婚約の翌日に恋人が失踪 『市子』杉咲花×若葉竜也が赤裸々に語る「“わからなさ”こそが日常」模索と受容と発見を繰り返した撮影秘話

若葉竜也 杉咲花

映画『市子』の原作は、戸田彬弘監督の演劇「川辺市子のために」。演劇界で熱い支持を得ていた作品を同監督が映像化した話題作だ。

3年間仲良く暮らした女性がプロポーズの翌日に突然失踪、婚約者が彼女を探す過程で壮絶な過去を知っていく、サスペンスに満ちた人間ドラマ。そんな本作の撮影の背景や役作りについて、主演の杉咲花若葉竜也に聞いた。

「市子のことが“わかった”とは言い切れない」

―若葉さんは「この映画を軽薄に人間をカテゴライズして“わかっている”と安心したがる人に観てほしい」と、かなり強いコメントを寄せていらっしゃいますね。

若葉:日常的に起きている、たとえば通り魔殺人に対して「この人は生い立ちがこうだったからこうなんだ」とか、「この人は元々、こういう趣味があったからこうだった」とかカテゴライズして「だからこういう凶行に至ったんだ」って、みんながすごく安易に安心しているように感じていて……。容疑者の中ではもっと複雑に絡まったものがあったはずなのに、専門家みたいな人が出てきてその人についてわかったように喋って、そしてみんなで安心するっていう、何の解決にもならないことを繰り返してるような気がしていて。

だから『市子』を観た時にも「きっとこの子はこういう家庭環境だからこうだったんだ」とか「こういう嗜好があったからこうだったんだ」ってことではなくて、普通に隣にいる人がある日突然姿を消したり、事件が起こったり、そこの危機感を常に持たないと何も解決しないし、何もいい方向に進んでいかないような気がしていて。だから、そういう人たちが観て市子をカテゴライズしている姿も見たいし(笑)。

―これまでの若葉さんの人生の中でも疑問を感じるようなことが結構あったんですか。

若葉:いっぱいありましたね。近年、戦争の報道がたくさん流れてきてますけど、どこか他人事な報道だったり、異国の作られた話のような報道だったり。でも本当は(私たちの生活と)地続きにある。だから『市子』を対岸の火事にしたくない、自分とは関係ない世界の映画にはしたくないという思いは、クランクインの前からありました。想像力を喚起したいという思いです。

―杉咲さんはインタビューで最初に脚本を読んだとき「涙が止まらなくなった」と発言されていました。「シンパシーを感じた」ともおっしゃっています。

杉咲:市子という人が、自分たちの生活のすぐ近くに居る人としての“実在感”があったんです。ですが「シンパシーを感じた」という表現は適当ではなかったと今は思っています。私も、市子のことが“わかった”とは言い切れないんです。涙が流れたのは事実ですが、それは感動や同情からくるものではなくて、なんというか……市子が自身の環境に身を置く中で夢ができることであったり、目の前にいる人と明日も一緒にいたいと願うこと、眩しい方向に導かれていくことへの痛みのようなものが、なんとも言葉にならない、真に迫ってくる感覚があったんです。

そして戸田監督が「自分の監督人生において分岐点になる作品だと思っています」と書いたお手紙をくださって、それほど大切な作品に自分を求めてもらえたことが何より光栄な気持ちで、参加したいと思いました。

―監督のお手紙は、脚本が届く前に読まれたんですよね。「よし、この脚本を読むぞ!」という感じだったんでしょうか?

杉咲:一体どんな物語が描かれているのだろう? と、ある種の怖さも感じながら、震える手でページをめくっていったような感覚です。

「“役者的感覚”をとことん排除したいという思いで現場にいた」

―お二人とも演じるのが簡単ではない役だったかと思いますが、撮影前はどのように過ごしていたんでしょう?

若葉:僕の演じる長谷川という役は観客と一緒に市子の過去を見ていくので、とにかくすべて新鮮に受け止めなきゃいけない。計算的になったり表層的な表現になってしまった瞬間から、きっと一気に作り物になるなと思っていたので、そこはとても意識しました。むしろ市子の過去パートに関しては、ほとんど台本を読まなかったんです。僕はわりと作品ごとに準備の仕方が違うので、だいたいどの作品も準備の仕方は決まっていないです。

杉咲:私は減量をしました。市子が生きてきた時間を味わうことはできないけれど、そこに少しでも手触りを感じるためには、何かが満たされていない感覚でいることが必要な気がして。

―杉咲さんは釜山国際映画祭の質疑応答で、好きなシーンはプロポーズのシーンとおっしゃっていましたが、婚姻届けを突きつけられるっていうのは市子にはかなり辛いことでもあって、実際、あのときの市子の表情が本当になんとも言えなかったっていうことを私たちは観客としてあとになって思い出すわけなんですけれど、うれしさと辛さを同時に表現することには、どんな難しさがありましたか?

杉咲:脚本上でも、私のなかにも「どのような表現をするべきか」という具体的な筋道が立てられていたわけではなかったので、意識的にあのシーンができていったわけではないんです。現場に立ったとき、市子が婚姻届を受け取るということはこんな感覚が押し寄せてくるものなんだ、というひとつの現実をまざまざと突きつけられたような感覚になりました。

―現場で感情があふれてきた、ということだったんですか。

杉咲:そうですね。

―釜山の質疑応答では、若葉さんが「市子の人生を観客と一緒に見ていく役だったので、なるべく作り込まない演技をした。自分では想像していなかった顔をしている自分を発見した」とおっしゃっていましたが、どのシーンでしょうか?

若葉:全部、ですね。杉咲さんがおっしゃったみたいに、きっと役者が自我で“こんな演技をしよう”とか、“自分がもっと目立ってやろう”とか、そういうことが起きたとたんにすごく作り物になっていく作品だと思っていたので、誤解を恐れずに言うと、何も考えていなかったです。そのとき起きたことに反応している、っていう。

―それもかなり難しいというか、反射神経が必要とされるような気がします。

若葉:でも多分、普通に生きていて反射神経を意識することってないと思うので、それすらも“役者的感覚”だと思うんですよ。だからそういうことは、とことん排除したいという思いで現場にいました。

―お二人とも現場に立って得られるものが非常に多かったということなんでしょうか。

若葉:得られるもの……何を得たのかもわかんない(笑)。この現場で何かを得て成長したっていうような、そんな器は僕にはなくて。

杉咲:私もそう思うかも。

若葉:自分たちも一緒に映画と向き合ったときに、何かが変わるきっかけになればいいなという感じですね。 この映画を観てくださった、たった一人が変わるだけでもいいと思うんです。

「目の前の人のために、ただそこにいてくれる人」

―杉咲さんが演じた市子の印象、若葉さんが演じた長谷川の印象を、それぞれお聞きしたいです。

若葉:僕は台本をもらったときから杉咲花という女優が演じる市子という役にとてつもなく興味があって、それを間近で見たいとすごく思っていました。本当に奇跡みたいなことを連発するんですよね。僕、本当に、良くも悪くも共演して“大したことない”と思った人に対して、取材でも別に何も言わないんですよ(取材陣爆笑)。

批判はしないし「僕は別に何とも思わなかったです」とも言わないけど、八方美人なのかサービスなのか分からないですけど、「いやほんとこの役者さんはステキでしたー(棒)」とか、メディアとかでもなにか食べて「これ美味しいです!」みたいな嘘を、みんなつくじゃないですか。僕個人はそれが見ていて薄寒く見えるんですよ。僕が本当に「素晴らしい」と思った時とか、例えば食べ物でも「おいしい」って言ったときとかに全部嘘になっちゃう気がして、なるべくそういう嘘をつかないようにしていて。でも杉咲さんに関しては本当に、一個次元が違うところにいるなという感覚でした。

―その“奇跡”のような瞬間とは……。

若葉:プロポーズのシーンもそうでしたし、本当にすべてのシーンが奇跡みたいで。もう絶対2~3テイク目ではできないだろうと思ったし……。杉咲さんのすごいところって、カット終わって3テイク目ぐらいから全然、表情、顔、ダメになるんですよね(笑)。

杉咲:(笑)否定できない……。

若葉:だからもう、なんか本当に何にも感情が動いてないみたいな。「だってさっきので決まりじゃん」って現場もなってたし。それだけ鮮度を持って、上手い下手とかっていうことではなくて、魅力的ということなんですよね。上手にやることってすごく簡単で、60点とか70点をずっと叩き出しとけばいい。それが上手っていうことだと僕は思っていて、でも技術じゃない、本当に細胞レベルのことでやってるからこそ面白かったんだろうし、“究極系”な気がしました。だから全部のシーンが奇跡的でしたね。

杉咲:恐縮です。でも若葉くんじゃなかったら、あんな風な表現にはならなかったと思う。(若葉が演じる)長谷川くんとのシーンは3日ほどしかなかったんです。プロポーズのシーンは2日目でした。まず初日に二人の回想シーンを1日かけて撮影したのですが、3年間もの時間を共にした二人の間で育まれたものを自分の中に落とし込めるか、最初はとても緊張がありました。

ですが若葉さん演じる長谷川の前に立っているだけで、不安が一気に払拭されるというか、この人に見つめられている世界に、今、市子がいるということが、なんて幸福なことなのだろうと感じたし、 私は、若葉さんこそ再現できないようなお芝居をされる方だと思っているんです。自分の損得ではなくて、目の前にいる人のためにただそこにいて、その時の気持ちに純粋に反応してくださる方なので。

若葉:まあ、二人とも安定感はないってことか(笑)。

杉咲:うん(笑)。私は演じ手として、「いいシーンにしたい」とか「いい表現ができたらいいな」という思いになってしまう瞬間があるのですが、若葉さんを前にするとそういう欲が消えてしまう。用意されたセリフを話しているのではなくて、何もかもが偶発的に起こったことのように思えてくるんです。そんな方とご一緒させていただけることは本当に幸せなことですし、心から信頼を抱いていました。

「自分にとって忘れられない瞬間ほど、そのときに戻れない」

―撮影期間中、お二人は撮影の合間にどんな会話をされたんでしょう?

杉咲:超カジュアルだったよね?(笑)。

若葉:超穏やかな(笑)。ご飯なに食べた? とかはよく話した気がしたね。「和歌山の撮休、何食べた?」とか、「ここのラーメンおいしかったよ」とか。なんか僕、本当に興味があったりする人じゃないと“昨日なに食べたんだろう”とか本当に聞かないんですよね。その生きる根源っていうか、食べることが気になるってことは、きっと好きなんだろうなっていう思いでした。それはある種、自分の基準にしてることであって、共演者で「昨日この人なに食べたんだろうな」とかって思うと「あ、自分は好意を抱いているんだな」って思ってるんです。食べ物の話はすごく多かった気がしますね。

杉咲:なに話してたっけ?

若葉:「今日、花火大会らしいよ」とか。

杉咲:現場の近くで、音が聞こえたんだっけ?

若葉:見えた見えた。覚えてないの?

杉咲:うん……! ちょっと記憶が薄れてるなぁ。

若葉:すごい花火が見えてたんですよ。

杉咲:そうだ。確かその後に、劇中で市子が走っていくトンネルが近くにあるのですが、そこが夜になると結構怖い場所で。ちょっと一人で(若葉に)奥まで行って来てもらおうと思って、離れたところから眺めてました(笑)。

若葉:市子が歩いた道を歩いたりとか。クランクアップしてすぐ帰りましたけどね、東京に。

杉咲:名残惜しさゼロで。これだけ色濃い時間を共にしたわけですし、最終日まで残ってくれると思うじゃないですか。でも、アップのタイミングで帰ろうとしている気配を感じとったので、「また明日ね!」と念を押してみたのですが、次の日現場を見渡したら本当にいなかった……。

―「記憶が薄れてる」とおっしゃったのは、それが1年前の撮影だったからというよりは、やっぱり入りこんで市子になっていたからなんでしょうか。

杉咲:どうでしょう? 入り込んでいたとはあまり思っていないのですが、現場が本当に楽しかったんです。矛盾しているかもしれませんが、自分にとって忘れられない瞬間ほどそのときに戻れないというか、半分夢だったみたいな感覚になってしまうことが私は結構あって。そしてそういった曖昧な記憶ほど信じられる感覚があるんです。市子を演じていて感じたことも、そうでないときに現場で過ごして楽しかったことも、強烈にかけがえのない時間だった感覚だけが心に残っています。

―撮影時期が夏で良かったことはありますか?

杉咲:本編でも印象的に響き渡る蝉の鳴き声は、実際の現場でもずっと共にしていたもので、生命を感じずにはいられない日々でした。それから、暑くて暑くて体力が奪われていく感覚も、役を演じる上でとても重要なポイントだったように思います。

少し話が逸れるのですが、クランクイン前に、若葉さんがスタイリストさんに「現場で流れる汗を大事にしたいから、あまりケアをしないでほしい」とリクエストされたと聞いて、さすがだなと思って。私も見習っていたのですが、初日に若葉さんを見たら、思いっきり氷嚢当ててました。

若葉:(笑)。不覚にもちょっと熱中症みたいになってしまって。

杉咲:うそうそ(笑)。体調管理が一番ですからね。

若葉:これはマズいぞと思って「氷嚢、氷嚢ください!」って(笑)。でも汗とかは本物です。さっき杉咲さんがおっしゃったみたいに、映画に乗ってくる蝉の鳴き声とかが本当に窓の外から聞こえてくるので、たとえばセリフのやり取りの中で黙った瞬間も「ミンミンミンミン」って聞こえてくる。心地よさもあれば、シーンによっては煩わしく聞こえたり。 それはやっぱり、役者の温度を上げる作用はあったかなと思います。

「“わからなさ”こそが日常だと思う」

―『市子』の登場人物で、若葉さんが演じた長谷川には踏み込みすぎない優しさがあったように感じました。

若葉:僕は“優しさ”という感覚があんまりなくて、むしろ臆病だったから踏みこめなかったと感じていて、そこで一歩踏み込んでいたら何かが違ったかもしれない。カテゴライズすることはすごく簡単だし、一歩引くことはすごく簡単だと思っているので、優しさという印象ではなく、自分のためにという感覚でした。

例えば恋人でも友達でも、怖くて聞けないことって山ほどあるじゃないですか。でも、それって果たして相手のためなのか、自分のためなのかと問われると、僕は自分のためという気がしてしまいました。

杉咲:私は市子として長谷川くんと向き合っていたので、市子にとってはその距離感が心地よかったんだと思っている部分もありますが、必要以上に相手に立ち入らない長谷川くんは、ある意味すごいと思います。

―本作は、隣にいる人のことを分かったつもりになってはいけない、というテーマが込められた作品ですよね。本来、人間は複雑で矛盾も抱えていますが、近しい人の意外な一面は、近ければ近いほど受け入れるのが難しいこともあります。お二人は自分が知っているつもりだった人の意外な面や考え方に出会ったとき、どう受け止めていますか?

杉咲:私は、他者と自分の考え方の違いや、見覚えのないものに出会ったときに戸惑ってしまうことは不自然なことではないと思うのですが、それとセットで相手を否定してしまうことは、結局は自分が相手にそうあってほしい、そうでないと安心できないという自分の勝手な都合なのではないかと思います。私自身もそのような捉え方をしてしまったことが過去にあったのですが、このところはそういった考えの持つ鋭利さについて考えるようになりました。本来は“わからなさ”こそが日常だと思いますし、その人の考えや大事にしたいものというのは、その人だけが決めていいもので、だからこそ意外な面に対して興味深く感じたり、尊重できるような人でありたいと思っています。

―今回の映画で、考えに変化が生まれたりしましたか?

杉咲:そうですね。「市子」を含めた、近年関わる作品からもヒントをいただいている実感があります。

若葉:僕はわりと、うれしいなと思うタイプですね。 そもそもそういうものだと思っているので。 だからそんなに拒絶もないし、それが嫌だったら、そもそもその人に興味を持っていないと思うんです。その人を知りたいと思うというのは興味があるわけで、その人から意外な一面が出てきたときに面白いなっていう感覚になります。

―長谷川は新しい市子のいろんな顔が出てきても常に力まない、ゆったりした包容力みたいなものがあって、本人の中では動揺もあるのかもしれないけれど、それを他人に出したりはしない。若葉さんも、そういうタイプですか?

若葉:そうだと思いますね。何かを強要することもないし、自分の理想通りであってほしいと思うこともないので。基本的に人間は感情、怒りとか悲しみとかっていうものを抑え込むものだと思っていて、ほかの映画の登場人物が怒りや悲しみを出しすぎていると、観ていて冷める瞬間はあります。「そんな悲しみを見せたり涙を流せたり怒れたら、もう逆にあなたはちゃんと一人で生きていけます。それができないからみんな苦しいんです!」って感じることが多いですね。怒るときも一瞬ブレーキかかるっていうか、「これ怒っていいのかな?」とか「俺が正しいのか?」とかあるじゃないですか、やっぱり。そこをパーンと行けちゃう人って、ちょっとおかしいと思うんです。

「純粋に和歌山にいる時間がすごく好きだった」

―演じていて辛いシーンはありませんでしたか。

若葉:いっぱいあるんじゃないですか、市子は。

杉咲:そうですね。でも、プロポーズのシーンが一番どっと来たかもしれません。撮影が早く終わって、ふらふらとスーパーで3食分ぐらい買ってしまいました(笑)。

若葉:ストレスで。

杉咲:ストレスじゃない、お腹空いて。

若葉:暑かったし(笑)。

杉咲:エネルギーを入れたいなと思って!(笑)。

―それを全部食べ切ってしまうぐらいの勢いでしたか。

杉咲:買ってみたものの、ほとんど食べきれなかったです。なんだかわからないけど胸がいっぱいになってしまって。

―若葉さんはどんなところが辛かったですか。

若葉:1年くらい前の撮影なので……。

杉咲:……ほら、ゆりさん(市子の母・川辺なつみ役の中村ゆり)とのシーンとか……!

若葉:ゆりさんとのシーンは、「雨が降りそう」とか考えなきゃいけないことがいっぱいあって。感情を作って現場に入って、緊張感の中「用意、スタート!」ってかかったわけじゃなくて、「雨が止んだぞ!」「いまだったら撮れる、行け!」って撮ったんですよ。

杉咲:それは怖い……!

若葉:そう、だからああいう顔になったんだろうと思うんです。準備がなくて自我が捨てられた。辛いというのは……感情的にですか?

―いえ、体力的にも。

若葉:僕、ホテルで寝られないんですよ。だからあんまり俳優に向いてないんですけど(笑)、ずっと和歌山でロケをしていたので本当に寝れなくて、そこが辛かった。

杉咲:どうにかしてあげたい。

若葉:でも撮影が進むごとに市子を追って行く時間が進んでいくので、その寝られない疲弊と市子を追っている(長谷川の)疲弊がリンクしていって、もう寝なくていいやってなった状態で。そういう意味でも体力的には本当に辛かったですね。熱中症みたいになるし、暑いし、烏龍茶が用意されてたんですけど……ぬるいんですよ。烏龍茶は喉がカピカピになるから撮影中あんまり飲みたくないんですよね。そんか過酷な撮影現場でした。朝から撮ってるけど撮影終わんないし。

杉咲:文句ばっかり……。

―そんなにテイクを重ねられた?

若葉:いや、そんなことはないです。でも終わらないんですよね。ずっと撮ってました。

―どんな感じで気分転換されていたんでしょう? それともあえて転換しないように何もしなかった?

杉咲:意識的に気分転換をしていたわけではないのですが、純粋に和歌山にいる時間がすごく好きだったので、撮影のない日は散歩をしたり外食に出たりと充実していました。

若葉:僕も気分転換という感じでもなかったですね。撮影が終わったらやっぱり安心するし、「今日は以上です」と言われたときには安堵するので。(市子を捜索する刑事・後藤を演じた)宇野祥平さんと6時間くらい喫茶店で他愛もない話をしたりとか、その時間は幸福でしたね。宇野さんと2人でこんなに喋れるんだっていう役者としてのうれしさもあるし。映画のこととか「最近どう?」とか、「昨日なに食べた?」とか。

杉咲:あ、(宇野さんが)好きな人だ(笑)。

若葉:そう、「好きな人いる?」とか(笑)。そういう感じです。

「市子に実際に会ったらなんて言っていいか分からないけれど、“隣の人”には何かを伝えられるような気がします」

―私自身、市子が苦労していたのと同じ年頃に介護の問題とか何も知らないでのんきにサラリーマンやってたな、みたいな反省もあって、若葉さんの「軽薄な自分に向き合って」という言葉に心を動かされました。過去の自分に向き合うようなシーンもいっぱいあったということですか?

若葉:役者をやっていて、「この役を理解したぞ」とか「この役をつかんだ、わかった」と思った瞬間が一番危ないと思っていて。「わからない」ということを受け入れることがすごく大事だと思うし、わかりたがっちゃうんですよね、すべてのことを。隣にいる恋人とか家族、友人のこともそうだし、殺人犯の動機とかも。高齢者の万引きがあったとして、「ただワサビが欲しかったんだ、この人は」みたいにカテゴライズすることが危ない感情だなと思います。

―この映画にはシングルマザーの生きづらさや貧困や介護の問題が背景に入っていて、 映画を観たあとで社会ニュースを見ると、市子がネグレクトされたすべての人を象徴しているように感じられてしまったんです。もしいま、お二人の前に市子がいたらなんと言ってあげたいですか。

若葉:うーん、市子になんて伝えたいか……。あくまで個人的な感想ですが、きっとこの映画はそこまで壮大なことを言いたいわけではなくて、市子という人を見たときに、好きな人とか家族とか友人になんて言葉をかけられるか、その人をわかってるという自分をどこまで疑えるか、ということだと思うんです。

だから市子に何かというよりも……壮大な言い方をすれば「隣の人を愛せるかどうか」だと思うんです。それが市子にどう伝わるか? っていう問題だけな気がしていて。例えばネグレクトなどの社会的な問題を描いた社会派映画ではなくて、隣の人とどう接するかっていう、シンプルなことだと思う。市子に実際に会ったら、僕はなんて言っていいか分からない。けれど、市子じゃなくて隣の人には、何かを伝えられるような気がします。

杉咲:素敵。私も、市子にどのような言葉をかけるかという問いには答えが見つかりません。

若葉:難しいよね。市子に言葉をかけるのは、ちょっと難しいかもしれない。

杉咲:話が逸れてしまいますが、(劇中で)長谷川くんが「会って抱きしめたい」と言うシーンがとても好きです。長谷川くんだから言える言葉だと思って。

―最近、ネガティブ・ケイパビリティっていう言葉もあるんですよね。自分の中でわからない状態のままでも、わからないものとして引き受ける能力のことを言うんですが、今日のお二人のお話でそういうことをすごく感じさせられました。

若葉:僕はその言葉は初めて聞いたんですけど、昔からそう思ってました。わかったように喋る自分も嫌だし、喋られるのも嫌だし。“わからないっていう状態が普通”だよねって。

取材・文:遠藤京子

撮影:落合由夏

『市子』は2023年12月8日(金)よりテアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

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