旧海軍地下壕で新たな研究成果 太平洋戦争の開戦から82年を前に【長野市】

あす12月8日、太平洋戦争の開戦から82年を迎えます。このタイミングに合わせ、長野市で旧海軍の地下壕の調査をしている団体が、新たな研究成果を発表しました。

■記者
「ここは長野市の安茂里地区です。終戦間際、旧海軍がこちら、この白い岩山に大規模な地下壕を掘ろうとしていた。そんな研究結果を地元の団体が発表しました」

長野市安茂里地区には旧海軍が掘った地下壕が残っています。地下に大本営、軍の中枢施設を置こうとしたとされます。82年前の12月8日、旧日本軍はハワイのアメリカ艦隊を急襲しました。
しかし戦局は悪化。終戦直前に地下壕は掘られました。

■昭和の安茂里を語り継ぐ会・鳥居文雄さん
「その時はYの字になっていた。右も左も見えました。そういうことで遊んでいました(遊び場所だった?)遊び場所、子どものね」

ここは地下壕の入口で〝本体〟は別の場所に計画されていた。そう考えられてきましたが、その場所は謎のままでした。
しかし今回、地元の調査団体が「ほぼ特定できた」と発表。現存している地下壕は奥行き50メートル、Y字型に折れて30メートルほど。さらに250メートル掘った先だといいます。出口には白い岩山が。

■昭和の安茂里を語り継ぐ会・土屋光男さん
「ここならば横に穴を掘れば(空から敵機に)絶対に見つからないなと。ここには(資材などを)十分集積できますよね、そんなようなことで、ここではないかということを、私どもはほぼ95%間違いないんじゃないかっていうふうに思っております」

現存する地下壕入口から徒歩10分ほどの場所です。今回の発表の根拠は去年入手した〝ある文書〟。
1985年ごろの元設営隊長の手紙です。

「大体〝小市(こいち)〟部落の裏山の〝白土(はくど)〟地帯を予定して」

〝白土〟は白い岩山が露出した場所で周辺にはこの場所しかありません。長野市松代に残る旧陸軍の松代大本営はよく知られています。松代をよく見通せる場所に安茂里の地下壕の入口はあります。
12月7日に調査結果を発表したのは…

■昭和の安茂里を語り継ぐ会・土屋光男さん
「あす戦争が始まった日なんですよね。だからきょうがやっぱり…」

これからも調査を重ね、地下壕を語り継ぐつもりです。

© 長野朝日放送株式会社