世界中でボサノヴァブームを巻き起こすきっかけになった“イパネマの娘”を聴きながらアストラッド・ジルベルトを偲ぶ

『GETZ/GILBERTO』(’64)/ Stan Getz、Joao Gilberto、Antonio Carlos Jobim、Astrud Gilberto

師走の声を聞くと、この一年に亡くなられた音楽関係者があれこれ浮かぶ。あぁ、あの人も、この人までも…。

どうしてもこの連載では米英のロックやフォークのアルバムを選んでしまうことが多いが、今回はボサノヴァ・ジャズ。米国人サックス奏者スタン・ゲッツとブラジル人のギタリスト、ジョアン・ジルベルトが組んだあまりにも有名すぎる名盤『ゲッツ/ジルベルト』(’64)だ。その冒頭の「イパネマの娘 The Girl from Ipanema(原題:Garota de Ipanema)」を歌ったアストラッド・ジルベルトが今年6月に亡くなられた。改めてご冥福をお祈りすると共に、この名盤を久しぶりに聴いてみた。

「イパネマの娘」はボサノヴァの代表曲というか、定番曲。この分野に馴染みのないリスナーが真っ先に聴くボサノヴァだったりするくらい有名な曲だから、私でさえ割合早くに、たぶん中学生(70年代)くらいで耳にしていたと思う。

1番をジョアンが歌い、2番をアストラッド、ゲッツのサックスソロ、ジョビンのピアノ、再び3番をアストラッドが歌うという構成。気だるい、物憂げな調子で歌うアストラッドのヴォーカルがなんとも魅力的だった。英語で歌われているのだが、ネイティブではないので流暢ではない。歌うというよりもつぶやいているというか、あまり喉にも腹にも力が入っていない。あえて言えば素人っぽい歌唱…だけど、それが独特の雰囲気を作り、イパネマ海岸を歩く華奢で可憐、小生意気な娘をイメージさせる。何とも言えない空気感を漂わせるその声、これがアストラッドの魅力であり、持って生まれた感性なのだろう。

アストラッド・ジルベルトの魅力とは

ブラジルのバイーア州でアストラッド・ジルベルトはブラジルのバイーア州で生まれ、ほどなく一家はリオデジャネイロに移住する。音楽一家で全員、何がしか楽器を演奏する中で育ったという。1959年にジョアン・ジルベルトと結婚し、ジルベルト姓を名乗るようになるのだが、1963年にジョアンがアメリカ人サックス奏者のスタン・ゲッツと同郷のボサノヴァのピアニスト、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンとレコーディングする際にニューヨークに同行したことが、彼女の運命を変える。彼女が歌うことになったのには諸説ある。ジョアンの付き添いでスタジオに来ていた歌手経験のない彼女が、飛び入りのかたちで歌ったという“偶然の産物”説だ。実際はプロデューサーのクリード・テイラーが「イパネマの娘」をアメリカ向けにシングルで出したいと考えてシンガーを探していたのだが、まるで目星がつかない。それならアストラッドが実は少しシンガーの経験があり、英語が話せるからとジョアンやジョビンの後押しがあり、試しに歌ってみないかと促され、結果、レコーディングが実現したというのが事実と言われている。素人がいきなり歌った説は、そんな意外性がウリになると考えたレーベル側が作り、流布したものだ。

翌年1964年にこの曲がリリースされると、これが全米トップ5、全英トップ30に入る大ヒットとなったのだ。それにとどまらず、「イパネマの娘」はグラミー賞の年間最優秀楽曲賞を受賞し、アストラッドも最優秀女性ボーカルパフォーマンス賞にノミネートされる。

エキゾチックな面立ち、スレンダーな姿の彼女はアメリカでも人気が出て、歌のモデルはアストラッド本人なのだろうと言われたこともあった。が、これにも諸説あり、イパネマ海岸ではなく、コパカバーナ海岸の近くにあるバーにジョビンや作詞家の(ヴィニシウス・ヂ)モラエスらは頻繁に飲みに来ていて、そこにしばしば出入りするエロイーザという少女に目が止まる。彼女は母親の言いつけで煙草を買いに来ていたのだが、近所で評判の美少女でスタイリッシュだった。その男たちの間をすり抜けるように歩く姿に見惚れ、そこからインスピレーションを得て、ボサノヴァ界最強のソングライターふたりが書いたのが「イパネマの娘」だった…というのが有力だ。エロイーザは実在の人物で現在80歳で健在だという。ちなみに、オリジナルの歌詞はモラエスだが、英語のパートはノーマン・ギンベルという人物が英訳している。正式な作詞者ではなくただその場に居合わせた著作権仲介者で、その書いた歌詞の内容、自分の著作権料分の強引な搾取ぶりにジョビンは憤り、以降英語詞も自ら手がけることに決めたと言われている。

ジャズ史に残るボサノヴァと クール・ジャズのコラボ作

アルバム『ゲッツ/ジルベルト』にも触れておきたいと思う。アストラッドのヴォーカルが冒頭を飾る「イパネマの娘」はもちろんアルバムの魅力を高める大きな要素になっているが、仮にこの曲がなかったとしても、あるいはヴォーカルなしのインストであっても、本作はボサノヴァとクールジャズの融合がなされた画期的な作品であり、名盤に数えられたに違いない。結局のところ、全編で聴けるジョアンのヴォーカル、ギターの素晴らしさがこのアルバムの価値を決定づけているような気がする。朴訥と、諦観に満ちたように歌う。初めてボサノヴァを聴いたアメリカ人はこの音楽をどう思ったことだろう。

また、アルバム8曲中、6曲までジョビンが書いている。曲の素晴らしさはもちろんだが、随所で聴ける彼が弾くピアノのリリカルな響き、タッチも特筆もの。やはりこの人は天才かもしれない。もう1曲あるアストラッドがヴォーカルをとる「コルコヴァード」もいい。素人っぽく聴こえるが、よく注意して聴くと、なかなか彼女は音程もしっかりしていて、実は上手い。この曲はこれまた同時期にあのマイルス・デイヴィスがアルバム『クワイエット・ナイト』(’62)で取り上げていて、ギル・エヴァンス・オーケストラをバックにマイルスの奏でるトランペットがたまらなく美しい。これも「必聴!」とお勧めしておく。ジョビンの傑作曲のひとつに数えられるだろう。

それから主役のもうひとり、スタン・ゲッツの深みのあるテナー・サックスがまたいい。40年代から第一線で活躍しているプレイヤーだが、この人は壮絶なアル中、麻薬中毒の地獄をくぐり抜けてきた人だった。すでにアルバムも数多く発表していたが、このアルバムを制作する前年にチャーリー・バードとジャズ・サンバに挑んだのを皮切りに、ブラジル音楽に接近すると、これが相性が良かったというのか、高い評価を受け、グラミー賞、ゴールドディスクを獲得するなど、ついに彼にスポットライトが当てられるようになった。そのタイミングで企画されたジョアンやジョビンとのレコーディングだったのだが、このアルバムでのゲッツのサックスは冴え渡っていて、文句のつけようがない。このコラボレーションの成功を受け、ゲッツ/ジルベルト名義でライヴアルバム『ゲッツ/ジルベルト#2』(’64)、また『ゲッツ/ジルベルト・アゲイン(原題:The Best of Two Worlds)』(’75)というアルバムも作られている。

閑話休題〜ディランの歌が ヒットしている頃

「イパネマの娘」はアメリカでシングルリリースされる際に、曲の尺を縮める必要があるというもっともらしい理由でジョアンのヴォーカルを外し、アストラッドの英語のヴォーカルのみに編集して発表されている。いま聴くと、そんな小細工などせず、ジョアンとデュエットの構成のものでいいじゃないかと思うのだが、結果的にヒットしたのだから良しとするしかあるまい。少し横道にそれるのだが、実はこのシングルのB面に収められた曲が意外なもの。「風に吹かれて(原題:Blowin’ in the Wind)」。そう、ボブ・ディランのあの出世作である。ゲッツのアルバム『リフレクションズ』(’64)に収録された「風に吹かれて」を引っ張ってきてB面にしたらしいのだが、ディランの2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(’63)に収められた、できたてホヤホヤの曲だ。この曲はディラン本人のアルバムが出るや、すぐさまPP&M;によるカバーが出て世界中で大ヒットする。これを追うように瞬く間に多くのアーティストにカバーされる。スタン・ゲッツもその中のひとりなわけだが、今さらながら1964年当時、いかにこのプロテストソングが注目され、人気だったかを物語っている。もっとも、ゲッツのバージョンはインストである。ディランの曲、しかも公民権運動、反戦の看板ソングのように歌われている曲をインストとは…と思ったりもするのだが、メロディーを聴いただけでゲッツに「これはいい」と思わせたのだとしたら、やはり名曲だったということだろう。惜しむらくは、どうせならインストではなく、レコーディングし直して、ヴォーカルをつけてほしかった。そう、アストラッドに歌ってもらえばいいではないか、と。

アメリカに移住し、 ボサノヴァを歌い続ける

アストラッドに話を戻そう。「イパネマの娘」のヒットはアメリカにボサノヴァブームを起こすきっかけになった。ただ、皮肉にもジョアンとの仲は冷えていく(やがて離婚)。クリード・テイラーの勧めもあって、彼女は活動拠点をアメリカに移し、テレビ出演、映画出演などもこなしながら、本格的にボサノヴァシンガーとしてアルバム制作も続ける。初のソロ作『おいしい水(原題:The Astrud Gilberto Album)』(’65)、続く『いそしぎ(原題:The Shadow of Your Smile)』(’65)など、悪くない内容だ。英語で歌われていることもあって、本国ブラジルでの評価は芳しくなかったり、ヴォーカルそのものがリズム楽器のようなエリス・レジーナのようなシンガーに比べれば大人しいというか、絶対的な個性に欠けるところもある。同時期に活動していたMPB (ムージカ・ポプラール・ブラジーレイラあるいはモダン・ポップ・ブラジル)系アーティスト、すなわちカエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、ミルトン・ナシメント、ナラ・レオン、エリス・レジーナ…といった、時には国の政権に反発し、亡命するほどの覚悟を持って、全く新しいボサノヴァの創造に向かっていった人たちのような反骨さのようなものは、アストラッドは持ち合わせていなかったかもしれない。それでも、彼女の気だるい、投げやりというか、素っ気ないような声を聴いていると、焦らされるように、たまらなく愛しい気持ちにかられたりもする。生涯にリーダー・アルバムも20作ほど残した。「イパネマの娘」はきっとこの先も長く聴かれ続けるだろうと思う。

TEXT:片山 明

アルバム『GETZ/GILBERTO』

1964年発表作品

<収録曲>
1. イパネマの娘/The Girl from Ipanema
2. ドラリセ/Doralice
3. ブラ・マシュカー・メウ・コラソン/Para Machucar Meu Coração
4. デザフィナード/Desafinado
5. コルコヴァード/Corcovado
6. ソ・ダンソ・サンバ/Só Danço Samba
7. オ・グランジ・アモール/O Grande Amor
8. ヴィヴォ・ソニャンド/Vivo Sonhando

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