ロックの殿堂授賞式におけるリンゴ・スターの受賞スピーチ

YouTube: Rock & Roll Hall of Fame / Ringo Starr Acceptance Speech at the 2015 Rock & Roll Hall of Fame Induction Ceremony

ザ・ビートルズ(The Beatles)最後の新曲「Now And Then」、そして1973年に発売された2つのベストアルバム『The Beatles 1962-1966』(通称:赤盤)と『The Beatles 1967-1970』(通称:青盤)の2023年ヴァージョンが2023年11月10日に発表となった。

この発売を記念して、ザ・ビートルズやザ・ビートルズのメンバーが“ロックの殿堂入り”を果たした際の授賞式でのスピーチの翻訳を連続してご紹介。

本記事では、2015年にロックの殿堂入りを果たしたリンゴ・スターの授賞式での受賞スピーチをお届けする。

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僕の名前はリンゴ。ドラムをやっている。素晴らしいスピーチをしてくれたポールに感謝したい。中には本当の話もあったね。“ロックの殿堂”に入れることのはとても光栄なことだ。取材を受けていると、記者たちから「どうしてこんなにも長いあいだ (殿堂入りを)待っていたんですか?」なんて聞かれるんだけど、僕にはどうしようもなかったんだよ。招待されないことには入れないんだからね。とにかく、僕は招待されたみたいだし、すごく喜んでいるよ(会場拍手)。それに、ここがクリーブランドだっていうことも嬉しく思う。そのわけを話そう。

ミュージシャンになったばかりのころ、僕はスキッフルのバンドをいくつか渡り歩いた。ホーム・パーティーで演奏するようなバンドだ。僕が最初に入ったバンドにはエディ・クレイトンというギタリストがいて、それは素晴らしいグループだった。僕はスネア・ドラムを叩き、ベーシストのロイはティー・チェストに棒を差して弦を張ったベースを弾いていた。ロニー・ドネガン、ここに一つの手がかりがあるわけだけど、彼がスキッフルをイングランドに広めてくれたおかげだ。ロニー・ドネガンがね!

そういうわけで、僕たちは呼ばれればどこででもスキッフルを演奏した。それから、ほかのバンドもいくつか経験したよ。僕はうまいミュージシャンたちと演奏したいと常々思っていたから、いくつものバンドを渡り歩いて、少しずつステップ・アップしていったんだ。

そしてみんなも知っている通り、最終的にロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズに落ち着いた。僕が加入したときは、カントリーやフォークを演奏するバンドだったんだ。大きなアンプで演奏している(現代の)大物ギタリストのみんなには目から鱗だろうけど、当時のギタリストたちは、ギターをラジオに繋いで、それをアンプ代わりにしていたんだ。僕たちがリヴァプールにあるジャズ・クラブ、キャヴァーン・クラブで演奏していたときの話ね。

だけど結局は、「出て行け!そんなのジャズじゃない」といって追い出されたよ。とにかく、駆け出しのころの僕たちにとっての初めてのアンプはラジオだったんだ。そうこうしているうちに活動は軌道に乗り始め、僕たちはリヴァプールやその周辺で頻繁にステージを務めるようになっていった。それでもそれ以上に活動範囲が広がることはなかったし、そのあいだも僕は工場勤めを続けていた。

(スピーチが長くなりそうなことをポール・マッカートニーに指摘されて)ああ、分かっているよ。だけどこれまでずっと席で大人しく聞いていたのにそんなことを言うのかい? 僕にだって語りたいことがあるんだよ!(会場拍手・笑い)

僕は工場で働いていて、終業後の時間帯に演奏するっていう日々を送っていた。そして毎週日曜日にはラジオを聴いた。当時のイングランドには、BBCしか放送局がなかったけれども、ヨーロッパにルクセンブルクという小さな国がある。スイスやフランスなんかの近くにある、人口6(0万)人ほどのごく小さな国だ。だけどどうしたわけか、その国には巨大なラジオの電波塔があって、その放送局がアラン・フリードの“ロックンロール・ショー”の放送権を買っていた。そう、クリーブランド生まれのロックン・ロールだ!(会場拍手)

1955年ごろの話になるけれども、初めてその番組を聴いたとき、ビル・ヘイリーが僕の憧れの人になった。ロックの草分けだね。そしてエルヴィスも登場した。とにかく、僕は毎週日曜の夕方4時にヘイリーの音楽を聴いた。そこで、リトル・リチャードや、今夜ここにいるジェリー・リー・ルイスの音楽も初めて聴いたんだ。そうして僕は、ロックンロールという音楽に出会った。イングランドではそういうものがほとんど放送されていなかった。ロックンロールは小さな国から届けられていたんだよ。

ロイと僕は毎週日曜の4時になると彼の家に集まり、ラジオをつけた。すると、アラン・フリードが素晴らしいレコードやミュージシャンをたくさん紹介してくれた。あるとき、とても驚かされた出来事があった。僕が10代のころ、フリードがリトル・リチャードの曲をかけた。その曲でリトル・リチャードは“Shag On Down By The Union Hall! /ユニオン・ホールでシャグを踊ろう”と歌ったんだ。みんなは何とも思わないだろうけれども、僕たちにとっては大きな意味があった (訳注:“Shag”には性交の意がある) 。“Shag On Down By The Union Hall”なんて言葉がラジオで流れてくるとは夢にも思わなかったんだ。僕たちは「なんてこった!何が何でもそこに行ってみたい」なんて思ったものだよ(会場笑い)。

それが僕のロックンロールとの出会いだった。それに、僕は港町の出身でもある。リヴァプールに立ち寄った船乗りたちが、ニューヨークをはじめ、アメリカ中の音楽を持ち込んだんだ。彼らは酒で金を使い果たすと手持ちのレコードを売っていたんだ。それで…… (ステージ裏から楽器の音が聞こえて) 待たせちゃってるかな?(会場笑い)

とにかく、僕はそうやってレコードを集め始め、さまざまな音楽に触れ、最後にはロックンロール・バンドに加入した。そしてロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズの一員としてドイツへ行き、そこでザ・ビートルズのメンバーと出会った。ポール、ジョン ―― きみに神の御加護を ―― そしてジョージ ―― どうか神の御加護を ―― に出会ったんだ。

彼らと知り合って、リヴァプールに戻った後のことだ。みんなが僕の家を訪ねてきた。何でもドラマーの体調が悪いっていうんだ。代役を務めたかって?もちろんだよ。そのころ僕は工場勤めをやめていて、お昼まで寝ていられたから気分が良かった。それでお昼時にジョージ、ジョン、ポールと一緒に演奏して、有意義な時間を過ごした。

それから、イングランド国内のあちこちやリヴァプールのクラブをいくつか彼らに紹介してあげたんだ。彼らの知らないような店をね。だから、彼らが堕落したのは僕のせいでもあるんだな(会場笑い)。

そんな風にして僕たちは親しくなり、一緒に遊ぶようになった。僕はロリーのグループに戻ったけど、ドラマーが出られないってときはザ・ビートルズの面々と一緒に演奏したんだよ。

その後、僕は一本の電話をもらった。3ヶ月間、イングランド国内のホリデー・キャンプで演奏するっていう仕事の話だった。週給24ドルっていう最高の条件だったよ。電話の相手はブライアン・エプスタインだった。ブライアンに拍手を送ろう。それは、グループに加入しないかという誘いの電話だった。水曜日のことだよ。

ザ・ビートルズに加わる気はあるかって訊かれて、僕は「いつから行けばいい?」って返したんだ。すると彼は「今夜だ」と言う。僕は、「いや、それはできない。僕にもバンドがあるし、そっちの仕事もあるから。土曜日に行く」と伝えた。というのも、リヴァプールではみんな同じ曲を演奏していたから、適当なドラマーを探せば穴は埋められたんだ。まあそうやって、この旅が始まったっていうわけだ。

曲が書ける3人のメンバーとの旅路は、僕にとって素晴らしいものだった。このあいだも話したばかりだけどね。まず、ポールが僕たちに曲を聴かせてくれて、みんなでそれを合わせる。すると1時間半ほどでかなり出来の良いものになって、それがレコードになるんだ。僕たちはあまり時間をかけなかったし、その過程をすごく楽しんでいた。

ポールも話していたけど、ザ・ビートルズが影響力と知名度を高めたあとも、ホテルは相部屋だった。ホテルやゲスト・ハウスに泊まっても、二部屋しか用意されていないんだ。誰と同部屋かなんて関係なかった。それが誰であっても仲間同士だし、仲良くしていたよ。

バンドに所属している人たちに伝えたいのは、ほかのメンバーのことを深く知った方がいいってことだね。もう一つ、駆け出しのバンドに与えておきたい助言がある。バンの中でオナラをしたときは、潔く白状した方がいいってことだ(会場笑い)。名乗り出ないとお互いを責め出して、地獄の沙汰になってしまうからね。だから、バンの中では正直に白状することっていう決まりを作った方がいい。オナラをしたら「僕がやりました」って認めるルールをね。僕たちはそうやってうまくやってきたんだ(会場笑い)。

今夜は素晴らしい時間を過ごせているよ。普段はなかなか会えないミュージシャンたちと一緒に過ごせるからね。このあと、いくつか曲を披露するつもりだ(会場拍手)。だけどジョン・レジェンドとスティーヴィー・ワンダーのあとにやらなきゃいけないらしいね。なんてこった。

まあとにかく、最初に披露するのは僕が1960年からやっている曲だ。そのころから僕のお気に入りの1曲だったシュレルズの「Boys」だよ。気に入ってもらえたら嬉しいね。

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『ザ・ビートルズ 1962年~1966年』(赤盤) 2023エディション
『ザ・ビートルズ 1967年~1970年』(青盤) 2023エディション
発売中

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