【Jの輪】アニキ小泉慶のアニキは永木亮太「現役中はこの財布を使います」

小学4年から中学3年まで一緒だった汰木康也、そのプレーを見て「ポジションを変えて守備を覚えました」。

汰木とは小学4年生から中学3年生(横浜F・マリノスプライマリー、横浜FMジュニアユース)まで一緒でした。僕は元々フォワードでドリブラーだったけれど、彼を見ていてそこでは勝てないと、ポジションを中盤に変え守備を覚えました。

汰木は自分の力で(攻撃的なポジションを)勝ち取りプロの舞台でも貫いています。浦和レッズでも、ヴィッセル神戸でも、前目のポジションでプレーしていることにリスペクトしています。柔らかいボールタッチ、キックの精度も優れていますし、相手の逆を取ること、体の線は細いけれど体幹も強い。間違いなくサッカーに対しては真面目で負けず嫌い。性格は適当なんですが(笑)。

プロになったあと、彼の活躍は刺激になりますし、良い関係だと思っています。彼が浦和、僕が鹿島アントラーズでプレーしていた時、サイドハーフとサイドバックとしてマッチアップしました。特長や癖は分かっていて、彼もそうだったので、めちゃくちゃ意識したし対決は面白かった。

試合は鹿島が勝って喜びましたが、小・中学校で一緒にプレーしていた友達と大きな舞台で対戦できた喜びも大きかったです。

(当時の思い出やエピソードは?)僕らの1つ上の世代に喜田拓也(横浜F・マリノス)くんがいて、プライマリーは全日本U-12サッカー選手権大会で3連覇(2004~2006)していました。しかし史上初となる4連覇を狙っていたものの、まさか県大会で敗退。ロッカーで汰木と二人で泣いた記憶がありますね。互いにとって初めての挫折で、その悔しさがあって成長できたとも思っています。

(汰木選手は、プライマリー時代『小泉選手が試合に出場して得点を取ったら、ベンチで隠れて泣くほど悔しくてピッチの端っこでシュート練習をしていた』と話していました)え、それは知りませんでした(笑)。互いに切磋琢磨し合う良いライバル関でしたね。

この場を借りて彼に一つ言いたいのは、今、イケメンキャラになっていますが、当時の私服のセンスがあまり良くなかったことを知っていますよ。声を大にして言いますが”イケメンキャラ”ではなかった。多分、柏木(陽介)選手に可愛がられて、髪型や私服も気にするようになったと思います。外見はあか抜けましたが、中身は変わっていないと思います(大笑)。

(汰木選手からのメッセージは『年に一度ではなく、もう少し会いたい』。あと鳥栖と神戸の対戦で『ユニフォーム交換を断られた』そうですが?)。鳥栖と神戸では距離もありますし、僕に家族もいるので彼とはネンイチぐらいが丁度いいです(笑)。

ユニフォーム交換は、ずっと知っている仲なので必要ないだろうと。もしも交換しても失くされそうですし。僕の希望は、彼の趣味である釣りを教えてほしいです。

(それでは、友人を!)永木亮太くん(徳島ヴォルティス)にします。鹿島で彼はボランチとサイドバックでプレーしていました。当時の僕もボランチとサイドバックの両ポジションでプレーし、どちらかに絞りたいと考えていたところでした。

亮太くんはどのポジションでもチームのために献身的に戦っていました。その姿を見て、自分の目指すべき選手像が亮太くんにあると感じました。

試合に出ても、出ていなくても、練習から手を抜かずサッカーに取り組む姿勢は素晴らしく、プレースタイルも似ていると思いました。ただピッチを離れると天然系の人です(笑)。

アルビレックス新潟でプレーしていた時に初めて対戦して、当時の湘南は『永木亮太のチーム』で攻守の中心でした。これからもマッチアップしたいです。

僕は亮太君からもらった財布を使っています。それは先輩からもらった財布を使ったほうが、(サッカー運が)良いという話しを聞いていて、三竿(健斗)の結婚式の時、「財布がほしい」とお願いしたところ、財布の中身を全部出して「やるよ」と一言でくれました。本当に格好良かったですね。

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本人も大事に使っていた財布だと思うので本当に嬉しかったです。「大事に使っている」と伝えてください。現役中はこの財布を使います。

イラスト●茉莉香
取材・文●石田達也

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