北アルプスに「伝説の登山道」、父の遺言で40年ぶりに復活 「まさに秘境」急流渡り、岩上り、温泉の噴気、急登…その先に絶景が

 新道を案内してくれた山岳ガイドの田村茂樹さん

 北アルプスに長野、富山両県を結ぶ「伝説の登山道」と呼ばれる道がある。長野県大町市の湯俣温泉から、鷲羽岳(2924メートル)と三俣蓮華岳(2841メートル)の間にある三俣山荘までをつなぐ約10キロの「伊藤新道」だ。
 かつて三俣山荘を経営していた伊藤正一さん(故人)が1956年に私費を投じて完成させたが、やがて廃道に。それを今年8月、息子の伊藤圭さん(46)がクラウドファンディングで40年ぶりに復活させた。開通に合わせて開かれたイベントでは、詰めかけた登山ファンらにこう呼びかけた。
 「冒険ができる道がコンセプト。原始的な自然を楽しんで」
 学生時代に山岳部に所属し、長野支局で勤務する私にとって、圭さんの言葉は魅力的だった。原始的な自然を探しに10月中旬、新道を歩くとまさに冒険の連続。川を渡り、岩をくぐり、急登を超えると…その先には絶景が待っていた。(共同通信=長谷夏帆)

【音声でも解説】遺言で40年ぶり復活「電説の登山道」 歩いた記者が語る〝冒険〟とリスク

新道の「ガンダム岩」を通過する登山客。開通に合わせて岩に足場のタラップが設けられた
新道に整備された足場を利用する登山客

 ▽むき出しの自然がたっぷり
 新道は半分ほどが沢登りで、ルートを探す箇所もある上級者向きの道だ。20往復以上したという山岳ガイドの田村茂樹さん(40)に、2泊3日で新道往復の案内を頼んだ。季節はすっかり秋。水温の低下や、高所での積雪が見込まれる。雪上で使うスパイクや厚手の沢用靴下を買いそろえて午前7時ごろ、登山口を出発した。
 まず目に飛び込んできたのは、赤茶けた岩の崖。米国のグランドキャニオンをほうふつとさせる。川の脇ではぐつぐつと音を立てながら温泉が湧き、湯気で足元がほのかに温かい。

開通に合わせて整備された桟道

 源泉は90度ほどと聞き、「こけたらひとたまりもない」。慎重に歩いた。温泉成分が混ざるため湯俣川は絵の具を混ぜたように真っ青だ。紅葉も色づき、広大なキャンバスを鮮やかな自然の色彩が埋め尽くしたような光景だった。
 私は日々、事件や事故の取材を担当している。急な連絡は日常茶飯事だが、ここまで来れば電波は通じない。罪悪感を抱きつつも、むき出しの自然をたっぷり味わおうと決めた。

温泉成分が混ざるため絵の具を混ぜたように真っ青な湯俣川

 ▽あえて残した「冒険の要素」
 この新道が1956年に完成した当時は、多い日で約500人が利用していたという。北アルプス奥地にある山荘までの最短ルートだったため、資材運搬などに重宝された。しかし、付近のダム工事で水位が上昇し、つり橋が流されるなどして1983年ごろには通行困難に。伊藤圭さんは、2016年に亡くなった父・正一さんの願いを受けて開通させた。

昔の伊藤新道で崖に設けられていた桟道の跡

 昔の新道は、崖に桟道を設けるなど川を避けた直線的な作りだったという。一方、圭さんは頑丈なつり橋を作ったり岩に足場を設けたりしたものの、ルート探しの箇所を設けるなどあえて「冒険の要素」を残した。

クラウドファンディングを通じ設置されたつり橋

 確かに道中は水位の低い場所を探して川を渡ったり、大きな岩をくぐったりと「冒険」そのものだ。腰まで水につかる場所もあり、脚をしっかり踏ん張らないと流されてしまいそうだ。「ガイドを頼んで良かった」と改めて思った。

真っ青な湯俣川(右)と鉄分が混ざり赤茶色な赤沢(左)の合流点。色のコントラストが美しい

 かつて使われていたワイヤや古い道標にロマンを感じながら標高1800メートルほどまで歩くと、鉄分が混ざって赤茶色の水が流れる「赤沢」が現れた。真っ青な湯俣川と赤沢の合流点は色のコントラストが美しい。

沢登りを終え、原生林が生い茂る道へと入っていく。ロープも開通に合わせ整備したもの

 ここで沢登りは終わり、原生林が生い茂る道へと、景色ががらりと変わった。土の香りをかぎながら、標高2550メートルほどの三俣山荘へ急登が続く。一気に進むと息が上がり、自然と口数が減ってしまう。

展望台から見える北アルプス。一番奥のピークが槍ケ岳の尾根

 展望台で一息つこうと荷物を下ろすと、槍ケ岳(3180メートル)の尾根が姿を見せた。その名の通り、やりの先のようなフォルムがひときわ存在感を放ち、疲れが吹き飛ぶ。励まし合いながら午後4時半ごろ、三俣山荘に到着した。

新道ゴール地点の三俣山荘へと続く道。あともう一息

 ▽山荘の名物「ジビエシチュー」には理由がある
 到着した三俣山荘は、正一さんが1945年に経営権を買い取り、営業を続けてきた。正一さんは黒部源流の山賊との交流を描いた『黒部の山賊』の著者であり、登山ファンにとっては知る人ぞ知る人物だ。

伊藤新道を築いた伊藤正一さん。登山ファンにとって知る人ぞ知る人物だ=2006年ごろ撮影、三俣山荘提供、北アルプス水晶岳付近

 実は、この山荘の訪問は2回目。前回は5年前、大学時代の夏に北アルプス縦走で宿泊した。この時は学生の貧乏旅。重い米や缶詰を背負って自炊した。でも、今回はお金がかかっても絶対に山荘の食事を味わおうと決めていた。

三俣山荘名物のジビエシチュー。鹿肉やニンジンがごろごろ入っている

 夕飯のメニューは山荘名物の「ジビエシチュー」。鹿肉やニンジンがごろごろ入っていて、疲れた体に染みる。ニホンジカの高山植物への食害を知ってもらおうと提供を始めたそうだ。貧乏旅を思い出しながらありがたく堪能していると、「これから小屋締めパーティーです!」とアナウンスが。夏山シーズンを終え、山荘はあと2日で今季の営業を終えるという。余った食料やお酒を全員参加の「食べ飲み放題」で消費するという毎年恒例のイベントのようだ。

三俣山荘恒例の小屋締めパーティー

 食堂にはミラーボールやDJブースが登場し、ここは本当に山かと疑うような都会的な雰囲気に。老若男女がお酒を手に「山」という共通の話題に花を咲かせる。
 友人と2人で新道を登った神奈川県の30代男性会社員は「唯一無二の秘境」と絶賛。「開拓されていない感じが冒険心を駆り立てられる」。道中に出会った単独の登山客は、川を渡れず引き返していったという。
 ガイドの田村さんは、このコースの危険性をこう説いた。「上級者向けで、幅広い判断が求められる」。落石の恐れだけでなく、ルート付近にある噴気地帯で水蒸気爆発が起きれば熱水が噴き出して水位が上昇し、半日ほど身動きが取れなくなる。野営が必要だ。

2日目の山荘前。降雪が多く、この日は山行を断念した

 ▽自然のパワースポットはタマネギ型
 2日目は窓に雪が張り付くほどの吹雪で、山行は危険と判断し、1日停滞することになった。幸い3日目は天気が回復した。午前7時ごろ、圭さんの妻・敦子さんらに見送られて山荘を出発した。

下山のため山荘を出発する瞬間。山荘のスタッフが送り出してくれた

 前日の雪であたりは銀世界。空気もつんと凍っているが、歩くと体が温まってきた。道すがら、温泉沈殿物が固まった白いタマネギ型の噴湯丘を訪れた。人の背丈ほどの大きさで、国の天然記念物に指定されているという。温泉水でカメラが曇るほどの湯気が立ちこもる。自然の「パワースポット」だ。

田村さんや山荘スタッフが噴湯丘に設置した看板。「さわらない」など噴湯丘の保存を呼びかけている

 ただ、田村さんによると登山客がよじ登るなどし、噴湯丘が崩れつつある。離れた場所から大切に楽しみたい。

復活に合わせて40年ぶりに再建された湯俣山荘と管理人の野沢優太さん

 午後3時ごろ、標高1534メートル地点の湯俣温泉に到着。ここに立つ湯俣山荘は今年、新道の復活に合わせて40年ぶりに再建された。内装は新しく、水洗トイレも完備されている。おまけにバーカウンターまであり、「これが最先端の山荘か」と驚いた。
 管理人の野沢優太さん(30)は「やっとお客さんに見せられる姿になった」とにっこり。バーの営業を通して、客同士の交流の場を作りたいという。
 湯俣温泉を後にして午後5時半、登山口にたどり着いた。行動を共にしたガイドの田村さんらと別れると一気に現実に引き戻される。3日間たっぷり自然を味わい、また頑張ろうと思えた。

湯俣山荘に完成したバーカウンターに立つ管理人の野沢優太さん

 ▽新道を守り、残していく
 三俣山荘を営む圭さんや敦子さんらは、再開させた新道の「次の展開」へと動き始めている。敦子さんらは以前の新道が廃道になった後も、第5つり橋から山荘へと続く原生林の道草刈りや拡幅作業を毎年続け、大切に整備していた。義父の正一さんが築いた「大好きで大切にしている場所」だからだ。

三俣山荘の前に立つ伊藤敦子さん
紅葉が深まり、赤い絨毯のような光景が広がる新道の道

 新道を維持管理するには人手がかかるため、今後は「協力者によるサポート体制が必要」と話す。そこでボランティアツアーを行うガイドチームを編成したり、沢に整備拠点を兼ねる避難小屋の建設を計画したりしている。
 多くの人に楽しんでもらうためには、課題もある。湯俣温泉へつながる麓の七倉登山口(大町市)の交通アクセスが悪いことだ。昨年には大町市や環境省などと観光振興についての勉強会を実施し、JR信濃大町駅と登山口を結ぶバスの定期運行を実現させた。「これだけの観光資源があるのにもったいない。麓の大町市に予算など働きかけたい」

沢を歩く記者(手前)。流れが強く慎重に進む=田村茂樹さん提供

 【取材後記】安全に冒険を楽しむために
 新道の開通期間は湯俣川の水位が下がる8月20日ごろから小屋締めの10月末まで。今年は冬の積雪が少なかったことで沢の水位が低く歩きやすかったが、田村さんによると「来年も登れるとは限らない。山荘やガイドに問い合わせてほしい」
 新道の魅力について、田村さんはこう表現していた。
 「地球のエネルギーをもらえる場所。体は疲れても心は満たされる」

温泉沈殿物が固まった噴湯丘

 確かに、片道約10時間歩いて酷使した脚は筋肉痛だし、一眼レフなど重い取材道具を背負ったせいで休日の登山より疲労感は倍増だ。でも、大きなタマネギ型の噴湯丘や槍ヶ岳の絶景など、新道ならではの景色を味わえた。「伝説の登山道を登ったぞ」と充実感もひときわ。田村さんの言葉の意味が分かった気がした。

  一方で、本物の冒険には大きなリスクもつきまとう。山荘は装備不足で行動不能になるケースが起きているとし、ヘルメットや全身がぬれた時の着替え、野営装備などを持つように呼びかけている。私は他にもゴム底の沢靴やスパッツ、ハーネス、沢に落ちても荷物がぬれない防水カバーなどの装備をそろえて挑んだ。10月は気温が低く、沢登り後に足元がぬれた状態で歩くと体が冷える。途中で履き替える登山靴や靴下も多めに用意した。水量や季節に合わせた装備の選択が大切だ。また、経験や技術に不安がある人は経験者やガイドの案内が必要になる。2人以上で新道を往復する場合、ガイド費用は1人7万円前後になる。 

 取材後の10月下旬には、新道を登っていた2人パーティーが下山中に道に迷う遭難事故も起きた。幸い、野営装備を持っていたおかげで数日後に無事救助されたが、自分も同じ道を歩いていただけにショックだった。

つり橋近くの岩に書かれた「引き返す勇気を雨天の時」の文字

 敦子さんによると、復活前の新道は、沢登りの上級者のみが通行できるような場所だった。昨年訪れたのは300人未満。それが新道復活で今年は一転して盛況になり、千人ほどが訪れた。山荘にも水量や装備に関する問い合わせが相次いだ。
 この記事を通して「新道ファン」が1人でも増えたら本望だが、「女性でも登れたのだから、行けるだろう」などと安易に考えず、天候や水量、ガイドの有無などリスクを考慮しながら安全に冒険を楽しんでほしい。

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