「戦国時代語る一級史料」京都の山中に眠る山城とは 京丹波町で歴史講座

須知城の高石垣について解説する福島さん(右)=京丹波町市森

 京都府京丹波町最大の山城・須知城を巡る町民講座が、京丹波町市森であった。参加者は高石垣や虎口(こぐち)(城の出入り口)が残る貴重な遺構に触れ、郷土の歴史への理解を深めた。

 須知城は、標高384メートルの山頂に室町時代に築かれ、東西約300メートルの規模。城主は国衆の須智氏で、戦国武将明智光秀の丹波攻めで落城し、その後光秀により改修が加えられた。

 講座は教育委員会の主催で11月27日にあり、約30人が参加。険しい山道を登り、丹波の山城に詳しい大山崎町歴史資料館長の福島克彦さん(58)の説明を、頂上付近の遺構の前で聞いた。

 曲輪(くるわ)には、石垣が残る虎口が二つあるのが特徴。高さ約5メートルの高石垣は丹波屈指の威容を誇り、戦国時代を語る一級の史料という。福島さんは「光秀が明智の性を須智氏に与え、城を改修したことが分かる資料が麓の玉雲寺に残っている。その意味でも貴重」と解説した。

 高石垣に見入っていた参加者の男性(74)=京丹波町=は「初めて城に来たけれど、こんな素晴らしいものが地元に残っているとは」と感激していた。

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