デビュー30周年を迎えた市川由紀乃、チャレンジ魂が演歌に新しい風をもたらす

市川由紀乃が35枚目のシングル『花わずらい』で『第65回日本レコード大賞』の優秀作品賞を受賞した。同賞での演歌歌手といえばここ20年ほど氷川きよしが毎年受賞する中で大賞も経験、演歌界を牽引しており、氷川以外で女性演歌歌手に目を向けると天童よしみや坂本冬美、水森かおりなど錚々たる面々が受賞経験を持つ。その歴史と権威を兼ね備えた賞の受賞者として市川由紀乃が名を連ねることは演歌界にとって喜ばしいことである。だが、「花わずらい」はそれに値する、芸術性ならびに独創性の高い作品であることは間違いない。

表題曲の「花わずらい」は、市川由紀乃の「チャレンジし続けてきた姿を見せたい」という想いが込められた楽曲だが、聴き始めて6秒で演歌としては異色であることがわかる。イントロは短く、早々にサビを歌い始める。いわゆるサビ始まりだ。今のJポップは「サブスク」(定額制音楽配信サービス)の影響で短いイントロや歌始まりの曲が多い。だが、演歌といえば長めのイントロを経てAメロに入り、サビに向かって徐々に聴き手の気持ちを上げていくのが定番だったが、「花わずらい」はそれを覆している。ただ、市川自身がサビ始まりを作曲家の幸耕平に提案したのは、優れたメロディーで聴く人の心をつかみたい、耳から離れないメロディーの代表曲を手にしたい、という想いからだった。積極的に歌謡曲やポップスもカバーしてきた市川だからこその挑戦心、野望であろう。サブスクあるいはTiKTokなどのSNS、弾いてはそれを利用する若者を意識したものではないからこそ、始まりのサビ以降は演歌らしい展開となっており、市川由紀乃ファン・演歌ファンを納得させる楽曲になっている。

ただ、作詞を担当したのは、市川が敬愛する作詞家の松井五郎。「悲しみにサヨナラ」(安全地帯)、「くちびるから媚薬」(工藤静香)、「KISS ME」(氷室京介)などを手がけ、演歌界には坂本冬美や山内恵介らに作詞を提供してきた巨匠だ。「花わずらい」でも、母音が「あ」となる言葉・濁点のある単語にこだわる松井の手腕は健在で、件のサビも、「咲いて」「抱いて」で始まり「花はまだ」と締められ、その手法を用いて巧みに言葉を操っている。歌詞全体は平易な日本語で覆われ、女性が感情を押しとどめる様子を感じさせるが、混じってくる「見紛う」「泥濘(ぬかる)む」といった単語からは潜んでいる情念もにじみ出ている。そして浮かび上がる唯一の外来語「ワイン」、その一片の言葉は、昭和的な世界ではなく現代を生き抜く女性の強さをで表現している。

勿論、楽曲を支えているのは幸耕平の力も大きい。作曲と歌唱指導で市川を長く支えていた幸は、サビ始まりだけで終わらせず、そのサビを大サビでは転調させ、大サビラストではメロディーを変えて盛り上げ、その後も余韻を与えない急速な終息と、始まりと終わりを意外性でまとめている。カップリング曲の「名前」でも、アコーディオンとアコースティックギターで昭和歌謡曲的に始めつつ、懐かしさを感じる歌謡曲に終わらせていない。同じく松井五郎も、「名前」という聞き慣れた2文字を題材に小説風の物語を歌詞に閉じ込めた。その前後に修飾語をつけたくなるほどに淡白な単語であるが、ストレートに用いることで物語を絵画作品に仕上げてもいる。『花わずらい』の挑戦はまだあり、そのCDジャケットもじっくり眺めてもらいたい。着物に対してまとめ髪ではなく結い上げ風のポニーテールはどこか二次元キャラクター的だ。そこに大き過ぎるほどの髪飾り、顔を半分隠すセンス扇子にはレースがあしらわれ、その存在感は演歌から生まれたアートのようでもある。

総じれば『花わずらい』とは、市川由紀乃を旗頭に生み出された、伝統と革新のハイブリッド作品と言えよう。2023年に咲いた、個性的な芳香を放つ1枚は、市川由紀乃と演歌への期待感を引き出してくれる。

Information

市川由紀乃『花わずらい』2023年4月26日(水)
品番:KICM-31097
定価:¥1,400(税込み)
形態:マキシシングル

【収録曲】
01.「花わずらい」
作詩:松井五郎/作曲:幸 耕平/編曲:佐藤和豊
02.「名前」
作詩:松井五郎/作曲:幸 耕平/編曲:佐藤和豊

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