「この親子をどうか助けてやってください」神に祈りながら撮影… 被爆から2か月後の広島 放射線被害に苦しむ人たちの姿

広島の原爆を記録した写真と映像について、政府は28日、ユネスコの「世界の記憶」に登録するよう推薦することを決定しました。被爆2か月後に撮影された映像には、廃墟となった広島市街地だけでなく、原爆放射線の急性障害に苦しむ人たちの姿も収められていました。

爆心地から2.4キロにある大芝国民学校(現大芝小学校・広島市西区)は、臨時の救護所となり、負傷者であふれかえっていました。そこに横たわっている親子の姿が映っています。

「頭髪は抜け、糸のように痩せた腕を土間へ横たえている12歳になる女の子に、今日はとても心引かれる」

大芝国民学校を撮影したスタッフの日記には、こう書き残されていました。

女の子は、竹内陽子さんです。陽子さんは、爆心地から1キロの自宅で被爆し、倒れてきた冷蔵庫で大けがをしていました。しかし、このときは、けがではなく放射線の急性障害に苦しめられていました。

陽子さんのそばには、母親のヨ子コ(よねこ)さん(当時31歳)も力なく横たわっています。ヨ子コさんにけがはありませんでしたが、被爆から1か月後に発病したといいます。

そして、日記にはこう続きます。
「『助かりますか』。案内の医師に聞いてみた。我が児に引き比べて不憫が胸いっぱいに込み上げてきた。『アメリカのチクショーめ。この親子をどうか助けてやってください』と神に祈って帰る」

撮影からわずか2日後、ヨ子コさんは息を引き取りました。陽子さんはその翌月、母を追うように亡くなりました。

これらの映像は、日本映画社が1945年9月下旬から10月にかけ、撮影した記録動画フィルムです。約110分間の映像で、爆心地付近を含む広島市内の被害状況を収めています。

竹内さん親子だけでなく放射線の影響に苦しむ人たち、けがや、やけどの治療を受ける人たちの姿が数多く残されています。

フィルムは現在、長期間保存のため国立映画アーカイブに寄贈されて保管されています。

今回、ユネスコ「世界の記憶」へ推薦が決定したのは、1945年末までに広島への原爆投下について記録した写真1532点とこのフィルムを含む映像2点です。広島市とRCCなど新聞・放送の5社が申請していました。

「世界の記憶」への最終的な登録の可否は、被爆80年となる2025年のユネスコ執行委員会で決まる見通しです。

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