【インドネシア居残り交換日記】 Day 17 轟英明(チカラン)  2020年3月15日〜5月24日 新しい日常

断食月(ラマダン)でダラダラしていたら、いつの間にかラマダンが終わっていた。「え、この前始まったばかりなのにもうおしまい?!」という感じ。やや非日常だったはずの断食という行為がいつの間にか日常になっていたのは、コロナ・ウイルス禍の中でのそれまでと違う生活リズムが、気付いてみると当たり前になっていたことに似ているかもしれません。

ともあれ、ラマダンが終わったこの機会に、ここ数カ月で私の身の回りで何が変わり何が変わっていないのか、以下、日記風に書き留めておきたいと思います。

3月15日(日) カレー自粛
インドネシアでの感染者増加中。WA(ホワッツアップ)でコロナ・ウイルス感染者とされる動画が複数、出回っている。路上で倒れていてピクリとも動かないのだが、真偽のほどは不明。こういうセンセーショナルな動画が拡散されやすいのはわかるが、個人的には玉ネギの値段がかつてないほどの高値になっていることの方が気になる。1キロで18万5800ルピアとか、こんなに高くなったことって今まであったっけ?

某スーパーでの値札

どうやらコロナ禍で大変なことになっている中国からの輸入が滞っているのが原因らしい。しばらく玉ネギをふんだんに使った日本風カレーは自粛なり。

3月26日(木) フェーズが変わった
インドネシアの感染者数が1000人間近。米国や豪州がインドネシア在住の自国民に帰国勧告を出したり、ジャワの地方自治体や村落レベルで独自の封鎖が始まったり、フェーズが明らかに変わってきた。勤務先からも出社と在宅を繰り返す新たな勤務シフトが発表になった。これからどうなるのかなあ。

3月27日(金) 近所の人が亡くなる
同じ居住エリアに住む住人がCOVID-19が原因で亡くなったらしいとの情報が隣組長(Ketua RT)から伝わる。実は亡くなった人の家は、私の自宅から直線距離で100メートルも離れてない。直接の近所付き合いはなかったが、やはり衝撃。ただ、本人には持病があったそうで、「感染疑い」でしかなく、本当のところはわからない。ご家族にWAでお悔やみを伝える。

3月28日(土) 水とお祈り
居住エリア内の公園にCOVID-19への注意喚起を呼び掛ける内容の横断幕がかかっていた。

近所の横断幕。「水とお祈り」に注目

具体的な対策は常識的なことばかりなのだが、極めてインドネシア的かなと感じたのは、「水を1日コップ8杯飲むこと」「お祈りを忘れずに」。実はアチェ人の妻にも同じことをよく言われている。「健康の秘訣は水をたくさん飲むこと、それに規則正しいお祈り」。聞き流すこともままあったが、ここはちゃんと従うべきだろうなとも思う。

4月4日(土) 社会的距離の実践
商店街へ買い物に行く。薬局やスーパー、コンビニでは、早速、社会的距離を実践する方式になっていて、少し感心。感染者増加中の日本ではどうなのだろう。

薬局ではガラス越しでの接客。手洗い用の水と石けんも置いてある

某スーパーのレジ並び。長蛇の列だが、皆、従っていた

「COVID-19(感染)防止のため、ドアの開閉は肘を使うか肩で押してください」

4月18日(土) いよいよラマダン
ラマダン前の最後の週末ジョギング。「マスクをしましょう」「断食明け大祭(レバラン)帰省は控えましょう」的な内容のバナーが出ていた。さて、どの程度効果が出るのだろうか?

「マスクをしましょう」

「帰省は延期しましょう」

4月29日(水) 断食に集中
ラマダンが始まって数日経った。毎年、体が断食の生活リズムに慣れるのに1週間程度かかるのだが、今年はすんなり移行。在宅勤務をすでに始めていたせいなのか、食生活が以前より規則正しくなり、夜更かしも減っているからかもしれない。

ラマダン前は、感染者と死者の増加に歯止めがかかりそうもないニュースを連日見ていた影響なのか、不安が高じて寝付けない日もあったものの、断食という行為に集中しているためか、最近は体調良好な感じ。

5月2日(土) 玉ネギの値段下がる
スーパーで買い物。玉ネギが高騰前の価格に戻っていた。1キロ3万5800ルピアで形もいい。それにしても、少し前とはあまりにも極端な価格差。消費者としては安値に越したことはないものの、これでは国内農家が玉ネギを栽培するインセンティブ(誘因)が育ちにくいだろうなとも思った。

某スーパーでの価格(5月初旬撮影)

5月6日(水) 猫の帰宅
10日ほど家出していたわが家の猫がいつの間にか帰宅。ラマダン直前に失踪(?)して、家族みんなで「どこに行ったのかなあ?」と心配していたのだが、本人は素知らぬ顔で、えさをせがむだけ。すでに去勢手術済みだが、カノジョに付いて行って振られたのか、真相は闇の中。まあ戻って来たから良しとします。

わが家の玄関前でいつも控えている、ちょっと太めの猫のサピ。命名は私の息子

5月9日(土) 断食明けの食事提供
ラマダンが始まって以来、居住エリアの住民で資金を出し合って、1日の断食明けのための通行人への食事提供を継続中。今日は妻が当番の日なので様子を見に行く。できれば本当に困っている人だけに優先的に渡したいが、場所が大通りなので、通りがかりのクルマがやって来ても断るのが難しいようだ。

オンライン配車サービスのドライバーが目立った

5月10日(日) 週末のサイクリング
ラマダンも折り返し地点。体調はかなり良好で、今のところ1日も断食の取りこぼしなし。週末は自転車でサイクリングする体力と時間の余裕もあり、体重も3キロ減った。ピーク時は85キロを超えていたが、最近は80キロ前後で推移。もっとも昨年のラマダンでも一時期減ったものの、その後リバウンドで元に戻ってしまったので、レバラン後も運動と規則正しい生活の継続は必須。

週末なので近所を自転車でサイクリング。クルマもバイクもほとんど走ってないので快適安全なり。放牧中の牛とあちこちで遭遇。コロナ禍の前もこれから先も、彼らの生活は多分変わらない。

草をはむ牛たち。背後に高架高速道路

ジャカルターバンドン間を結ぶ高速鉄道の工事現場。この日は休止中

遠くに新興都市「Meikarta」のマンション群が見える

チカランではコロナ禍の前からあちこちで建設工事が進行中だったが、基本的に中止になった事業というのはほとんどないようだ。居住エリア内にも建設労働者の寮になっている一軒家がいくつもあるが、人数が減っている様子はうかがえない。当然というべきか三密の状態で、シンガポールのような集団感染が発生しないか非常に心配なのだが……。

高速道路入口での検問

少し足を延ばして高速道路料金所まで行ってみたところ、警察が検問中だった。ジャカルタ方面行きはフリーパスだが、チカンペック方面行きはかなり入念にチェックしている模様。が、故郷に本気で帰省したい人たちは多分、裏道を通って行くのだろう。

5月16日(土) スンバコの準備完了
妻が買い付けた生活必需品(スンバコ)の配布が準備完了。例年にも増してこれらを必要としている人がいるはずで、少しでも助けになれば幸い。

「スンバコ」と呼ばれる生活必需品

5月17日(日) 工場建設は何事もなく進行中
工業団地方面へサイクリング。韓国の現代自動車工場など、思っていた以上に新規工場建設や増築が何事もなく進行中のようで、ちょっと意外だった。一応、注意喚起の看板はどこでも見るのだが、休憩中の労働者はマスクなしでのんびり談笑していた。

工業団地の入口。一応、検問あり

土木建設労働者を顧客とする移動ワルン

中国系工場の建設現場にて。喫煙所がちゃんと設けられているものの「生命至上」とはこれいかに?と一人ツッコミ

5月24日(日) ラマダン明け、オンライン挨拶
ラマダンは前日夜で終了。1カ月ぶりに昼間の食事を取った。美味。

食卓の上の混沌

この日の朝は雲一つない快晴で、まさにレバラン晴れ。

自宅2階からの眺め

日本にいる長女や、妻の故郷であるアチェの親族とZoomやWAでオンラインでの挨拶を交わし、意外と忙しい一日でした。

結局のところ、コロナ禍の前後で大きな生活の変化があったのかと言えば、思ったほどではないというのが実感です。

もちろん、学校に通っている子供たちへの影響は多々あり、特に高校3年の長女は今後の進路がどうなるか、現時点でもわからない現状です。

ただ、このモラトリアム期間を通して、子供たちが英語の難しい本を購入したり、電子ピアノの弾き方をアプリだけで覚えてしまったり、お菓子作りに挑戦してみたり、それぞれが模索してくれているのは頼もしい限りで、親としてはもっといろいろやるべきことがあるなあと刺激をもらってます。

工業団地から見る朝焼け

クルマもバイクも牛も人もいない、レバラン時の工業団地内の道

コロナ禍でさまざまな困難に直面している人たちのことを思いつつ、この美しい空は変わらない「新しい日常」が来ることを祈りながら、筆を置きたいと思います。

轟英明(とどろき・ひであき)
初めての海外旅行が1987年のインドネシア。その後は行ったり来たりで、2002年から定住。ジャカルタ郊外の工業地帯チカランに住み始めて、すでに10年経過。インドネシアの近現代史に興味があり、映画オタク。たまにブログもアップしています。

怪しいオジサンではなく筆者近影。賀集由美子さんのペン子ちゃんマスクを愛用してます

© +62