抑留体験、息子と伝える 鶴岡・水口さん、二人三脚で講演会

シベリア抑留の体験を親子で語った水口藤一さん(右)と修さん=鶴岡市・出羽庄内国際村

 シベリア抑留を経験した水口藤一さん(98)=鶴岡市=と、次男修さん(67)=庄内町=が二人三脚の形で戦争体験を語り始めた。今春仕事を退いた修さんが、父から戦中・戦後の話を聞いたことがきっかけだった。「主人公は体験者であるおやじ。今、話せる時に話してほしい」と親子で初めての講演会に臨んだ。

 藤一さんは旧西郷村(現鶴岡市)に生まれ、1945(昭和20)年2月、19歳で通信兵として陸軍に入隊した。中国・通化で捕虜となり、現在のウズベキスタンとロシアで4年間、木材運搬などの肉体労働を強いられた。2018年の本紙企画で戦争経験者として取り上げられたが、自ら語る機会は多くなかった。

 一方、修さんは元県職員で、福島県内の復興事業に携わった後、今年3月に自宅に戻った。藤一さんを送迎する機会が増えると、車内で抑留当時のことを聞かされた。断片的だが、自身も初めて聞く話ばかり。広く伝える機会を設けてあげたいと、知人に打診し、出羽庄内国際村(同市)の講座での講演が決まった。

 修さんは事前に強制労働や生活の様子などを聞き取りし、プレゼン用ソフトでまとめた。2人で相談し、藤一さんが話した内容に沿い、修さんがスライドを投影する方式とした。

 2日の講演会では、藤一さんが収容所でのマラリアへの感染、労働の膨大なノルマ、わずかな量だった食事などについて説明した。休憩を促されても立ったまま1時間、思いがあふれるかのように熱弁を振るった。修さんは理解しやすいよう写真や地図を示し、耳が遠くなった藤一さんに来場者からの質問を伝えた。

 約40人が聴講し、抑留経験者の父を亡くした女性から「こんな風に生活していたと初めて知った」と感謝されたという。パレスチナ自治区ガザの戦闘が深刻化する今、次世代に向け、親子2人で平和の尊さをつなぐ道。修さんは「おやじが話に行くと言えば、今後も付いていく。よく理解してもらうことが何よりも大事だから」と語った。

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