競泳・今井月選手(23) 8歳で母が他界 食事や練習の送迎など二人三脚で支え続けた父との絆

岐阜市出身の競泳女子、今井月(いまい るな)選手(23)。

ことし6年ぶりに代表に復帰しましたが、一時は競技生活をやめようと思ったことも…そんな今井選手を支えた父、博美(ひろみ)さんとの深い絆を追いました。

訪れたのは…「居酒屋ぱくり家」。

(競泳女子・今井月選手)
「こんなところにカメラが来ているの初めて見た。写真撮ろ」

(今井月選手)
「まじ、“ぱくり家”ってふざけているよね」

(父 博美さん)
「だけど『一回聞いたら忘れん』てみんなに言われるよ」

(今井選手)
「ほかの候補はなかったの?」

(父 博美さん)
「ない」

(今井選手)
「(最初から)ぱくり家やん」

楽しそうに会話を交わす親子。

競泳女子平泳ぎの今井月選手と、父でぱくり家の主、博美さん。

今井選手は、つかの間のオフを利用して岐阜の実家に帰っていました。

実は父・博美さんとの“深い絆”がありました。

今井選手が8歳の時に、母・りささんが他界して以来、練習の送り迎えや食事の準備の全てを一人で行い、出場する試合にも全て足を運び、試合を撮影し、その映像を今井選手が見返す…まさに、二人三脚で世界を目指してきました。

(父 博美さん)
「父親がね、頑張ると娘も頑張るのよ」

そして、高校1年生の時には2人の夢だったオリンピックに、女子200m個人メドレーで出場…しかし、準決勝で敗退。

この後、本来の泳ぎを取り戻すことができず、代表から外れる日々が続きます。

(今井選手)
「どうしたらよくなるのか全然希望が見えなくて、泳ぐのも怖いというかトラウマみたいな感じで、みんなの前で泳ぐのがすごく恥ずかしい。誰にも見られたくないという感じがすごく強かった」

そんな時、父の博美さんは。

(父 博美さん)
「水泳をやめたいという話になっていたから、いやいや待てよ待てよと。何かいろいろ環境を変えてとことんやってそれでも駄目だったら、やめてもいいんじゃないの」

その後、周りの勧めもあり、本来得意とする平泳ぎに絞って調整し、ことし6年ぶりに代表に復帰しました。

そして迎えた9月に行われたアジア大会、女子200m平泳ぎ予選。

全体の4位タイで通過し、決勝にコマを進めました。

博美さんは、経営する居酒屋に友人を集めて決勝を観戦します。

料理にハマっている今井選手 父にレシピも伝授

(父 博美さん)
「いいよスタートは」

レースは、前半デッドヒートの展開に。

見事復活の銅メダル! しかし、博美さんは。

(父 博美さん)
「残念賞やな。次にご期待」

そして、今井選手も。

(今井選手)
「本来は金メダルを狙わなきゃいけない位置にいたので、それは全然納得いくレースじゃなかった。世界で戦えるというのを証明できるように頑張りたい」

離れていても、見ている景色は一緒。

そして、ぱくり家。

(今井選手)
「絶対、月のほうがうまいよ、ポテトサラダ。作り方教えたるわ。ゆでたまごは6分でぐちゅぐちゅにする」

(父 博美さん)
「ゆでたまご入れんもん」

(今井選手)
「は? ゆでたまごは入れな意味ないって」

(父 博美さん)
「ゆでたまご入れると日持ちしんのやて」

(今井選手)
「ベーコンは?」

(父 博美さん)
「魚肉ソーセージ入っとる」

(今井選手)
「ベーコンやてそこは」

(父 博美さん)
「コスト高いやん、ベーコンは」

最近、料理にはまっているという今井選手。

味はもちろん、見栄えも重要という自らのレシピを父に伝えます。

なんといっても、ここが一番落ち着く場所のようです。

(今井選手)
「まずは(来年)3月に(五輪)代表内定。しかも(体力的に)余裕をもって代表を内定させたい。(五輪でピークにしないと)本番の会場で戦えないと思うので、まずは自分のレベルをそこまであげることが今は目標です」

実家で疲れを癒やし、今井選手は来年3月の代表選考会でパリオリンピックの代表内定を目指します。

(父 博美さん)
「そしたら、来年結婚するって話になっとるらしいよ。もう同級生どんどん結婚していくな」

(今井選手)
「結婚しちゃおかな」

(父 博美さん)
「大谷翔平と?」

(今井選手)
「やめてそれ、使われるんよ」

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