【特集】和歌山市出身の小久保裕紀さん 福岡ソフトバンクホークス一軍監督に就任!

SB新監督は星林高校出身

福岡ソフトバンクホークスの来シーズンの監督に、県立星林高校OBの小久保裕紀さんが就任しました。小久保新監督は、和歌山市出身で県立星林高校を卒業後、青山学院大学に進学。1994年、現在の福岡ソフトバンクの前身の福岡ダイエーにドラフト2位で入団。95年にはホームラン王に輝くなど数々のタイトルを獲得しました。

その後、巨人や福岡ソフトバンクでプレーし、2012年に現役を引退しました。現役引退後は2013年に侍ジャパンの監督を務め、一昨年に福岡ソフトバンクの一軍ヘッドコーチを。去年から2年間は2軍監督を務め、今シーズンはチームをファーム日本一に導きました。

監督に就任した今の心境

(小久保監督)
「2年間、2軍で監督をやらせてもらった。どちらかというとヘッドコーチとして3年前に久しぶりにホークスに戻ってきた時の方が何かソワソワしていた。今回は俗に言う内部昇格。比較的落ち着いている」

(小久保監督)
「この2年間は、1勝の重みとか難しさとか大切さとか、そういうものを2軍にいながら感じた。「あの時のあの一つが」っていうのがありましたよね。なぜその1勝が取れなかったのかっていうような所も、今のチームには落とし込んでいかないといけない。普段のウォーミングアップから、色んなグラウンド上での動きに隙がないように、細かいところまで注意してやるべきだなと思います」

和歌山への思い

星林高校時代を振り返り、部を長く率い今年5月に他界した谷口健次さんとの出会いが、のちのプロ野球シーズン全試合出場の原点と話します。

(小久保監督)
「当時は怖かった。本当に厳しい監督で「痛い」と言えない時代。痛いの我慢して投げてたら、(夏の大会が)終わった後レントゲン撮りに行ったら、骨折れた後、骨くっついてました」

―現役時代は全試合出場も。

(小久保監督)
「怪我が比較的多くて手術もいっぱいした。折れたまま試合に出たシーズンも2シーズンぐらいある。デッドボールをあてられて骨折したのも3回くらいある。それでも全治よりはるかに早くチームに復帰した。プロの場合は「痛い」って言っている間に、そのポジションに新しい人が来たら生活奪われるというか試合に出られない。そういうのもあって自分のポジションは絶対明け渡したくない。その原点は谷口先生」

―ふるさと・和歌山への思い。

(小久保監督)
「もう一回生まれ変わったら、和歌山にいた時ぐらい練習するかと言われたら、そこまでできないくらい練習した。中学は必ずランニング。家の庭に祖父がTバッティングできるスペースでネットをはってくれた。ずっと夜まで午後10時回ったら打つのやめていたが必ず打っていた。高校もずっとランニングしてその日は終わり。野球人としての基礎が出来上がったのが和歌山」

―野球少年・小久保裕紀さんを支えたもの。

(小久保監督)
「母親の影響が大きい。「自分で決めたことを最後までやり通せ」と。サボってるとチクチク言われた。「そんなんでプロ野球選手なれるんかなあ」と。そっと背中を押してくれる存在」

プロ現役時代を振り返って

(小久保監督)
「当時のダイエーホークスに行くことになり、九州、縁もゆかりもない土地を選ばせてもらったんですが、今となっては、18歳まで過ごした和歌山以上に長くなってしまったんですが、良い球団を選ばせてもらった」

(小久保監督)
「その時の王監督との出会いが、僕にとっては大きかった。ホークスを選んでなければ王さんの下で野球することはなかったので。(チームが)弱いところから強くなっていった過程を知っている。そういう時代を共に過ごさせてもらった」

来シーズンの目標

―チームづくりについて。

(小久保監督)
「野手、レギュラーが高齢化。23、24歳以下で活躍している選手がいない。今のベテランの主力に頼っているだけではしんどい。そこに割って入る若手が出てきてもらいたい。野手は若くてレギュラーはれそうな選手を中心に作りあげていくのが大切」

―来シーズンの目標を。

(小久保監督)
「リーグ優勝、日本一。目標はこれしかない。このために監督を引き受けた。全身全霊で戦います」 

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