FIA F2参戦の宮田莉朋が目標とするドライバー「F1へ行って追いつきたい」【インタビュー後編】

 2024年FIA F2にロダン・カーリンから参戦する宮田莉朋。11月29日〜12月1日の3日間にわたり実施されるFIA F2ポストシーズンテストを前に、アブダビのヤス・マリーナ・サーキットを訪れた宮田に、FIA F2参戦が決定した際の心境。そして自身の強みやFIA F2での目標、あこがれのドライバーについて聞いた。

* * * * * *

——2024年はヨーロピアン・ル・マン・シリーズ(ELMS)に加え、FIA F2への参戦も決まったわけですが、そのときの正直な感想は?宮田莉朋(以下、宮田):最初にこの話を聞いたのは、助っ人で参戦していた11月中旬のスーパー耐久のレースウィークでした。中嶋一貴さん(TOYOTA GAZOO Racingヨーロッパ副会長)から電話があって、パドックで少し会いたいと。そこでFIA F2の話を聞いたのですが、動揺しかなかったです。これ本当なのかな? と。ただ、同時に“イエス”か“はい”のどちらかしか選択肢はありませんでした。

 というのも、一貴さんたちは、ロダン・カーリンからのFIA F2へのオファーを受け、交渉を進めるうえで、モリゾウさん(トヨタ自動車の豊田章男会長)に相談していて、モリゾウさんが『そのチャンスはぜひ生かしたほうがいい』と言ってくださったからです。その言葉は本当にありがたく、僕としても『行くしかない』と決心しました。

——2023年9月にはF1日本GPで平川亮選手が2024年からマクラーレンF1のリザーブドライバーになるという発表がありました。そのときから、何か予感はしていた?宮田:いえ。今回の件に関しては、10月にスーパーフォーミュラでチャンピオンになったことが大きかったと思います。チャンピオンになる前後から、いろいろなカテゴリーから『来年、ウチで乗らないか』というオファーをもらいました。

——これから、ヨーロッパでのレースが中心の生活になりますが、拠点は?宮田:これから決めますが、僕はすでに結婚していて、妻と日本で生活しています。幸い、妻は留学経験があり、海外での生活は僕よりも経験が豊富なので、頼りにしています。

——英会話は?宮田:両親が英語を話すことができる家庭に育ったので、ある程度は。

——ご両親のお仕事は?宮田:父が外資系でイギリスで仕事していた経験があり、母は趣味で英語やイタリア語を勉強していました。小さな頃からよく海外旅行へも行っていたし、僕も6歳のころから高校生に入学する前まで英会話スクールに通っていました。あまり、(英会話能力を)期待はしてほしくないですが、今年ゼロから始めるというわけではないです。

何度もシートに座って、時間をかけて、納得してからOKを出す宮田莉朋

——レーシングドライバーとして、自分のアドバンテージは何?宮田:分析力ですかね。日本でレースをしているときは、レースのストラテジーなどを自分で考えていました。

——人間としては?宮田:アドバンテージかどうかはわかりませんが、嘘はつきません。ダメならダメとはっきり言うし、勝てないなら、勝てないと言います。

——2024年のFIA F2での目標は?宮田:どんな状況であれ、まずはポールポジションを取って、優勝したい。その上でチャンピオンになるというのが目標です。これは来年だけでなく、毎年掲げている目標です。

——F1で活躍しているドライバーの多くが、FIA F2の1年目から光る速さを披露していました。宮田:そういうドライバーが世界にはたくさんいます。その素晴らしいドライバーたちが集うF1という舞台と一緒に転戦できることは貴重な体験なので、チームとともに一緒に頑張りたい。

——目標にしているドライバーや、あこがれのドライバーはいますか?宮田:やはり、(高木)虎之介さんです。僕の師匠でもあるのですが、同時に虎之介さんのようなレーシングキャリアはうらやましく、目標とすべき存在です。最近のドライバーの中には特に憧れている人はいません。これを言ってしまうと大口を叩いているように聞こえてしまうかもしれませんが、日本で主要カテゴリーはすべて制覇して来たので、あとはF1へ行って、虎之介さんのキャリアにまずは追いつきたいですね。

FIA F2プレシーズンテストに参加するためヤス・マリーナ・サーキットを訪れた宮田莉朋とTGR-Eの中嶋一貴副会長

© 株式会社三栄