【インドネシア居残り交換日記】 Day 15 武部洋子(ジャカルタ)  2020年5月19日 母は日記を書く

私は普段はジャカルタで会社員をしている。在宅勤務が始まったのは3月17日のことだったから、すでに60日以上家にいることになる。在宅17日目の4月2日以来、note(クリエイターが文章や写真などを投稿できるサービス)内の、「コロナで変わった世界の暮らし」というマガジンの下で日記をつけ始めた。こちらがその第1回日記。

これまでの2カ月間はあっという間に過ぎていった気がするが、改めてこれを読み返してみるとなかなか興味深い。4月2日といえば、インドネシアで最初の感染者が公にされてからちょうど1カ月の時点だ。この時の私は、「たった1カ月で陽性患者が1790人に!」と驚きをもって記している。今はといえば、すでにこれのほぼ10倍。もし、5月の自分がこの日記のコメント欄に「まだ少ないですね! 5月半ばにはもう1万8000人超えですよ!」と書き込んで、4月の私がそれを読むことができたならば、4月の私は衝撃を受けるだろう。同じやり方で、例えば、10月あたりの私が「5月はまだ不安だったね。私は明日、バリに行ってきまーす!」とか書き込んでくれればいいのに。

ジャカルタの大規模社会制限(PSBB)は今のところ5月22日までとなっているが、その先は果たしてどうなるのか。最近、国営企業省から事業活動の再開を予測するシナリオが発表されていたが、まだまだ流動的だろう。陽性患者数は今も増え続けていて、断食明けの大祭を前に、カーブが落ち着く日が近いとはあまり思えない。

アパートメントの窓から見える世界は平和で、乾期の強い日差しを浴びてすっくと立っているヤシの木を眺めていると、自分が今、なぜこういう生活をしているのかを忘れそうになる。ずっと家にいる生活は、不自由とはいえ、悪いことばかりじゃない。なにより、これまで留守がちだった私が家にずっといることで、娘たちがとてもうれしそうだ。実にかあちゃん冥利につきるし、なんだか懺悔(ざんげ)をしているみたいな気分でもある。これまでおまえたちには寂しい思いをさせたねえ。かあちゃんのこと許しておくれよ……。

誰もいない下宿先にずっといても仕方がないので帰って来ている23歳の長女は、あっという間に何でもソツなくこなす大人になった。最近はよくおいしいパンを焼いてくれる(特にメロンパンが絶品)。一方、15歳の次女はまだまだおぼつかないので、この機会に、暮らしの中で知っておくべきこまごましたことを少しずつでも伝えられたらと思っている。体も小さい彼女だが、在宅中に爆発した食欲(四六時中「おなかがすいた」と台所と部屋の間をウロウロしている)で、全体的にだいぶ体つきがガッシリしてきた。食後の皿洗いは黙ってやってくれる。

コロナは確かに災いではあるが、いろいろな意味で、記憶に刻むべき大事な日々となっている。一方で、朝起きて、掃除して、洗濯して、運動して、シャワー浴びて、料理して、食事して、仕事して、本を読んで、動画を見て、夜寝るというひたすら単調な繰り返しの毎日だから、日常に戻ったらあっという間に忘れてしまいそうな脆(もろ)さがある。喉元過ぎれば熱さを忘れる、というか「喉元過ぎればぬるさを忘れる」って感じ。

コロナがいつ収束して、コロナ後の世界がどう変わっているかなんかはまだなんともわからないが、ひとつだけわかっていることがある。これは忘れちゃいけない日々だ。

だから、私は日記を書く。

武部洋子(たけべ・ようこ)
「旅の指さし会話帳 インドネシア語」(情報センター出版局)著者。東京生まれ。大学で第二外国語としてインドネシア語を選択。1年間の現地留学の後、1994年に大学卒業後、そのまま移住。現地出版社、日系広告会社勤務、ライター、翻訳、通訳、コーディネーターなどを経て、現在は日系企業勤務。

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