がんステージ4から生還…笠井信輔アナ闘病中“嘔吐”防ぐ薬を飲み、食べ続けた日々 苦痛でも「体力のため」 厳しかった抗がん剤治療4カ月半、乗り越えて仕事復帰 三男の手作り卵焼きに涙 悪いことだけではないと思えた理由

「悪性リンパ腫との闘いでは、家族の力強い支えが大きかった」と話す笠井信輔アナ=11月29日午後、加須市のパストラルかぞ大ホール

 悪性リンパ腫になり、抗がん剤治療と闘ったフリーアナウンサー笠井信輔さん(60)が11月29日、埼玉県加須市のパストラルかぞ大ホールで講演し、満席の市民らが熱心に耳を傾けた。演題は「生きる力~がんステージ4からの生還」。「4カ月半の厳しかった抗がん剤治療。妻と3人の息子の力強い支えが大きかった」と語った。

 講演会は真言宗智山派の県内三つの教区が主催。加須市の總願寺住職、山口真司さん(66)と加須市に住む全国骨髄バンク推進連絡協議会評議員、大谷貴子さん(62)が企画した。笠井アナの妻で、フリーアナウンサー茅原(ちはら)ますみさん(59)も家族の立場から語った。夫婦はともに東京都出身。

 笠井アナは元フジテレビアナウンサー。フリーになった2カ月後の2019年12月、「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と診断されたことを公表した。同年12月末から翌20年4月末まで4カ月半入院。同年7月に仕事復帰を果たした。

 「がんは、ステージ4という最悪の状態で見つかった」と笠井さん。そこから、闘う決意を強く持つようになる。「大事なのはストレスを減らしていくこと。クオリティ・オブ・ライフ。治療生活や入院生活の質を上げる努力をした」と明かす。

 抗がん剤治療の副作用で、髪の毛が抜け、眉毛までも抜けた。倦怠(けんたい)感に襲われ、食欲不振になった。「食べて体力を付けなければならない。食べることが日々の闘い」と自分に言い聞かせた。嘔吐(おうと)を防ぐ薬を飲んで食べ続けた。

 「食べ物の差し入れが一番うれしかった。三男が手作りした卵焼きは涙が出るほど感激した」とも。がんになってからプラス思考がより強くなった。「悪いことだけではない。がんになってから多くの良い縁ができた。私は『引き算の縁と足し算の縁』と言っている」と紹介していた。

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