「イスラエル・ロビー」とはなにか その4 反対議員への集中攻撃

古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・イスラエル・ロビーの力の発揮の実例、「上院議員76人の書簡」。

・上院外交委員会委員長チャールズ・パ―シー議員への強烈なイスラエル・ロビーの圧力。

・イスラエル・ロビーが猛烈な反対運動をぶつける対象に党派の区別はなかった。

前回はイスラエル・ロビーの伝説的な力の発揮の実例として「上院議員76人の書簡」について報告した。1975年5月のアメリカ連邦議会での出来事だった。時のフォード政権が第四次中東戦争の処理をめぐって、イスラエルへの全面支援を停止するような動きをみせたことへのイスラエル・ロビーの猛反発だった。

アメリカ国内のイスラエル・ロビーに象徴されるイスラエル支持勢力はイスラエルへのほぼ無条件の支援を求める上院議員の同意の書簡にまず19人の賛同を集めた。そしてその後の3週間ほどで、その数を76人にまで増やしたのだ。76人といえば総数100人のアメリカ連邦議会上院の4分の3という圧倒的多数である。

アメリカ国内のイスラエル・ロビーはこの成果をどんな方法で達成したのか。

民主党のジョン・カルバー上院議員は当初、この書簡には明白に反対していた。カルバー議員は「イスラエルの全面支援をうたうそんな書簡はアメリカ政府の中東政策での手足を縛ることになるから、私は絶対に署名しない」とまで言明していたのだ。ところが同議員はすぐにその書簡に署名してしまった。

「圧力があまりに強かったため、屈服してしまった」

カルバー議員は率直にこんな感想を述べていた。そして深夜に自宅あて電話がひっきりなしに

かかってきて、この書簡でのイスラエル全面支援に同意することを執拗に促す圧力があったことをもらしていた。

アメリカの連邦議会にはこの種のロビー活動には決して負けないという定評のある議員も存在した。民主党重鎮のダニエル・イノウエ上院議員もその1人だった。だが同議員もまた当初の方針を逆転させて、この書簡に同意してしまった。

「たった1通の書簡にサインするほうが5000通もの書簡に悩まされるより、ずっとましだ」

イノウエ議員もこんな言葉を口にしていた。支援者、有権者からの手紙が殺到し、みなイスラエル支援のその書簡に賛成することをイノウエ議員にも強く求めていたのだ。

チャールズ・パ―シー上院議員へのイスラエル・ロビーの圧力はさらにものすごかった。パーシー議員は共和党で、しかも当時の上院外交委員会の委員長だった。だが「上院議員76人の書簡」には断固として反対した。そしてイスラエルの態度をあまりに非妥協的だとして非難した。そのうえでイスラエルを批判する独自の抗議声明を作成して、時のフォード大統領に突きつけたのだ。また公開の場で中東和平についてイスラエルの態度を頑迷にすぎるとして糾弾する言明をも繰り返していた。

アメリカ国内のイスラエル・ロビーは当然ながらこのパーシー議員に対して前例がないとまで評された激烈な攻撃をかけたのである。

パーシー議員のワシントンの事務所には同議員の地元選挙区のイリノイ州から1週間のうちに手紙が約4000通、電報が約2000通も殺到した。そのほぼすべてが同議員に対して、そのイスラエル批判の一連の言明に抗議し、「上院議員76人の書簡」への同意を迫るという内容だった。政治家にとって自分の選挙区での動きはもっとも気になるのは当然である。

イスラエル・ロビーはイリノイ州内の各地でパーシー議員を批判する抗議集会を開いた。次の選挙ではパーシー議員に投票するなというメッセージを明確にうたう集会だった。パーシー議員の事務所にはイリノイ州以外でもユダヤ系住民の多いニューヨーク州やニュージャージー州からの抗議状がどっと届き始めた。危機を感じたパーシー議員は地元のイリノイ州に頻繁に戻り、選挙民に自分の中東情勢への立場を熱心に説いて回った。なぜイスラエルの主張には同調できないかの説明だった。

「イスラエル国内ではこの種の政策論争が自由にできるのにアメリカではそれがロビーの圧力のためにできない」

パーシー議員はこんな悲鳴に近い抗議の声まであげたのだった。

イスラエル・ロビーはイスラエル全面支援の政策に反対する他の有力議員たちにも同じような攻撃をかけていた。1970年代の連邦議会では有力議員とされた共和党のマーク・ハットフィールド上院議員も「上院議員76人の書簡」への署名を拒み、時のフォード政権の親イスラエル傾向に反対したために、イスラエル支持勢力に地元の選挙区のオレゴン州をかき回されたのだった。イスラエル・ロビーはハットフィールド議員に直接の抗議のメッセージを殺到させるだけでなく、選挙の際には同議員の対抗候補に全米各地からの支援を投入した。

イスラエル・ロビーはオレゴン州の上院議員選挙ではハットフィールド議員の対抗馬の陣営に選挙活動家多数を送りこむとともに、多額の選挙資金をも寄付したのだった。同議員は当面の選挙にはそれでも勝利したのだが、一時は反対勢力のパワーには恐怖に駆られたと、もらしていた。

ここまでみてくると、イスラエル・ロビーは民主党議員を味方につける場合が多く、猛烈な反対の運動をぶつけるのは共和党議員が対象というふうにもみえる。だが実際にはそうした党派の区別はあまりないのが現実だった。

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トップ写真:チャールズ・パーシー上院議員(1970年8月20日)出典:Bettmann / GettyImages

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