【インドネシア居残り交換日記】 Day 9 池田華子(ジャカルタ)  2020年4月9日 子猫を拾った

「PSBB」と呼ばれる大規模社会規制がジャカルタで施行される前日のこと。午後6時ごろ、友達のKさんから電話がかかってきた。「あのね、池田さん。子猫がいるんだけど……」。

Kさんはシティーウォークへ買い物に行き、車から降りて道を歩いていると、子猫の鳴き声が聞こえてきたという。その声があまりにも大きいので、気になって行ってみたら、上にも下にも自力では行けない段差の所にどうやって入り込んだのか、白い子猫がうずくまっている。おなかには、ほかの猫にやられたらしいひっかき傷がめちゃくちゃにあり、元気がない。

母猫が現れないかと、そこで30分ほども粘ってみたが現れない。Kさんの様子が不審だったようで、警備員数人がやって来た。「この子猫の母親が来ないか、待ってるんだ」と説明すると、似た模様の猫をどこからか連れて来た。「これか?」。子猫は怒りのうなり声を上げ、「あ、違うわ」ということに……。

ジャカルタの街からは急に人が消え、ごはんをもらえていただろう屋台も少なくなっている。ジャカルタの街中の至る所にいた猫たちは、生きていくのが突然に大変になっているだろう。この子猫もけがをしたこの状態では、生きていくのは難しいに違いない。

Kさんはライン電話をビデオにして、子猫の動画を見せてくれた。耳の辺りが黒い、白い子猫だ。私が決心しかねて「うーん、うーん……」と言っていると、Kさんが「あのさぁ、拾って、その足でPetVet(ペット・クリニック)へ連れて行こうか?」と言ってくれた。

私「うーん、じゃあお願い」
Kさん「じゃあ、いったん保護するね」

「PetVet」からKさんがしてきたライン電話でドクターの説明を聞いた。猫白血病と猫HIVのウイルス検査はネガティブ。熱があり、体の傷の化膿によるものと思われる。抗生物質を飲ませるように。現在の体重は670グラム。おなかは空っぽで、検査用の便も取れなかった。

子猫を入れる用の部屋の準備をしながら、「今、この状況で猫を拾っている人はいないだろうな」と思ったら笑えてきて、トイレなどの準備をしながら声を出して笑ってしまった。

そうして、やって来た子猫。白に黒いブチ。生後2カ月ぐらいのオス猫だ。安心したようにケージの中で「グルグルグルグル」と喉を鳴らしている。まったく元気がなく、抱き上げても、おなかを触っても、されるがままだ。おなかには痛々しい傷があり、時々、足をけいれんさせるのが気になる。ドクターは「ティダ・アパ・アパだ」と言ったそうだが……。

拾われて3日後

おなかの傷も乾いて治ってきた。ほかの猫に「降参」とおなかを見せたところ、やられたんだろう、というドクターの話。肘、鼻にも傷があった

翌日、日本に帰った友人のRさんに子猫のことを知らせた。写真を送って「この柄、何だろうね?」と聞くと、「日光の眠り猫に似てる」と言う。

私「左甚五郎の? 縁起がいいね」
Rさん「リアル眠り猫! 霊験あらたか!」
私「コロナに勝てるか?!」
Rさん「急に、甚五郎(仮)が気高く見えてきた」

こうして、Rさんの命名により、名前は「甚五郎(仮)」となった。

実はもう一匹、わが家には猫がいる。2019年2月にインドネシア人の友達が拾い、うちへ連れて来た。黒白猫で、名前はフレディ。フレディの通関手続きがまだ終わっていない、というのが、私がジャカルタを離れない大きな理由の一つだ。

猫を「日本に帰りたくても帰れない、足かせ」と思う方が多いのではないかと思う。「猫のせいで帰れないなんてバカじゃない?」とか。しかし、この猫がいるからこそ、自宅引き込もり生活でも孤独を感じないだけでなく、「フレディを残していけないので、絶対に病気にかかれない」と気を張り、安全や体調に注意する大きな要因ともなっている。フレディが私を守ってくれている、とも言える。

しかし、猫一匹でも大変なところに、もう一匹……。これは、「一匹で気を張っているだけでは、まだ不十分。もう一匹、送るから頑張りなさいね」という天からの声にも聞こえる。猫は天から降って来る。

池田華子(いけだ・はなこ)
1999年からインドネシア在住。+62編集長。

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