乳づくりは、いい土づくりから 広島を紡ぐ自然派酪農経営者|サゴタニ牧場 自然派酪農経営者 久保 宏輔

継ぐつもりはなかった。試練のバトンを受けた3代目

創業者の祖父が八丈島から乳牛23頭を連れて砂谷村(現・広島市佐伯区湯来町)で酪農を始め、今年で83年。牧場を営む家庭の長男として生まれた僕は幼少期から乳牛の世話を手伝い、当然のように酪農家や獣医など、動物と関わる仕事に就きたいと思っていました。でも、小学生のころに動物アレルギーを発症してしまいました。犬や猫、羊は大丈夫でしたが、牛、馬、ヤギがだめで。それで思い描いていた道を断念し、一般企業に就職しました。東京のプラントエンジニアリング会社に就職してもう帰るつもりはなく、老後60歳くらいになったら手伝いに帰ろうか、と考えていた程度でした。

転機は8年ほど前、父からかかってきた1本の電話でした。会社の経営に関する相談で、その時初めて会社の状況や酪農業界の現状を知ったんです。牛乳の市場はどんどん縮小していて、サゴタニ牧場も長くやってきた中でも徐々に厳しい状況になってきている。普段人に相談するような父ではないので、本当に危ないんだなと。このままでは酪農事業自体がなくなってしまうのではと危機感が芽生え、2016年に「広島へ帰ろう」と決意しました。

日本でわずか2%しか実践されていない放牧酪農に挑戦

サゴタニ牧場では、日本で5%しか作られていない低温殺菌牛乳にこだわって製造しています。日本の市場に多く出回っているのは超高温瞬間殺菌牛乳というもので、120~150℃の高温で2~3秒加熱殺菌します。超高温瞬間殺菌牛乳はコストが安く賞味期限が長いので大量生産に向いているんです。一方、低温殺菌牛乳は65℃で30分加熱殺菌するため、手間と時間がかかります。どちらにも良さがありますが、うちが低温殺菌牛乳にこだわるのは、低温で殺菌することでタンパク質の変性を極力減らし、牛乳本来の香りや舌ざわりを残すことができるから。この製法にはこれからもこだわっていきたいと思っています。

そして今新たに挑戦しているのは、乳牛を牧草地に放し飼いして自由に行動させる「放牧酪農」という飼育法です。これを始めてみようと思ったきっかけは、新型コロナウイルス感染症の大流行でした。2020年4月5月、初の緊急事態宣言が発出されたころ、牛乳が毎週4t近く余る状況が続きました。タンクにどんどん溜まってこのままでは捨てるしかないというところまできていました。牛乳というのは牛の血液からできていて、人間はそれを搾取している。だから何十頭分もの牛乳を捨てることは避けたかった。そこで、病院に無償提供したり、ドライブスルー形式で販売したりと、何とか捨てない方法を模索して取り組みました。すると、本当にたくさんの人が助けてくれたんです。病院への無償提供はすごく喜んでもらえたし、ドライブスルー販売を開始すると道路にずらっと行列ができるほどたくさんの人たちが買いに来てくれて。「サゴタニ牛乳がなくなったら困るから、助けに来たよ」という言葉に、今までたくさんの人に助けられて今があるんだと痛感しました。

ちょうどそのころは何をしたらいいかわからなくてもがいていた時期でしたが、コロナ禍の経験で「地域を大事して、地域から必要とされる牧場をつくっていきたい」というはっきりとした道が見えてきました。安心安全な牛乳づくりだけではなく、もう少し「食べる」ことの根っこにあるものを、この牧場を通じて届けていきたい。地域の人たちに何か返すならこういうことだと思いました。

「おいしい牛乳を多くの人に届ける」というのもすばらしい目標ですが、サゴタニ牛乳はずっと広島の人たちに牛乳を届けてきた会社で、地域の人たちがあってこそ今がある。それなら僕たちがめざすべきはより多くの人ではなく、より近くの、より狭い範囲の、自分たちが届けられる範囲の人たちに喜んでもらうことです。届ける相手の姿が見えることは、やりがいにもつながります。何よりうれしいのは「サゴタニ牛乳を飲んで育ったんよ」と声をかけてもらえることですから。

そんな気づきから、放牧酪農に向けて動き出しました。日本で2%しか実践されていないということは、それだけ難しくリスクがある方法だということ。当初父は反対していましたが、最近お酒を飲みながら「本当は自分も放牧をやってみたかった」とぽろっと本音がこぼれて。牛が元気に育ってくれることが酪農家の喜びだし、牛がのびのびと生活できる放牧酪農はどんな酪農家もめざす姿なんです。

放牧酪農のメリットは、牛が放牧地で草を食べ、好きなように歩き回って生きられること。この土地でできた草で牛を育て、その牛からお乳をいただくというのが、本来の意味でその土地に住むというか、その土地で生きていくことにつながるのではないかと思います。

僕が放牧酪農を始めるにあたって、九州から北海道までめぐり、実践している方に会って 話を聞きました。特に聞きたかったのは厳しい面。例えば、つなぎ飼い牛舎から放牧に切り替えることで牛乳の量が半減するとか、草地作りに失敗することもあるとか。僕が日本一素晴らしい牧場だと思っている牧場の酪農家さんからは、「理想の場所になるまでに18年かかった」と聞きました。そんなにかかるんだ、それはやる価値があるなと思いました。時間をかけてつくったものはそう簡単にはなくなりませんから。

時間がかかるのは、土づくりから始める必要があるからです。まずは土壌に養分が滞留する状況をつくる。それには5~10年はかかります。牧草にもいろんな種類があって、例えば雑草を生やしてやろうと思えば今からでもできますが、それでは牛の栄養にはならないし、アクの強い牛乳になってしまいます。放牧酪農を始めたことで牛乳がまずくなっては意味がありません。「この牛乳おいしいね」という顔が見たいので、時間をかけてつくります。2030年までに放牧酪農への転換することをめざして、毎年1haずつ放牧地を広げています。年を経るごとに牧場が変わる様子を地域の人たちに見てもらいたいです。

2021年には、放牧酪農への想いが評価されてナフィールド国際農業奨学金制度の奨学生に選出されました。世界の放牧酪農を肌で感じ、今後の牧場運営に生かしていきたいと思います。

ひろしま未来区民として

今、放牧酪農と並行して進めているのが、いちご農園です。酪農は飼料代や資材の高騰で非常に厳しい状況にあり、飼料代は3年間で約1.5倍になっています。今後も酪農事業を残していくには、酪農以外にも安定した収益源をもつことが必要と考え、いちご農園を始めることにしました。 しかし、始めた年の2022年12月24日の記録的な大雪でビニールハウスが倒壊してしまい、早くも失敗。言葉も出ないほどのショックで諦めかけたのですが、「久保さんはいちご農園で喜ぶ人の顔をまだ見たことがないですよね」と言われて。それでもう一度やってみようと奮起しました。 今は、ボランティアの方々に手伝ってもらいながらいちご農園を再建中で、次の収穫は2024年2月になる予定です。今取り組んでいることは収穫までの過程でしかありませんが、作っていく過程にこそ喜びがつまっています。実際、少しずつできていく過程をみんな面白いと感じてくれている。過程を楽しんでこそ、結果が出た時の喜びも大きいんです。

こんなふうに、みんなでつくる牧場、地域の人たちが一日中楽しめる牧場をめざしています。人は食べることを通して自然とつながっています。人は牛を食べる、牛は草を食べている、その草は土からできている。ということは僕たちも土である。牧場で1杯の牛乳を飲みながら、ふと「自分も自然の循環の中にいるんだ」と思いを馳せられるような、心が少し温かくなるような、そして明日も頑張ろうと思えるような、そういう場所を作っていきたいと思っています。

挑戦って大抵失敗するもので、試行錯誤しながらその確率を減らしていくものだと思っていて。今回の失敗も振り返ると「こうすればよかった」と思いますが、それはやってみなければわからなかったことです。新しいことを始めるには勇気がいるし、リスクをとらない生き方の方が賢いのかもしれない。それでも挑戦したいことがある人の背中を押してあげられる存在にいつかなりたいと思っています。僕自身、本当にたくさんの人に助けてもらったので、次に誰かを応援できる人になることがひとつ恩返しになるのではないかと。誰かのスタートを本気で応援できる人になりたいから、僕も一歩踏み出す経験をたくさん積むつもりです。

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