阿部兄妹はなぜ最強になったのか?「柔道を知らなかった」両親が考え抜いた頂点へのサポート

トップアスリートの子育ては、その競技を取り巻く環境や、子どもたちの資質によってさまざまだ。一方で、そこには時代の変化にも左右されない、いくつかの共通項もある。柔道・男子66キロ級の阿部一二三と女子52キロ級の阿部詩は、東京五輪で史上初の兄妹同日優勝を成し遂げ、今年5月の世界選手権では2年連続3度目のダブル優勝を達成。強さに磨きをかけ、パリ五輪では2大会連続Vに期待がかかる。2人の柔道人生の原点を辿ると、家族とともに過ごした幼少期の濃密な時間が見えてくる。柔道経験者ではなかった父・浩二さんと母・愛さんは、兄妹の成長をどのように見守り、サポートしてきたのだろうか。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=阿部家)

一緒に体を動かし、フィジカルの基礎を作った幼少期

――浩二さんは競泳で国体にも出場された選手だったそうですが、小さい頃から、子どもたちには何か運動をさせたいと思っていたのですか?

浩二:もともと、2人とも机の前に座ってずっと何かをやるという素養がなかったので、そちらの方向にはあまりベクトルが向かなかったんですよね。僕も消防士の仕事をしているので、どちらかというと体を動かすほうがいいかなと思っていました。

:長男の勇一朗と次男の一二三は子どもの頃からものすごくエネルギッシュで、他の子どもたちと並んでも元気すぎたので、本当に何かさせてあげたほうがいいんじゃないかとは思っていました。ちょうど私が以前働いていた職場にスイミング教室があったので、小さい時に通わせていたんです。

――その中で、一二三選手が柔道を始めたきっかけはどのようなことだったのですか?

浩二:僕ら夫婦が小柄なので、子どもたちも身長はある程度までしか伸びないだろうと思いました。バスケットは無理だし、野球もあかん、サッカーもあかん、と。それで、体重別で同じ体格で競える種目で、日本で一番世界に近い競技を考えた時に、柔道かレスリングかなと。ただ、レスリングができる環境は周りになかったんです。それで、柔道はどうかな? と、本人と話して。無理やりやらせるつもりもなかったですし、何か一つ、得意なものがあればいいね、という選択肢の中の一つでした。当時、私の職場の先輩のお子さんが柔道ですごく強い選手で、頑張っていらしたんですよ。それで、一二三が年長の時に兵庫少年こだま会を紹介していただいて、兄と一緒に入会したんです。

:最初の頃はよく泣きながら帰ってきていました。周りに体の大きい人が多くて、怖かったんじゃないかなと思います。

――浩二さんは一緒に公園でトレーニングされることもあったそうですね。

浩二:柔道を始めてしばらく経ってからですね。なかなか勝たれへんな、と。その時は頑張っていましたけど、今振り返れば、負けるのは仕方がなかったと思います。たとえば、柔道を知っている親御さんや、先生をされている人の娘さんだったら、教え方とか技術的なことの土壌がありますよね。でも、僕らは何もわからなくて、励ますことしかできなくて。それは今も同じですけどね(笑)。

:小学生になって試合に出た時にすぐ負けちゃって。一二三も負けず嫌いだったので、とりあえず「まず走ろう」と言って、2人で道場まで走るようになったんです。

――当時のトレーニングが一二三選手の強いフィジカルの礎になっているそうですが、どのようなメニューをこなしていたのですか?

浩二:休みの日は公園に行って一緒に体を動かしました。当時は一二三もまだ小柄で体重も軽いし、負けるのも仕方がなかったのですが、やっぱり悔しかったですね。団体戦で出ると、他の人たちが安定して勝っている中で、どうしても足引っ張る感じになるんですよ。一つ負けたら、その分どこかで勝ってもらわなければいけないじゃないですか。だから負けるのが辛くて、これが当たり前になったらあかんなと思って、勝つための頑張りくらいは見せないといけないと。頑張って負けたら仕方がないと思いますが、何もしないで負けたら言い訳が立たないじゃないですか。そういうプレッシャーも感じながら、公園で走って心肺能力を鍛えたり、体幹を鍛えるトレーニングなどを考えて、一緒にやっていました。

忍耐強く練習に取り組んだ兄・一二三

――試合に敗れた時の声の掛け方などで心掛けていたことはありますか?

:「じゃあ次は勝つために何をしようか」と、いつもみんなで考えていましたね。

浩二:「なんで負けんのやろな?」って当時は必死でしたから、「(相手の柔道着を掴んだ)手を絶対に放すな」とか、「前に出て自分から技かけろ」とか、「あの選手はこれができていたから、これができなかったら勝てないね」などと無理なことを言っていました。トップ選手がやっていることを小学生に言ってもできるわけがないのに、今考えるとむちゃくちゃですよ(苦笑)。僕もやらせてもらったことがあるんですが、手を放さずに握り続けるのは難しくて、爪が剥がれそうになるぐらい痛いんです。それを知っていたら自分の中でラインを引けたと思うんですが……(笑)。

――自分と同じぐらい悔しがってくれたり、親が同じ情熱で戦ってくれることも大きいと思いますが、そんなに厳しい中でも一二三選手はやめたい、とは言わなかったのですか?

浩二:そうですね。彼のそういう我慢強さは今でもほんまにすごいと思いますし、努力家だと思います。やめたいんじゃないかな?と思うこともありましたけれどね。

:一二三は言わないで内に秘めるタイプで、我慢強い子でした。「練習が嫌だ」とか「行きたくない」と言うことはほとんどなかったです。詩は結構、わーっと泣くこともありましたけどね。

浩二:詩は感情を表に出すタイプで、出さへんかったらストレスが溜まるタイプなんだと思います。

天真爛漫だった妹・詩のスイッチ

――詩選手はお兄さんについて行って5歳の時に柔道を始めたそうですが、一二三選手とは違うアプローチをしていたのですか?

:特に何かを変えるということはなかったですが、詩に関しては、小学校の頃はそんなに頑張らなくてもいいような感じで、一緒にトレーニングとかをしたわけでもないんですよね。

浩二:「一緒にトレーニングしようか」と言ったら「うん、やる!」と言って家のすぐ近くの公園までついてくるんですけど、2、3個やったら「もう詩、帰るー!」と言って帰ってしまうんですよ(笑)。一緒に練習をやった記憶はほとんどないですね。

:当時は試合で負けても、「負けちゃったー!」って笑って帰ってきましたから(笑)。ただ、5、6年生ぐらいから、負けた時にちょっとずつ、悔しがるようになりましたね。

――それぞれ、競技に本格的にのめり込むスイッチが入るタイミングも違ったんですね。

浩二:一二三に対しては周りの先生もめちゃくちゃ厳しかったので、かわいそうなくらい追い込まれていたと思いますよ。僕は練習以外は自由に遊んでいいと思っていましたが、トレーニングの時は厳しかったですから。

:休みの日も練習だったので、家にいる時は柔道の話はしないようにしていました。

――兄妹喧嘩をすることもあったんですか?

:私たちが見ていないところではしていたみたいなんですけど、あまり記憶にないですね。

「限界点を知らない」からこそ身についた強さ

――以前、インタビューで、一二三選手がラタトゥイユが好きとおっしゃっていましたが、食事の面ではどのようなことを考えてサポートされていたのですか?

:特にこれというメニューがあったわけではないのですが、体にいいものや、いろいろな食材をたくさん食べさせるようにはしていましたね。みんなそんなにたくさん食べるわけではなかったんです。唐揚げやお米をたくさん食べる、というわけではないのですが、種類は豊富で、野菜とか煮物などを5、6種類ぐらい作っていました。

――参考にしたアスリートの子育てなどはあったのですか?

:記事を見たり、テレビでそういう特集をやっていたら見たりもしましたけど、参考にしたことはないですね。「朝からしっかり食べる」とか、「これを食べると体にいい」という情報を見た時は、やってみたりもしましたけどね。

浩二:あの選手がこれをしているからこれをしなければいけない、と思ったことはなかったです。真似をしたらそこまでしかいけないし、それ超えていかないとトップにはなれないと思いますから。自分たちがそれ以上の何かをやらんとあかんのかな? と思っていました。結局、「柔道はこういうもの」ということを知らなかったから、限界点も見えていなかったんです。

――その中で、試合で勝てる手応えが出てきたのはいつ頃だったのですか?

:一二三は小学校5年生ぐらいだったと思います。

浩二:その頃になって、少しずつ技が決まるようになって成果が出始めましたが、常勝にはほど遠かったですね。

:小学生の頃は全国大会に一回も行ったことがありませんでした。ただ、少しずつ技が決まるようになってきて、内容が良くなってきたんです。

浩二:目標や夢についての話はもっと小さい頃からよくしていました。目の前の大会は絶対勝ちたいけど、その先1年後、3年後、5年後はどうしていたい?とか、どの大会でオリンピックに出ようね、と。思わなければ、絶対にその場所には行けないと思いますから、一二三もずっと「そこにいくんだ」と思っていたと思うんですよ。

――目標が具体的だったからこそ、イメージしやすかったのですね。

浩二:そうかもしれないですね。ただ、それも私が柔道の世界を知らなかったことが大きいと思いますし、親が知らないことも強みになるんだな、ということはいつも思うんです。

<了>

「日本の柔道はボコボコ、フランスはユルユル」溝口紀子が語る、日仏の全く異なる育成環境

ブラジル柔道に男女の壁「全然ない」。男子代表の日本人女性監督が実践する「個人に寄り添う」指導

79歳・八田忠朗が続けるレスリング指導と社会貢献「レスリングの基礎があれば、他の格闘技に転向しても強い」

「根性って何だろう?」空手家・月井隼南が後悔する、ケガにつながる行き過ぎた根性論とは

レスリング界で疑惑の“ヌルヌル問題”。疑わしきは罰せず? 由々しき事態はなぜ横行するのか?

[PROFILE]
阿部一二三(あべ・ひふみ)
1997年8月9日生まれ、兵庫県出身。柔道家。階級は66kg級。パーク24所属。3人きょうだいの次男で6歳で柔道を始める。2014年、神港学園高校2年時に講道館杯全日本体重別選手権で男子史上最年少で優勝。同年のグランドスラム東京でも66kg級で金メダルを獲得し、その後、2017、18年の世界選手権を連覇。2021年の東京五輪では妹の詩とともに五輪史上初の兄妹同日金メダルを達成。得意技は背負投、袖釣込腰。6月にパリ五輪代表に内定し、2大会連続金メダルを目指す。

[PROFILE]
阿部詩(あべ・うた)
2000年7月14日生まれ、兵庫県出身。柔道家。階級は52kg級。パーク24所属。3人きょうだいの末っ子で、兄2人に続いて5歳の時に柔道を始める。夙川高等学校に進学後に頭角を現し、2016年、高校1年生の時にグランドスラム東京の52kg級で準優勝。翌年には同大会で優勝。2018、19年の世界選手権を連覇し、21年東京五輪・女子52kg級で金メダルを獲得。右内股と右袖釣込腰。兄・一二三とともに6月にパリ五輪代表に内定し、2大会連続金メダルを目指す。

© 株式会社 REAL SPORTS