エディオンスタジアムの30年 喜びも悲しみもサンフレファミリーと共に

サンフレッチェ広島のホームスタジアムとして長年に渡って親しまれてきたエディオンスタジアム。いよいよ、25日のガンバ大阪戦が本拠地として最後の試合となります。そこで思い出のシーンを振り返ります。

1992年に完成した広島広域公園陸上競技場。当時の愛称は、「広島ビッグアーチ」でした。

記念すべき最初のリーグ戦は今から30年前の1993年5月22日、当時はJリーグブームの真っただ中で、ヴェルディ川崎との一戦に3万5000人を超える大観衆が集まりました。

いまや伝説となった 松田浩 のロングシュートが炸裂した試合です。しかし、残念ながら試合には敗れ、最初の試合を白星で飾ることはできませんでした。

翌1994年は、ファーストステージ優勝を成し遂げ、そのヴェルディと年間王者をかけてチャンピオンシップで対戦します。ホームで行われた第1戦、当時の最強チーム相手にまたしても敗れ、惜しくも優勝には手が届きませんでした。

2002年、日韓ワールドカップの年の札幌戦。藤本主税 のゴール後のパフォーマンスといえば、阿波踊り。懐かしいですね。これまでサンフレッチェの選手が得点を挙げた後にさまざまなパフォーマンスが披露されてきましたが、これが元祖かもしれません。この試合では 森崎浩司 も2得点の活躍を見せました。

続いて、2005年の新潟戦。この試合でゴールを決めたのは、背番号11・佐藤寿人 。これが稀代のゴールゲッターにとって記念すべき “紫のユニホーム” での初ゴールでした。

しかし、その2年後の2007年、スタジアムに苦難が訪れます。京都との入れ替え戦で引き分け、2度目のJ2降格…。

佐藤寿人 選手(当時)
「本当にすいませんでした。絶対にこのくやしさ忘れないから。絶対に1年でもう1回、J1に戻ろう。お願いします」

サポーターの前で叫んだ背番号11の涙の訴えが心に刺さりました。

翌2008年、続投したペトロビッチ監督のもと、チームは一丸となり、J2を席巻。他を寄せ付けず、9月に行われた愛媛との試合でみごと1年でのJ1復帰を決めます。その舞台になったのも、このスタジアムでした。

それから4年後の2012年―。

サポーター
「サンフレッチェに勝ってもらうために(髪の毛を紫)染めました」

森保一 新監督のもと、ついにチームは初のJ1年間優勝を果たします。しかもホームで決めてくれました。

佐藤寿人 選手
「全ての人たちに感謝の思いしかないです。ありがとうございます」

その年、チームのメインスポンサーであるエディオンがスタジアムの命名権を取得。2013年から名称が、現在も使われている「エディオンスタジアム広島」となりました。

2015年は、チームのJ1通算1000得点目が生まれます。4月の清水戦、このスタジアムで当時の守備の要、千葉和彦 が決めました。

千葉和彦 選手(当時)
「勝ったでがんす~!」

さらに、12月のガンバ大阪戦。またしてもスタジアムが歓喜に包まれます。J1で3度目の優勝。

森保一 監督(当時)
「みなさん、広島のみなさん、優勝おめでとうございます」

現・日本代表監督のこの名言がスタジアムに響き渡りました。

2018年8月には同じく被爆地を本拠地とする長崎と初めてのピースマッチを開催。スタジアムが平和への祈りに包まれる中で行われたゲームは、サンフレッチェが勝利を飾りました。

そして、迎えた30年目のことし―。これまで喜怒哀楽、さまざまなドラマを生み出してきたサンフレッチェファミリーのホーム、エディオンスタジアム。いよいよ、あす25日がラストゲームです。

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