“小ささ”維持、誇り受け継ぐ…ワイン知られぬ時代「渋い、酸っぱい」も人事尽くす 秩父ワイン「源作印」

純粋生のワイン製造を追求した浅見源作(秩父ワイン提供)

 埼玉県産ワインの先駆け、「秩父ワイン」(小鹿野町両神薄)の誕生は、昭和前期にさかのぼる。創業者の浅見源作(1889~1985年)が息子の慶一と築き上げたブランド「源作印(じるし)」の道のりは苦難の連続だった。

 厳しい自然の山村で、養蚕や畑作で生計を立てる住民が大半だった。新しもの好きの源作は、慶一の愛読書「ロビンソン・クルーソー漂流記」から着想を得て、山梨から苗木を取り寄せてブドウの栽培を始めた。山梨と気候風土が似ていて順調に育ったが、単価が安かったため、ワイン造りへの挑戦を決意する。

 「ワインなんて見たことも、飲んだこともない。どうやって造ったらよいのか」。秩父ワイン発行の冊子「秩父ワイン物語」(1994年)には、そんな源作と慶一の試行錯誤の日々が紹介されている。

 日本人が執筆したワイン造りの名著「葡萄(ぶどう)全書」が東京神田の古本屋で売られていることを知った源作。3冊セットで高価な本だったが、必死で金をかき集めた。慶一は自転車で東京まで往復し、2日間かけて本を持ち帰った。

 理解できない箇所があれば上京して、著者の川上善兵衛に話を聞いた。「ワインはブドウが命。ブドウは土が命。ブドウにとっていい土を作ることから始めなさい」と、川上から助言されたという。

 1940年8月に酒類製造免許を取得し、県内初のワイン醸造業者になった。その年、「秩父生葡萄(きぶどう)酒」を売り出すが、この頃はワインの味が分かる人は少なく、「渋い、酸っぱい、甘くない」などと評判は散々だった。

 「ワインの味を分かってくれる人は必ずいる」。ワイン造りを続ける中、転機は59年に訪れる。秩父ワインを訪問したフランス人神父が「ボルドーの味」と称賛。外国人の間で評判となり、日本人のワイン通にも広がった。

 「日本ワインコンクール」の金賞など、高評価を受けている源作印ワイン。現在は源作のひ孫の島田昇(55)が5代目社長を務める。

 源作の語録に「ワイン造りは商売を大きくしたら駄目だ。大きくするといいものは造れない」という言葉がある。その教えを守り、目の届く範囲の量を守り、品質の均一化を心がけているという。

 島田の妹で同社取締役の村田道子は「看板は小さいけれど、ワインの味は世界のワイナリーと競っても負けない」と胸を張る。創業者から受け継いだ自負と誇りが、至福の味と香りを生み出している。(敬称略)

■ブドウ栽培に最適な秩父

 秩父地域にあるもう一つの醸造所、「秩父ファーマーズファクトリー兎田ワイナリー」(秩父市下吉田)は、2013年に自社畑約2ヘクタールでブドウ栽培を開始し、15年からワイン造りを始めた。社長の深田和彦(67)は「秩父地域は昼夜の寒暖差が激しく、雨量が少ないため、山梨県にも負けない上質なブドウが育つ」と語る。

 同社では、マスカットベリーAやメルロー、シャルドネなど多品種のブドウを栽培している。自社畑のほか、秩父市内の契約農家で生産するブドウを使用した「秩父生まれ、秩父育ち」のご当地ワインをアピールしている。

 これまで、近隣のウイスキー蒸留所の樽(たる)に熟成させたワインや、秩父産ゴールデンカボスを使用したフルーツワインなどを醸造。赤ワイン「秩父ルージュ2019・兎雪(YUKI)」が県新商品アワード2020で大賞、白ワイン「秩父ブラン2019・ピーテッドウィスキー樽熟成」が「にっぽんの宝物グランプリ」に選ばれるなど、数々の賞を獲得している。

 深田は「今後もさまざまな方向性で地ワインの魅力を伝え、地域完結型のワイン造りに力を入れていく」と意気込む。21年からは市内の福祉事業者と協業し、農福連携のワイン販売を開始している。

源作のワイン造りを受け継ぐ島田昇(右)と村田道子=埼玉県小鹿野町両神薄の秩父ワイン

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