【コラム】世界への挑戦へ。宮田莉朋に聞くヨーロッパ挑戦の舞台裏と送るエール

 11月20日に行われたTOYOTA GAZOO Racingの2024年のWEC世界耐久選手権への参戦体制発表のなかで、TGR WECチームリザーブドライバー、ELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズ参戦、そしてサプライズとなったFIA F2参戦が決まった宮田莉朋。11月29日から始まるFIA F2アブダビテストを前に多忙な日々を送ってきた宮田だが、渡航を前に11月24日に行われた『JAF MOTORSPORTS AWARD 2023』の際に、世界への挑戦へのエールを込め、改めて意気込みを聞いた。

 宮田は2016年にFIA-F4チャンピオンを獲得し、2017年からは全日本F3に参戦。個人的なことを言わせていただくなら、この年から仕事で頻繁に宮田に取材することが多く、話す時間も長かった。まだ高校生だった2017年にはマカオGPにも初出場したが、「歴史の教科書にフェルディナンド・ハプスブルク(この年カーリンから出場)のサインもらおうと思ってるんです。だってあのハプスブルク家ですよね?」という話をしていたのがつい最近のようだ。

 その後も2018年には神奈川県川崎市の麻生警察署での一日警察署長に帯同したり、2019年の全日本F3では参戦が決まったサッシャ・フェネストラズとの戦いを前にネガティブなコメントをぶつけられたり(その後ふたりが大の仲良しになるとは思わなかった)、2019年のWTCRスポット参戦、GT500、スーパーフォーミュラに上がった後も事あるごとに取材をさせてもらった。

 そんな宮田も2020年にスーパーフォーミュラ・ライツのチャンピオンを獲得し、2023年にはスーパーGT、スーパーフォーミュラのダブルタイトルを獲得。ヨーロッパ挑戦も発表された。さらなる飛躍を前に国内ではしばしの別れになると感じ、11月24日のJAF表彰式の後、宮田に取材を申し込むと快諾してくれた。「当分は取材しないだろうと思って」と切り出すと「そんなことないと思いますよ。どうせどこか海外来ますよね(笑)?」と軽く返されてしまった。円安さえなんとかなれば、そんな気はするが。

 さて、そんな宮田だが、11月24日のJAF表彰式ではふたつのトロフィーを受け取った。ダブルチャンピオン獲得の実感はこみ上げてきただろうか? しかし宮田は「最近になってYouTubeの動画を見返したりして、ようやく実感が湧いてきたくらいなんですけど……」というが、その実感を噛みしめるほどの時間がないという。

 スーパーGT最終戦もてぎ後「僕の2024年の活動が、前日に決めたことが次の日に変わっていくような状況で過ごしてるんです。だから浸るヒマもないくらいです。一日経ったらもう予定が変わっているんです」とチャンピオン獲得の感慨も感じられないくらいの多忙な日々を送っていたという。

 このJAF表彰式の後、すぐに富士スピードウェイに向かい、11月25〜26日のインタープロトに出場。その後はすぐにFIA F2テストのためにアブダビに向かった。「今日はたまたま出られましたけど」と、JAF表彰式以外のSUPER GT HEROESやスーパーフォーミュラの表彰式などは出られないというハードスケジュールだ。

 そんなドタバタぶりから伝わるように、激動のうちにそのプログラムが決まった宮田のヨーロッパ挑戦。特に注目を集めるのがFIA F2参戦だ。筆者は宮田から、スーパーフォーミュラ・ライツのチャンピオンを獲得した2020年前後から、事あるごとに宮田本人から「FIA F2に出たい」という希望を聞かされていた。「どうすればいいですか?」と聞かれたが、当然ながら一介のライターにそんな伝手はなかったが。

2017年のマカオGPにトムスから参戦した宮田莉朋と坪井翔
2019年WTCR鈴鹿ラウンド 宮田莉朋のもとにサッシャ・フェネストラズも応援に駆けつけた。
2019年WTCR鈴鹿ラウンド 宮田莉朋(アウディRS3 LMS)
2020年スーパーフォーミュラ・ライツチャンピオンの喜びを語る宮田莉朋

■自身にとっても驚きのFIA F2オファー

 ご存知のとおり、宮田はFIA-F4では角田裕毅に勝ち、今季はスーパーフォーミュラでもリアム・ローソンに勝ちタイトルを獲得した。以前から公言しているF1という大きな夢はありながらも、まずその夢に向けたステップとして、FIA F2に出て、まずは自分の世界での位置を確認したいという希望を聞かされていたのだ。TGR発表会では「オファーがあった」と説明されていたが、JAF表彰式の後に宮田に聞きたかったのは、このF2挑戦が自身の希望が繋がったのかどうかだった。

 宮田に改めてFIA F2というレースについて聞くと、「個人的にはレースではなくても、F2というクルマをテストでも乗ってみたいという思いがありました。F1直下のカテゴリーと言われているクルマがどんなものなのかという興味本位と、例えば今年のリアムもそうですが、F2から来たドライバーのレベルが高かった。でも、F2はチームによって成績が残せているのか、それとも本来のドライバーのパフォーマンスが高いのか低いのか、そこが両極端なんですよね」という。

「そういう意味でも日本で成績が残せていれば、外的要因で結果が残らないのか、実力が足りなかったのか分かりますよね。だからテストに乗ってみたいくらいの気持ちはありました。でも、自分からF2に行かせてほしい……というアクションはしていませんでした」

 近年のFIA F2/F3は参戦のためのコストは暴騰している。一説には一年間に数億……では足りないレベルだという。テストに乗るだけでも高額の費用が必要で、24歳の若者が簡単に用意できる金額ではない。宮田はTOYOTA GAZOO RacingのWECチャレンジプログラムの一員として2024年に向けて動いていたが、その段階では「F2に乗る」という考えは宮田の中にまったくなかった。

 そんな宮田にとっても驚きとなったのが今回のオファーだった。「スーパーGT第8戦もてぎの翌週の、スーパー耐久第7戦富士の頃に話を聞きました。11月20日に発表があったと思いますが、F2の話をされたのはその1週間ちょっと前くらいです」と宮田は明かした。

「平川(亮)さんがマクラーレンのリザーブになって、機会が生まれたらそれを応援してあげようという、モリゾウさんの考えがTGRの今のドライバーズファーストという考え方となっていて、それがプラスとなりきっかけとなっています」

「僕はWECチャレンジプログラムに参加していたので、ハイパーカーに乗ることを目指し、ハイパーカーで活躍した先でF1という道が開けたらF1に行きたいと、佐藤社長(トヨタ自動車佐藤恒治社長。前GRカンパニープレジデント)やいろんな方には話していました」

 宮田は『FIA F2に乗りたい』という希望を具体的に伝えていたわけではなかった。すでに11月20日の発表会時にも明かされたが、逆にダブルタイトルを獲った宮田にオファーが“やってきた”ことで一気に話が決まった。

「今までも僕はトヨタのドライバーだからF1はない……という感覚はなしに『F1に乗りたい』と言っていましたけど、その思いがあってF2にいけたわけではないんです。F2というのはぜんぜん視野に入っていなかったです。挑戦できればうれしいことでしたが、僕がF2に行きたいというアクションはしていなくて、(中嶋)一貴さんにも話していなかったんです」

JAF MOTORSPORTS AWARD 2023 スーパーフォーミュラ王者の宮田莉朋
2024年TGR体制発表に登壇した宮田莉朋
2023年のスーパーGT500クラスでチャンピオンに輝いた36号車au TOM’S GR Supra、最後のスティントは宮田莉朋が担当した
2023スーパーフォーミュラ第9戦鈴鹿で初タイトルを決めた宮田莉朋(VANTELIN TEAM TOM’S)

■将来への道を開くために

 いずれにせよ、急転直下で決まった2023年のFIA F2挑戦。さらに並行してELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズ、さらにWECのリザーブドライバーにも決まった。「WECのリザーブは発表の3日間くらい前に言われたので、何も知らなかったんです」と宮田は明かした。

「先日、一貴さんが話してくれたのですが、日本側がTGR-Eに対して『宮田をリザーブにしたい』と言ったわけではなく、どちらかというと、TGR-E側が『宮田を起用したい』と言ってくれたそうなんです。僕はハイパーカーもドライブしていないし、シミュレーターとWEC第6戦富士で少しパフォーマンスを見せたくらいで、あとはスーパーGTとスーパーフォーミュラの成績で判断してくれたので、その点では感謝しかないですね」と宮田は言う。

「ヨーロッパ側が宮田莉朋という存在をしっかりと推してくれたので、ハイパーカーへの道も開けてきたと思いますし、もしF2の成績が良かったらF1への道も開けると思っています」

 迎える2024年に向け、すでに動き出している宮田。これまで日本でその活躍を伝えてきた身としては、FIA F2は非常に困難な挑戦であれど、その先に繋がるWEC、さらにそのまた先へ期待をせずにはいられない。

 ズバリ最後に、意気込みを……と聞くと「ファンの皆さんをはじめ、深い中身を知らない方からすると、単純に結果を見てしまうとは思います。自分もF2という世界に行ったことはありませんが、経験しているドライバーなどからいろんな話を聞いているので、自分だけの力では無理なところがどこかあると思っています」と宮田は語った。

「その中でしっかりパフォーマンスを示したいし、条件の下で常に良い結果を残したいと思っています。だからといってチャンピオンを獲らないわけではなく、優勝、チャンピオンを目指していきたいと思っています」

 宮田にとってはシミュレーターの経験はあれど、実際は知らぬサーキットばかりで、かつFIA F2は走行時間も少ない。「その中で結果を残すのはかなり難しいですが、残せたら大したもんだと思ってください。とはいえ、長期的な目で見て欲しいと思いますし、良くも悪くも普通に終わってSFに戻ってくるのはイヤなので、日本に戻らずに活動し続けられるように頑張りたいと思います」と意気込んだ。

 筆者の願いも「しばらく戻ってくるな」だ。これまでも全日本F3/スーパーフォーミュラ・ライツでは壁に当たり、そのたびに愚痴をこぼしながらも、持ち前の負けん気とクレバーさ、スピードで乗り越え、周囲から求められた結果を残してきた男だ。海外という新たな壁も乗り越え、自らの夢に近づいてくれることを願っている。

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