老舗ボウリング場が53年の営業終了 1フロア100レーンで人気を呼んだ時代も 最後の大会で歴史に幕 

53年の歴史に幕が下ろされます。

名古屋市千種区のボウリング場「星が丘ボウル」が、12月5日午後7時半ごろに営業を終了します。

5日は午前中から、別れを惜しんで大勢の人たちが訪れていました。

(来場者)
「毎週、火曜日に来ている。23年くらい。さみしい」
「本当に残念。ちょうど近いので来やすい」

別れを惜しむ人たち。

名古屋市内で最も長く愛されたボウリング場、星が丘ボウル。

53年の歴史に間もなく幕を下ろします。

営業開始と同時に特別な思いで訪れる人たちの姿が…最終日は午前中だけで約50人が訪れました。

客を迎え入れる関係者にとっても、まもなく最後の瞬間が訪れます。

(星が丘ボウル 永田桂さん)
「お客さまが、きょう1日楽しんでいただければいい、それだけ」
Q眠れましたか?
「眠れました」

34年前、星が丘ボウルでアルバイトを始め、その後に入社した永田桂さん(54)。

そのまま星が丘ボウル所属のプロボウラーになり、ボウリング教室のレッスンやフロント、事務の仕事も続けてきました。

千種区にある「星が丘ボウル」は、国内にボウリングブームが巻き起こった真っ只中の1970年12月5日にオープン。

当時は世界3位の規模を誇る「1フロア100レーン」で営業し、人気を博しました。

しかし建物や木製のレーン、ピンを回収する機械の老朽化が進み、存続が難しいと判断。

オープンから、まる53年を迎えた2023年12月5日、営業を終えることに。

(星が丘ボウル 永田桂さん)
Q星が丘ボウルは永田さんにとってどんな場所?
「生活の一部、家みたいな感じ。34年間、人生の3分の2をここで過ごしているので。さみしい気持ちはあるが、楽しい思いを持ちながら、終了と言いたくないが、星が丘ボウルの終わりを迎えていきたい」

12月2日、永田さんたちは特別イベントとして、これまでの歴史をたどる写真展や、CBCテレビで昭和から平成にかけて放送していた「ミックスダブルス」のパンフレットなども展示。

また、長年使われてきたピンを1本1000円で販売し、思い思いにデコレーションすることもできるイベントなども行いました。

約70本のピンが売れたということです。

(星が丘ボウル 永田桂さん)
「本当にありがたい。懐かしい方も、たくさん来てくださった。本当に良かったと思う」

1995年入社の蛭川雅文マネージャー(55)は。

(星が丘ボウル 蛭川雅文マネージャー)
「『昔ここで遊んでいたが久しぶりにニュースをみて、もう1回最後に来たいなと思って仲間を集めて来ました』という話や、多くのみなさまに利用していただいている」

そして、この日に来場した人の中には、何と!

(マギー審司さん)
「完全プライベートです。ここには大きな大会があったりすると、それを見に来たりしていた」

偶然にも、手品師のマギー審司さんと出会いました。

マギーさんのボウリングの腕前がプロ級なのは、芸能界でも有名な話。

実は、ことし3月にも別のボウリング場で…

(マギー審司さん)
「実は僕、ここにすごくお世話になっている」

ことし閉館した、名古屋市中村区の名鉄レジャックのボウリング場でも、私たち「チャント!」取材班はマギーさんに遭遇していました。

(マギー審司さん)
「家族みんな好きなんですよ。この場所自体が」

マギーさんは宮城県出身で、東日本大震災をきっかけに名古屋へ移住。

5日で幕を下ろす星が丘ボウルも、家族で何度も足を運んだ思い出深い場所だとのこと。

(マギー審司さん)
「ここは、せっかく広いし環境もいいし場所的にもすごくいい場所だから、なくなるのは寂しいですけどね…」

(来場者)
「ここが地元なので、みんな打ち上げとかで、ここに来ていた。寂しいです。なくなるなんて思わなかったから」
「僕は今、東京に住んでいるんですけど。このために来た。閉館だということを聞いて、わざわざ仕事を休んで来て…内緒だっけ?」

星が丘ボウルでは、午後4時から会員のみが参加できる最後のボウリング大会が行われています。

そして、午後7時半ごろ53年の歴史に幕を下ろします。

© CBCテレビ