【インドネシア居残り交換日記】 Day 10 岸美咲(ソロ)  2020年5月10日 ジャワの芸術家のエネルギー

今年3月半ば。それまで新型コロナ・ウイルスの目立った報道はなかったにもかかわらず、突然、ソロの病院で死者が出たとのニュース。確か、中部ジャワでの最初の感染者だったと思う。留学中の大学への通学路の途中にある、毎日横目に見ているあの病院。まさかこんなに近くに、コロナの脅威を感じることになるとは。

それは、それまでの私たちの生活をガラリと変えてしまった。市内の学校は全て休校になり、イベントも集会も全て中止に。「Di Rumah Aja(家にいよう)」が叫ばれ、通りに人がいなくなった。ソロのメインストリートであるスラメット・リヤディ通り(Jl. Slamet Riyadi)の店舗は軒並みシャッターが閉められている。こんなに静かなソロの街を見たのは初めてだ。

スラメット・リヤディ通り

ソロには二つの王宮があり、これらを中心に古くからさまざまな芸能が発展してきた。本来は、毎晩のように各種芸能イベントが開かれる芸能の街である。

そんなソロに私は2018年、論文を書くための調査、そして影絵芝居ワヤンの人形遣い(=ダラン)とガムランの実技を本格的に勉強するためにやって来た。芸術大学に通いつつ、夜は、街中で開かれる市民グループのガムラン練習会やワヤン公演にほぼ毎日出かける、という生活を続けてきた。

ガムラン練習会

ガムランは歌う人も含めて20人前後の人が集まって合奏をする、本来はとても楽しい音楽だ。踊りやワヤンの伴奏にも使用され、現地ではプロ、アマチュアを問わず多くの人に愛好されている。しかしこれは、東京都知事が言うところの「三密」にばっちり当てはまってしまう音楽でもある。

ガムランの練習会。前列左が筆者

だからもちろん、ソロでも感染防止のため、練習はすべて中止になり、私はもう2カ月ほど、合奏をしていない。あんなにあちこち出かけていたのに、夜に何も予定がないのが数カ月続くなんてうそみたいだ、と今でも思う。

ソロには、ガムラン演奏やダランとして活動することでお金を稼いでいる人が大勢いる。だから、今のこの状況はソロの芸術家たちにとっても大打撃だ。しかし、この約2カ月の状況を見ていて私が思うのは、苦しいながらも、彼らには強い生命力というか、エネルギーがあるということである。なぜなら、この制限された状況の中でも、多くの芸術家たちが工夫を凝らして活動を発信しているのを目にするからである。

例えば、3月下旬に行われたプルボ・アスモロ(Ki Purbo Asmoro)のワヤン公演ライブ・ストリーミングは衝撃的であった。普段は大勢のガムラン演奏家によって伴奏されるワヤン公演を一人でするというのだから。

ダランは通常、人形を動かすのに加えて、語りや歌も同時に行う、かなり忙しい役割だ。この時はそれに加えて、グンデル(ガムラン楽器の一種)を自分の手前に置き、弾き語りをしながら上演を行った。グンデルを弾くだけでも私は一苦労なので、一人でワヤンをするという発想には本当に驚かされた。その技術もさることながら、この上演に込められた祈りの雰囲気を私は忘れることができない。

プルボの「一人ワヤン」(ライブ・ストリーミングより)

このほか、マンタップ・スダルソノ(Ki Manteb Soedharsono)やチャヒヨ・クンタディ(Ki Cahyo Kuntadi)らが、家族などを中心に少人数編成で行うワヤンや、新たな創作ワヤンを盛んに発信している。また、自分の演奏や学生向けのレクチャー動画をアップするダランや演奏家も大勢いる。毎日あちこちから追いきれないほど新しい動画が上がってくるので、私はとても驚いている。

元々、ジャワのワヤンは、新しいものにはとても柔軟な対応をしてきたと私は考えている。この状況を悲観するのではなく、それらを創作のエネルギーに変え、活動している様子を見て、改めてジャワの芸術家(seniman)たちのクリエイティビティーに圧倒されている。

ソロの芸術大学、ダラン科の棟

プルボ、マンタップ、チャヒヨは、売れっ子ダランでありながら、私の留学先の大学で授業もしている。私は先生方に会えるのを楽しみに、留学前から彼らのワヤンを見ていた。ソロに来てから実際に授業も受けたし、顔を覚えてもらうこともできた。それがすごくうれしくて、これからもっともっと、先生方に話を聞いたりしたかった。それが突然、今度いつお会いできるかすら、わからなくなってしまった。

最近やっと少しジャワ語がわかるようになってきたというのに、毎週、練習会で顔を合わせていたジャワのおじさんや友人たちとも会えない。近付きたかったジャワのいろいろに、最近やっと少し近付けたと思っていたところだったのに。

結局、ジャワはまだ、私にとって、近くて遠いのかもしれないと思ったりもする。いろいろなものが当たり前になりかけていたけれど、ジャワでできることの一つひとつがどれだけ尊いことなのかということを実感する日々である。

「みんなで一緒にすること」はガムランやワヤンの面白さであり、同時に、ごく当たり前とされてきたことだ。だからこそ、今、このように、集まって合奏することができなくなるとは、誰も予想できなかった事態だと思う。

私はジャワのマエストロたちのクリエイティビティーにはかなわないけれど、こんな時こそ、自分なりに、これまでのガムランとの付き合い方に思いを巡らせ、これからどう向き合っていくのか、考えるべき時なのかもしれない。

ガムランを演奏する筆者

岸美咲(きし・みさき)
中部ジャワのガムランとワヤンを研究する大学院生。2012年、東京でガムランの演奏活動を始める。2016年よりワヤンの人形遣いダランにも挑戦。2018年9月から、インドネシア国立芸術学校スラカルタ校(ISI Surakarta)ダラン科に留学。マンゴーが好き。

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