かわされてもついていく力をつけないといけないんです。とはいえ、ほとんどの選手が守備はやりたくないんです。攻撃は楽しいし、攻撃で上回れば勝てると思っている選手が多い。だから、守備を指導するのは難しいんです。ところが、守備がよければ勝てるんです。そこを理解させることが重要です。 現在、東京国際大学は守備を重視した戦いをしているわけではありませんが、守備をベースにしていないといい攻撃はできないことを選手たちに伝えています。そこをチーム全体で理解していないとチームとしていい守備をするのは難しい。体力がある時間はどのチームもいい守備はできるんです。でも、1試合持たない選手が多くて、試合終盤には間延びしてしまうことが多い。そうなるときつくなる。本当に強いチームは90分間、一定の距離を保つことができるんです。そこを求める必要があります。そのためにピッチ内でバランスを取るリーダーが必要なんです。インテリジェンスが高く、チーム全体を見渡せる選手を育てることがチームにとって大事なんです。そして、指導者はそういうことを教える力を持たないといけません。

「オシムチルドレン」につながった育成年代での指導

私の指導者生活のスタートはジェフユナイテッド市原(現千葉)のアカデミーでした。4年間にわたってユースとジュニアユースの指導を行い、山口智をはじめ、日本代表として長く活躍した阿部勇樹、シドニー五輪日本代表で活躍した酒井友之や村井慎二、山岸智ら多くの選手をトップチームに昇格させました。

私がユースの時に阿部はジュニアユースに所属していました。阿部は中学生ながらも、ユースの選手に負けない能力を持っていたので、ユースの方に呼んで、よく一緒にボールを蹴っていました。阿部も山口も、キックがうまくてパスの精度が高いことが特長でした。そこは最も熱心に教えたことでした。伸び盛りの時期に何を教えるかが大事なんです。私はユース年代を指導するにあたって、キックの精度についてこだわって指導しました。それがトップに昇格した後、彼らの武器になりました。

また、当時は日本のサッカー変革期で、これから世界で通用する選手になるためにはユーティリティーな能力を求められていました。要するに3つぐらいのポジションをこなせないといけないという方針があったのです。それが世界のスタンダードになっており、前述の選手たちにはボランチ、センターバック、サイドバックができるような選手になるように求めました。守備の選手は守備だけやればいいのではなく、攻撃もやらなければいけない。ボランチはさらに精度の高いパスを出せないといけない。それができる選手はどの監督のもとでも起用されるようになるということで、ユーティリティープレーヤーに必要な能力を身につけさせるための指導に力を入れました。それができたのも、私自身がそういう選手だったからでしょう。現役時代、GK以外のすべてのポジションでプレーした経験を活かして、彼らに指導しました。

これまで多くの選手を指導してきましたが、大きく成長する選手に共通しているのが、サッカーに対して情熱や熱心さを持っていること。そして、素直な性格であること。ジェフ時代に指導した選手はみんな、すごく素直で、教えたことをどんどん吸収していきました。手本を見せると、どんどん学んでいくんですよ。こちらも教えがいがありました。また、彼らは本当にチームのことを考えて行動することができていました。だから、プロになってからもリーダー的な存在になっていったんだと思います。山口は現在J1湘南の監督ですから、それだけの資質があったんだと思います。

それと、当時のJリーグクラブのユースはテクニックを重視して、フィジカルを鍛えているチームが少なかった。でも、私はガンガン鍛えさせました。それがプロになってから活きたのではないでしょうか。私自身、フィジカルに関しての知識はありますが、指導はできないので、日本サッカーにおけるフィジカルコーチの第一人者とも言える池田誠剛を連れてきて、ユース年代からしっかりフィジカルトレーニングを行うようにしました。当時、ユースチームでフィジカル専門のコーチを置いていたチームはほとんどなかったと思います。でも、私は世界で通用する選手を育てるためにはフィジカルを鍛えないといけないと考えていました。プロになってからでは遅いんです。ユースの時から体づくりをしないといけないと感じていたので、徹底的にやらせました。それが、その後の千葉のベースを築いたと思います。

私がアカデミー時代に育てた選手たちが後にイビチャ・オシム監督の指揮するチームの主軸となり、「オシムチルドレン」と呼ばれるようになりました。その時はすでにジェフを離れてはいましたが、嬉しかったですね。前述の通り、私が指導して成長させた選手は共通点があります。「攻守両面の能力が高い」「複数のポジションでプレーできる」「キックを正確に蹴れる」といったことです。私の考えとオシム監督の考えが共通していたからこそ、オシム監督は彼らを重宝したんだと思います。彼らの活躍を見て、自分の指導理念が正当化されたような気がしました。

(本記事は竹書房刊の書籍『東京国際大学式 「勝利」と「幸福」を求めるチーム強化論』より一部転載)

<了>

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[PROFILE]
前田秀樹(まえだ・ひでき)
1954年生まれ、京都府出身。東京国際大学サッカー部監督。小学校からサッカーを始め、京都商業高校(現在の京都先端科学大学附属高校)で国体京都府代表に選出された。その後、法政大学に進学し、関東大学リーグ、大学選手権の優勝を経験。その活躍から大学在学中に日本代表に抜擢される。卒業後に名門・古河電工に入社し中心選手として活躍。1981年、82年にはJFLベストイレブンを受賞。日本リーグ209試合出場35得点、日本代表国際Aマッチ65試合出場11ゴールを記録。1980年代前半の日本代表で主将を務め、W杯予選や五輪予選など数多くの国際マッチに出場。引退後は、ジェフユナイテッド市原、川崎フロンターレの育成を指導しながらサッカー解説者としても活躍。2003年より5年間は、J2水戸ホーリーホックの監督を務めた。2008年より東京国際大学サッカー部監督を務める。

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