ミック・テイラーの参加と即興演奏で生まれたローリング・ストーンズの名曲

Photo: Gijsbert Hanekroot/Redferns

ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』の発売を記念して彼らの名曲を振り返る記事を連続して掲載。

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1960年代が終わり、1970年代が始まろうとするころ、ザ・ローリング・ストーンズは、かつての自分たちを作り替え、より強化したかたちで新たな時代を迎えた。

1969年7月には創設メンバーだったギタリストのブライアン・ジョーンズが亡くなり、同じ年の12月には「オルタモントの悲劇」と呼ばれる大事件が起こっていた。この2つの悲劇が、「スウィンギング・ロンドンのおしゃれなブルース・ボーイズ」という第1期ストーンズのイメージに終止符を打ったのかもしれない。

とはいえ、この1969年という年は、彼らに秘密兵器をプレゼントすることになった。そのおかげでこのバンドは新たな時代に申し分のないかたちで対応し、やがて“世界最高のロックンロール・バンド”の称号を獲得することになる。

ミック・テイラーはブライアン・ジョーンズの後任として起用され、1969年5月にバンドに加入した。その時点で、彼はまだ20歳という若さだった。当時ブライアンはアルコールやドラッグへの依存を深め、プロのミュージシャンとしては信頼できない状態となり、またローリング・ストーンズの活動にも関心を失っていた。それゆえ、彼が解雇されることになったのも、致し方のないことだった。

一方のテイラーは若く、健康で、信頼できる存在であり、そして何よりもきわめて有能なギタリストだった。彼は、キース・リチャーズの補佐役として完璧な存在だった。キースは、テイラーとの出会いを振り返ってこんな風に語っている。

「ミック・テイラーが姿を現して、天使のように演奏したんだ。俺はノーというつもりはなかった」

この新メンバーのおかげで活気づいたストーンズは、3年ぶりにアメリカでコンサート・ツアーを行うことになった。そして、音楽的技量の向上だけでなく、ライヴの会場で演奏を観客にしっかりと聴かせることができる音響技術の発達によって、自分たちの意欲が刺激されていることを実感した。

このコンサート・ツアーの過程で録音されたライヴ音源は、のちにライヴ・アルバム『Get Yer Ya-Yas Out』に纏められ、リリースされている。それを聴けばわかるように、2人のギタリストが交わすインタープレイは実に素晴らしいものだった。そして、ストーンズが同作に次いで発表したスタジオ・アルバム『Sticky Fingers』では、テイラーの洗練されたギター・テクニックの効果が存分に発揮されることになったのである。

 アルバム『Sticky Fingers』のレコーディング・セッション

『Let It Bleed』のリリースから1週間が経過したころ、ストーンズは1969年12月の最初の数日間をアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで過ごし、新曲3曲のレコーディングを行っている。

このときレコーディングされた楽曲は「Brown Sugar」「Wild Horses」、そして「You Gotta Move」である。そしてその3ヵ月後、メンバー全員がミック・ジャガーの別荘であるスターグローヴスに集まり、さらに多くの楽曲のレコーディングを行っている。グループは、さらに6月までロンドンのオリンピック・サウンド・スタジオでプロデューサーのジミー・ミラーとともにレコーディング・セッションを続け、『Sticky Fingers』に収録されることになる楽曲の数を積み上げていった。

ミック・テイラーの加入から丸1年が経過したこのころ、新メンバーが完全に融合した第2期ザ・ローリング・ストーンズは、その潜在的な能力をついにスタジオで花開かせることになった。このセッションでサウンド・エンジニアを担当したアンディ・ジョンズは以下のように語っている。

「ミック・テイラーはバンドの方向性に大きな影響を与えたと思う。ストーンズはジミー・ミラーと一緒にセッションを始めて…… (そして) 明らかにロックンロール色がより強くなった。やがてミックがやってきて、それでケーキの上にアイシングの飾りが加わったような感じだった。ああいう方向性に進んだのは、再びジャム・セッションができるようになったからだろうね。それまで長いあいだ、そういうことをやっていなかったからね」

テイラーの流麗でメロディアスなプレイ・スタイルは、キース・リチャーズが奏でるがっちりとしたリフや激しいリズム・プレイとは対照的だった。アンディ・ジョーンズは次のように振り返る。

「私は一晩中ミック・テイラーの演奏を聴くことができた。彼は絶対にミスをしないし、どのテイクも違った仕上がりになっていた。しかも聴く者を泣かせるような演奏をするんだ。本当に良かったよ……。毎晩毎晩、彼の演奏を聴くことができて本当に素晴らしかった。退屈しなかったね」

「Can’t You Hear Me Knocking」のレコーディング

通常であれば、ストーンズは曲が完璧になるまでスタジオで延々と演奏を繰り返すというアプローチで曲作りを進めていた。しかしこのアルバムのレコーディング・セッションでは、それとはちがうかたちで「Can’t You Hear Me Knocking」を含む多くの曲の録音されている。つまり、スタジオに持ち込まれた段階で、楽曲はかなりの程度まで完成していたのである。テイラーはこう語っている。

「ストーンズは、何のアイデアもないままスタジオに入ることはなかった。けれども、歌詞も何もかもすべて完全にできあがった状態でスタジオに入ったっていう記憶もない」

そういうわけで、この曲の方向性に自信を持ったストーンズは、冷静沈着にこの曲に取り組み始めた。キース・リチャーズはこう語っている。

「“Can’t You Hear Me Knocking”は突然飛び出してきたんだよ。俺がチューニングとリフを探り当ててスウィングし始めたら、チャーリー (・ワッツ) がすぐについてきてくれた。そうしてみんな、“おい、これはなかなかいいグルーヴだな”って思い始めた。だから、お互いに笑みを浮かべていたね」

キースはこの曲をオープン・G・チューニングで作った。このチューニングは彼にとって比較的新しい奏法で、まだ手探りの状態だった。とはいえ、これによってエキゾチックで表現力豊かな演奏が可能になった。

「あの曲では、指がちょうどいいところに落ち着いたんだ。そうして、それまで意識したことのなかったあのチューニングのコツをいくつか発見できた。そのことに気づいたのは、あの曲をレコーディングしていた最中だったと思う」

キースが演奏する耳障りなリフで曲が始まると、チャーリーが叩く鋭き出すソリッドなビートが加わり、さらにビル・ワイマンのベースが続く。そしてミック・テイラーが、キースのトゲトゲしいフレーズと好対称をなす滑らかなギターを奏でていく。キースは次のように語っている。

「ギタリストにとっては、あんなの朝飯前だよ。ああいう切り刻むような、スタッカートのようなコードを炸裂させるのはね。とても直接的で、隙間がある」

ほんの2度か3度試みに演奏をしたあとで、「Can’t You Hear Me Knocking」のマスター・テイクは一発でレコーディングされた。それにもかかわらず、テープ・マシンは録音状態のまま停止されることはなく、ストーンズもやはり止まらなかった。

即興演奏

「曲の終わりに近づくにつれ、演奏を続けたい気分になったんだ」

とミック・テイラーは語っている。有望な新曲の終わりを告げるクライマックスのシンバルが鳴り響いた数秒後、ほかのメンバーが楽器から手を離したときに、テイラーが遊び心のあるフレーズを軽快なラテン風のノリで演奏し始めた。

「あれはいい感じだった。それでみんな、すぐに楽器を手にして演奏を続けた。本当にたまたまああいう展開になったんだよ」

テイラーのリード・ギターに続いて、チャーリーがパーカッシブなグルーヴを固めた。チャーリーはテイラーについて次のように語っている。

「彼はとても優れた耳の持ち主だった。彼の演奏がどんどん先に進むように、俺がちょっと手助けしたってことだよ」

ビルとキースも再び演奏に加わったが、楽曲の本編で主役を務めていたキースは一歩退き、伴奏に専念し、エッジの効いたリズム・ギターを奏でることにしている。そしてテイラーは、とてつもなく幸福感にあふれた完璧なソロを奏でることになった。

やがて全員が演奏を止め、即興の演奏は大盛り上がりのクライマックスをもって締めくくられた。このときテープに吹き込まれた7分間の名演は、ミック・テイラーの柔軟な対応力がありありと伝わってくる大傑作となっていた。のちにテイラーは次のように語っている。

「“Sticky Fingers”のレコーディングでは、俺はほとんどの場面で自分独自のサウンドとスタイルを持ち込もうとしていた。そうして少し追加のスパイスを加えることになった。自分としてはそう思いたいね。俺がストーンズを“洗練”させたなんていう風には言いたくないな。そう言ってしまうと、思い上がっているような感じに聞こえるからね。チャーリーからは、お前が持ち込んだのは“細やかさ”だと言われた。そういう言い方がいい。俺はチャーリーの言葉に従うよ」

ゲスト・スターとオーヴァーダブ

このドラマチックでスリリングな曲の録音が終わると、バンドは曲の特徴をさらに際立たせる作業に移った。この曲のオルガン・パートを演奏するために起用されたのは、ザ・ビートルズとの共同作業を終えたばかりのビリー・プレストンだった。高音域でトリルを奏でる彼の華やかなハモンド・オルガンは、この曲の前半の敬虔な祈りを高めている。その一方で、曲の後半は元気あふれるゴスペル的な熱狂がアクセントをつけることになった。

この「Can’t You Hear Me Knocking」のオーヴァーダビングには、1968年の「Sympathy For The Devil」でコンガを叩いていたガーナ人パーカッション奏者、クワシ・”ロッキー・ディジョン”・ディゾルヌが再びゲスト参加している。彼の演奏は、ジミー・ミラーが演奏するそのほかのパーカッションとともに前半と後半を繋ぐ役割を果たし、この曲のラテン風味をさらに強調している。

さらに、この曲にはボビー・キーズも参加している。キーズは、『Let It Bleed』の「Live With Me」でストーンズのレコーディングに初めて加わっていた。『Sticky Fingers』のセッション中にミック・ジャガーの家に居候していた彼は、「Can’t You Hear Me Knocking」にホーンを入れるために再び起用されることになった。その後ストーンズのブラス・セクションとなったミュージシャンたちについて、チャーリーは次のように語っている。

「あれは、オーティス・レディングやジェームス・ブラウンのような人たちからの影響だった。それにデラニー&ボニーからの影響もある。デラニー&ボニーのバンドには、ボビー・キーズや (トランペット奏者の) ジム・プライスが参加していたからね。ブラス・セクションを起用したのは、ストーンズのサウンドを変えるためじゃなかった。ストーンズにまた別の奥行きとか別の彩りを加えようとしたんだ」

スタジオでキースに扇動されたキーズは、既に録音されていた即興演奏に絡みつくようなソロを思いつくままに吹いた。やがて彼はストーンズのツアーにフルタイムで参加するサックス奏者となり、その仕事は2014年に亡くなるまで続いた (ただし1970年代後半から1980年代前半の数年間は除く) 。

ヴォーカルと歌詞

ミック・ジャガーは、登場した瞬間から冴えわたっていた。彼のトゲのある唸り声は、熱狂的なバックの演奏を貫いて聞こえてくる。冒頭のヴァースは冷笑的な調子で歌われており、「サテンの靴」「プラスティックのブーツ」「コカインの目」「ヤク中のイカサマ」といった言葉を並べて誰かをこき下ろしている。

サビでミックは、この歌の主人公に中に入れて欲しいと頼み込んでいる。

Can’t You Hear Me Knocking?
ノックしているのに、聞こえないのか?

さらにブリッジでは、もう少し哀願するような調子になっている。最初こそ「助けてくれ、ベイビー」くらいのものだが、やがて「膝をついて頼み込む」と歌うところまで行く。こうした切迫感あふれる願いをさらに表現豊かにしているのは、ミックの声だった。まさしくベスト・コンディションではあるものの、その声はやはり緊迫感に満ちている。高い音を出そうと声を引き伸ばしているうちに、気迫と絶望感が醸し出されていったのである。ミックは、のちに次のように語っている。

「この曲は俺にはかなり高いキーだった。あのときは、“ああ、これは俺に合ったキーじゃない。だけどやってみよう”って言ったよ。サビで高い音がちゃんと出なかったのを隠すために、随分とハーモニーをつけたんだ」

「Can’t You Hear Me Knocking」をストーンズの名曲として決定つけたのは、あの即興演奏だった。それと同じように、ミックの気合の入ったヴォーカルにも明らかに自然発生的な部分があった。それを証明するエピソードがある。

録音の直後、ストーンズのセキュリティー責任者だったジェリー・ポンピリが、著作権登録のために『Sticky Fingers』の歌詞を聴き取る仕事を任された。彼は、自分が書き起こした歌詞をミックに確認してもらうことにした。のちにポンピリは、次のように振り返っている。

「ミックと意見が合わなかった曲が1つだけあった。すなわち“Can’t You Hear Me Knocking”だ。俺やほかのみんなは、ある一節が“Yeah, I’ve got flatted feet now, now, now /ああ、俺はもはや、もはや、もはや扁平足だ”って歌詞だと思った。けれどもミックは、自分はそんな歌詞は歌わなかったと断言するんだ。実際に何と歌っていたのか本人は思い出せなかった。だから俺たちは、とにかく聴き取った通りの歌詞で著作権登録を済ませることにしたんだ」

アルバムのリリース

『Sticky Fingers』は1971年4月23日にリリースされた。これはザ・ローリング・ストーンズ・レコードの設立後、同レーベルから発表された最初のアルバムであり、アトランティック・レコードとの新たな契約の一環として、アトコ・レコードから配給された。

1週間前に発売されたシングル「Brown Sugar」に後押しされ、このアルバムは先行シングルに続いて世界中で1位を獲得した。ザ・ローリング・ストーンズの歴史における新たな章の幕開けとなったこのアルバムは完成度も高く、バラエティに富んだ内容に仕上がっており、その後のさまざまな展開を予感させた。

「Can’t You Hear Me Knocking」は、間違いなくこのアルバムの目玉と言っていい曲だ。ここでは、ストーンズならではの自らを誇示するような凶暴なロックンロールとゆるやかで燃えるような芸術性が対照的に描き出されている。この曲を出発点として、彼らは1970年代を通して音楽的な冒険を繰り広げていった。

後世に残した影響

「Can’t You Hear Me Knocking」が初めてライヴで披露されたのは、1971年3月のニューカッスル公演でのことだった。そのたった一度の演奏を除けば、ストーンズがこの曲をステージで再現するようになるまでオリジナル・リリースから30年を擁した。

そしてその間に、『Sticky Fingers』はこのバンドの最高傑作として讃えられるようになり、「Can’t You Hear Me Knocking」は最も愉快で猛烈なストーンズを映し出した代表曲という評価を獲得した。

おそらく曲に独特な凄みが備わっているせいだろうが、「Can’t You Hear Me Knocking」は道徳的な退廃を象徴する曲として映画で頻繁に使われるようになった。たとえばマーティン・スコセッシが1995年に発表した映画『カジノ』では、ジョー・ペシ演じる登場人物がラスベガスの犯罪組織の発展ぶりを説明する場面で、この曲が最初から最後まで流れている。

また2001年の映画『ブロウ』では悪名高い密売人ジョージ・ユングの麻薬取引の追跡劇をジョニー・デップが手振り手振りを交えて説明しているが、ここでもやはり「Can’t You Hear Me Knocking」がノーカットで使われている。

「Can’t You Hear Me Knocking」は、こうした裏社会の描写と結びつけられてきた。またこの曲は、ストーンズ自身がもつアウトローとしてのイメージとも重ねられてきた。そうした印象が響いたのか、この曲のカヴァーにあえて挑んだアーティストはこれまでのところ少数にとどまっている。

ジェイソン・イズベルは400ユニットと組んでこの曲をレコーディングし、ハードなノリのオリジナルに忠実なカヴァー・ヴァージョンに仕上げている。また、オーストラリアのソウル・ユニット、ザ・バンブーズはファンキーなヴァージョンを録音。これは、ブラス・セクションをオリジナル以上に強調したカヴァーになっていた。

かたや原曲の熱狂的なギター・プレイの再現に挑戦したのは、カルロス・サンタナぐらいだろう (ちなみに、あのミック・テイラーのメロディアスなラテン風味のソロはサンタナから影響を受けていたのではないかと多くの人が指摘している) 。サンタナは、2010年にシンガーのスコット・ウェイランドと組んでこの曲をカヴァーしている。

ミック・ジャガーはかつて次のように語っていた。

「この曲は本当に面白いと思う。あれ以来、こんな曲はやったことがない」

Written By Simon Harper

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