[食の履歴書]清水ミチコさん(タレント)田園調布のふかし芋 感銘受けて健康食に

母は料理が好きでした。それも、雑誌を見て良さそうと思う料理があったらすぐにトライするタイプで、トマト入りのみそ汁を作るなど、実験的なことをやっていました。

なかには失敗作もありましたが、日本の素材は元が良いので、失敗してもまずくはない。おいしいところを探せば、ちゃんとありました。新しいものにトライするというのは話も弾むし、いいものだなあと思っていました。

母と私が並んで料理をしている姿を、11歳下の弟が作文に書いたことがあったんですね。2人でしゃべり、笑いながら作っている。何が出てくるのかと思っていたら、こんな料理ができたので面白かった──。そのようなことを書いて、先生に褒められたと言っていました。

母が作ってくれた料理で特に印象に残っているのが、ほお葉ずし。酢飯に、錦糸卵、シイタケ、ゼンマイなどをのせて、ほお葉にくるんで出すんです。私の故郷・飛騨高山の名物で、酢飯にほお葉の香りが移ってなんともおいしかったことを覚えています。母はそれを、お祭りの時しか作ってくれませんでした。ですから特別な料理だったんですね。今でも食べたい味です。

私は料理の道に進もうと思って、短大の家政科に入りました。一応、家庭科の中学生の教員免状も持っています。

短大の授業でショートケーキ作りの時間があったんですね。それにすごく感動しました。ショートケーキって、買ってくるものじゃなくて、自分で作れるものなんだ、と。

もっと作りたいと思って、授業が終わって家に帰るその足で、ケーキ工房に行き、「アルバイトを募集してないでしょうか」と頼み込んだんです。それで週に1日か2日、働くようになりました。

私の実家は喫茶店を4店経営していました。将来、私に1店舗はくれるんじゃないかなと思って、ケーキ作りの腕もつけた方がよろしいんじゃないかと考えましたし、実際にケーキ作りは楽しかったんです。

やがて東京生活が楽し過ぎて、実家に帰りたくなくなってしまったんですよ。「もっと手に職をつけた方がいいでしょ」と親を説得して、短大を卒業してからも東京に残ることにしたんです。そして田園調布のデリカテッセンで働き始めました。

そこのおうちには、小学生の坊ちゃんが2人いらしたんです。東京の子どもたちというのは、おやつはどういうものを食べるのかなと期待して見ていたら、ジャガイモやサツマイモをふかしたものがそのままゴロっと出されていたんです。

ものすごくギャップを感じました。まだ若かった私は、これが今のはやりだとか、東京で一番高くて皆が憧れているお菓子だとか、そういうものに視線を向けていたんですね。でも田園調布の坊ちゃんは、芋をふかしておやつにしていた。

奥さまに尋ねてみたら、「子どもたちの体を考えたら、これがいい。それに子どものうちからいろいろお菓子を食べさせると、味覚が鈍感になるから」とおっしゃいました。

そのデリカテッセンの賄いの昼食も勉強になりました。玄米とお豆腐が1人1丁とか。すごくシンプルだったんですけど、おいしい。

おかげで私は、玄米とか納豆などの発酵食とか、そういう体に良いものを食べる方が、文化的だし、おいしいと考えるようになりました。当時の私は太っていたんですが、食生活を変えてから理想的な体重になり、健康的になりました。

以来、「地に足の付いた料理」とでもいうんでしょうか、良い素材を生かすシンプルな料理を食べています。ライブの時は玄米おにぎりを持参して会場に行ったり。おかげでずっと健康を保てています。 (聞き手・菊地武顕)

しみず・みちこ 1960年、岐阜県生まれ。83年10月からラジオの構成作家を始め、次第に出演も。ピアノの弾き語りとものまねを合わせた芸が評判となり、87年「笑っていいとも!」出演で全国区デビュー。「清水ミチコアワー~ひとり祝賀会~」ツアー中で、12月16日に岩手・盛岡市民文化ホール、17日に宮城・東京エレクトロンホール宮城、2024年1月3日に東京・日本武道館など各地で公演。

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