【インドネシア居残り交換日記】 Day 22 池田華子(ジャカルタ)  2020年5月23日 じんごろう、その後

ジャカルタで大規模社会規制(PSBB)が始まる前日(4月9日)に拾われ、うちに来た傷だらけの子猫。とりあえず、使っていない部屋にケージごと入れ、ケージの近くに、水、えさ、トイレを用意した。

傷を負った警戒心からか、部屋にいる間は気配を消して、コトリとも音を立てない。ケージを「安全な巣穴」と認識しているようで、いつも、ケージの中に隠れている。私が様子を見に部屋に入ると、ケージの中から鳴きながら、ひょろひょろ出て来る。やせてゴツゴツの体で、よろよろしている。こんなに小さいのに、よく頑張って一人で生きてきたなぁ、と思う。

私が部屋にいる間はずっとニャーニャー鳴き続け、グルグル、スリスリをやめない。珍しいほどに人が好きな猫だ。膝の上にも乗りたがり、おなかを見せて横たわり、おなかをなでてあげると至福の表情。

うちに来て5日目の朝、初めて部屋の中から大声で鳴いた。翌朝も元気いっぱいにモーニングコール。傷も治り、元気に遊ぶようになってきた。部屋の外に出してあげると、おもちゃ、紐、家具、あらゆる物で遊ぶ。楽しくて、うれしくて、しょうがない、という感じだ。生を謳歌している。生きることは忙しい。

私がソファに寝転ぶと、おなかの上に飛び乗って来る。さらに、私の顔にひげが当たるぐらいの所にまで進み、私の胸の上に腹ばいになる。猫の喉を鳴らす音は「ゴロゴロ」と言われるが、「grrrrrrr」という、全身を使ったバイブレーションに感じられる。子猫の心臓の鼓動と「grrrrrr」の二重奏がダイレクトに胸に伝わって来て、これはたまらない。

それでもまだ、飼うことは躊躇(ちゅうちょ)していた。1年ほど前から、うちには黒白猫のフレディがいる。私は「フレディ・ファースト」を公言し、フレディとの相性を見ることにしていた。そして、私が飼わない場合は、子猫を拾ったKさんが飼うことを検討する、と言ってくれていた。

この子猫に対しては、フレディがうちに来た時ほどの注意は払わずに、ややじゃけんな扱いをしていたわけだが、ある時、いると思った場所に子猫がいない。ちょうど窓を大きく開けており、ここから落ちたか?と心臓がひやっとした。いくらじゃけんにされても膝に乗りたがり、甘えっぱなしのかわいさが思い出される。膝の上で寝てしまった子猫の体温と重みを思い出す。もし、これで一生を終えたとしたら、あまりにもかわいそうではないか。この時初めて、「甚五郎! 甚五郎!」と、子猫の仮の名前を大声で呼んだ。出て来た子猫を見て、心底ほっとした。

こうして正式に「うちの子」となった甚五郎。名前も結局、日光の眠り猫の作者である左甚五郎からと、いつも機嫌良くゴロゴロ喉を鳴らしていることから、「じんごろう」とした。フレディともすっかり仲良くなり、「猫二匹ならでは」の面白い光景も見せてくれる。

箱に入る甚五郎と、入っているつもりのフレディ

甚五郎の武器は「声」。ごはんが欲しい時は、びっくりするほどの大きい声で、力いっぱい鳴き続ける。なにしろ、シティーウォークでKさんに見付けてもらったほどの声なのだ。あの時、Kさんがシティーウォークに行かなかったら、Kさんに見付けてもらえなかったら、この大きな声もやがて小さくなり、いつか消えていたかもしれない、と思うと、たまらない気持ちになる。

間もなくジャカルタでPSBBが始まって2カ月。すっかりうちになじんだ甚五郎は元気いっぱいだ。食べて、出して、寝て、遊んで。「Life is simple」だと猫を見ていると思う。

池田華子(いけだ・はなこ)
1999年からインドネシア在住。+62編集長。ほぼ猫アカウントと化しているツイッター・アカウントは@jakartahanachan

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